「そうだ、渡しておく物があったんだった」
いくつかの分かれ道を進んだ頃、井上さんが思い出したように口を開いた。その声を聞いて、先頭を歩く佐久間が振り返る。
「なんだ、ポーションか?」
ポーション、こっちの世界では濃縮液のことだが、彼が言ったのは魔法世界の不思議な液体のことだ。外傷であれば、即座に直ってしまうチートアイテムであり……当然、お高い。
「そんな高級品、ある訳ないでしょ!」
佐久間が軽口を叩いて、井上さんが軽快にそれを否定した。彼女は怒った様子ではあるものの、本気では無い。この流れはいつものことで、俺たちの中のお決まりみたいなやつだった。
「あはは」
そんなやりとりを挟みつつ。井上さんがポケットから小さな人形を取り出す。それは手のひらに収まるサイズで、布と糸だけで作られていた。しかし、その胸元には虹色の光を放つエーテルの結晶が埋め込まれている。
「これは?」
「私のスキルで作ったお守り。まだレベルが低いから気休め程度だけどね」
井上さんは俺の質問にそう答えると、人形を手渡してくれる。布の感覚は柔らかく、縫い目は少し雑だけど、それが逆に温かみを感じさせた。手にはスコップを握っていて、ちょっと笑ってしまう。
「ありがとう、大切にするよ」
井上さんとはちょっと口うるさいと思うこともあるけど、それは俺たちの事を思ってのことだっていつも伝わってくる。
「べ、別にそんな改まって言われるほどのものじゃないよ。本当に、ただの気休めだから……」
井上さんは、小さく唇を尖らせながらそっぽを向いた。
「──おいおい、俺のはないのかー?」
「もちろん、あるよ」
よくわからない空気が流れそうになるのを、佐久間の軽薄な声が
「おう、サンキューな」
「お前は軽すぎる!」
まだ知り合って間も無いけど、俺は2人のことが好きだった。佐久間は軽薄そうに見えて実は仲間思いだ。
俺は感謝しながら、スコップの持ち手に人形を結んだ。
「それで、どんなご利益があるんだ?」
佐久間がキョトンとした表情で井上さんに問いかけた。それに対して、彼女は歯切れが悪そうに視線を逸らす。
「なんかこう、時々? ごく稀に? 未来を感じる可能性が微粒子レベルで存在するような、良いことがあるような……」
「思ってたよりずっとフワッとしてた!!」
「うるさい! 気休めだって言ってるでしょ!!!」
そんなやり取りをしながら道中を進んでいると……ふと、井上さんが立ち止まって話しかけてきた。
「ねえ、竜成くん」
そういう井上さんは、どこか遠く、未来を見通すような目をしていた。そして、まるで自分の言葉を噛み締めるように言葉を続ける。
「この子たちが、私たちの代わりに帰ってきてくれるかもしれないから……」
まるで、それが運命だと知っているかのよう。
井上さんはそう言いながら、自分の言葉に戸惑うように口をつぐみ、一瞬だけ視線を落とす。
「……なんて、変な事いっちゃったね」
と、井上さんは恥ずかしそうに笑った。
「それって、どういう……」
俺がその言葉の意味を考えようとした時、突然のアラーム音によってそれは
*「エーテル濃度が急激に上昇しています! 冒険者の皆様は速やかに退避してください! 繰り返します! エーテル濃度ガ……キュウゲキニ……上昇……冒険者ノ皆様ハ……す……み……や……か……」*
ブツンッ。
──ザーッ……ザー……ピ……。
電子音が途切れ、何かが介入したように、異様な沈黙が訪れた。まるでシステムごと何かに飲み込まれたかのように。
「おい、何か感じないか?」
俺の言葉が、一瞬の沈黙を破った。
まるで、地の底から響くような重低音と共に、ダンジョン全体が僅かに振動していた。
「え、これ……何……?」
井上さんが不安そうに周囲へ視線を
俺は叫ぶように声を上げた。
「ステータスを確認しろ!」
俺はそう言って、リストバンドのボタンを押す。すぐに
*[Dレベル:10]*
Dレベル、それは空間のエーテル濃度を示す数値。俺たちが超常的な力を使えるのは、このエーテルのおかげだ。だからDレベルが低ければ、俺たちの力は制限されるし、モンスターは生きられない。
ゲームに例えるなら、レベルキャップだ。
「10……いや11! 誤報じゃないぞ!」
空気が異様に重く、喉がひりつく。俺たちの呼吸音さえ、吸い込まれるように無言になる。
「えっと、どういうことだ?」
佐久間が困った顔で聞き返してくる。
Dレベルが上がったことで、湧くモンスターのレベルは10倍になった。だけど、Dレベルに合わせて俺たちのレベルが上がるわけじゃ無い。
つまり。
「俺たちはそのままでモンスターだけ10倍強くなった」
「じゃあ、今から出てくるモンスターって……」
「レベル10のモンスターだ。今の俺たちじゃ、まともに戦えない」
俺の言葉で状況を飲み込んだ佐久間が、目を見開いて青ざめる。不安そうな表情で、聞いてきた。
「隊列を直すか?」
俺はなるべく冷静を装って首を左右へ振る。
「いいや、隊列はこのままで逆走しよう」
俺は冷静に答えながらも、心臓は狂ったように鼓動を刻んでいた。指先が震えそうになるのを必死に押さえつける。
「え、大丈夫なのか?」
「Dレベルが上がっても即座に強いモンスターが湧くわけじゃ無い。今はむしろ、下層から上がってくる冒険者やそれに混じった高レベルモンスターの方が脅威だ」
俺の言葉に、佐久間と井上さんが納得した様子で頷く。俺はそれを確認して、後方へと体を向けた。
「井上さん、走って!」
「う、うん……!」