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スコップLv.2:異常事態

「そうだ、渡しておく物があったんだった」


 いくつかの分かれ道を進んだ頃、井上さんが思い出したように口を開いた。その声を聞いて、先頭を歩く佐久間が振り返る。


「なんだ、ポーションか?」


 ポーション、こっちの世界では濃縮液のことだが、彼が言ったのは魔法世界の不思議な液体のことだ。外傷であれば、即座に直ってしまうチートアイテムであり……当然、お高い。


「そんな高級品、ある訳ないでしょ!」


 佐久間が軽口を叩いて、井上さんが軽快にそれを否定した。彼女は怒った様子ではあるものの、本気では無い。この流れはいつものことで、俺たちの中のお決まりみたいなやつだった。


「あはは」


 そんなやりとりを挟みつつ。井上さんがポケットから小さな人形を取り出す。それは手のひらに収まるサイズで、布と糸だけで作られていた。しかし、その胸元には虹色の光を放つエーテルの結晶が埋め込まれている。


「これは?」


「私のスキルで作ったお守り。まだレベルが低いから気休め程度だけどね」


 井上さんは俺の質問にそう答えると、人形を手渡してくれる。布の感覚は柔らかく、縫い目は少し雑だけど、それが逆に温かみを感じさせた。手にはスコップを握っていて、ちょっと笑ってしまう。


「ありがとう、大切にするよ」


 井上さんとはちょっと口うるさいと思うこともあるけど、それは俺たちの事を思ってのことだっていつも伝わってくる。


「べ、別にそんな改まって言われるほどのものじゃないよ。本当に、ただの気休めだから……」


 井上さんは、小さく唇を尖らせながらそっぽを向いた。


「──おいおい、俺のはないのかー?」


「もちろん、あるよ」


 よくわからない空気が流れそうになるのを、佐久間の軽薄な声がさえぎった。井上さんはそれに答えて、彼にも人形を手渡した。その人形の手には、彼と同じような盾が握られている。


「おう、サンキューな」


「お前は軽すぎる!」


 まだ知り合って間も無いけど、俺は2人のことが好きだった。佐久間は軽薄そうに見えて実は仲間思いだ。


 俺は感謝しながら、スコップの持ち手に人形を結んだ。


「それで、どんなご利益があるんだ?」


 佐久間がキョトンとした表情で井上さんに問いかけた。それに対して、彼女は歯切れが悪そうに視線を逸らす。


「なんかこう、時々? ごく稀に? 未来を感じる可能性が微粒子レベルで存在するような、良いことがあるような……」


「思ってたよりずっとフワッとしてた!!」


「うるさい! 気休めだって言ってるでしょ!!!」


 そんなやり取りをしながら道中を進んでいると……ふと、井上さんが立ち止まって話しかけてきた。


「ねえ、竜成くん」


 そういう井上さんは、どこか遠く、未来を見通すような目をしていた。そして、まるで自分の言葉を噛み締めるように言葉を続ける。


「この子たちが、私たちの代わりに帰ってきてくれるかもしれないから……」


 まるで、それが運命だと知っているかのよう。


 井上さんはそう言いながら、自分の言葉に戸惑うように口をつぐみ、一瞬だけ視線を落とす。


「……なんて、変な事いっちゃったね」


 と、井上さんは恥ずかしそうに笑った。


「それって、どういう……」


 俺がその言葉の意味を考えようとした時、突然のアラーム音によってそれはさえぎられる。


*「エーテル濃度が急激に上昇しています! 冒険者の皆様は速やかに退避してください! 繰り返します! エーテル濃度ガ……キュウゲキニ……上昇……冒険者ノ皆様ハ……す……み……や……か……」*


 ブツンッ。

 ──ザーッ……ザー……ピ……。


 電子音が途切れ、何かが介入したように、異様な沈黙が訪れた。まるでシステムごと何かに飲み込まれたかのように。


「おい、何か感じないか?」


 俺の言葉が、一瞬の沈黙を破った。

 まるで、地の底から響くような重低音と共に、ダンジョン全体が僅かに振動していた。


「え、これ……何……?」


 井上さんが不安そうに周囲へ視線をめぐらせる。

 俺は叫ぶように声を上げた。


「ステータスを確認しろ!」


 俺はそう言って、リストバンドのボタンを押す。すぐにDダンジョンレベルの表記へ視線を走らせた。


 Dダンジョンレベルはーー。


 *[Dレベル:10]*


 Dレベル、それは空間のエーテル濃度を示す数値。俺たちが超常的な力を使えるのは、このエーテルのおかげだ。だからDレベルが低ければ、俺たちの力は制限されるし、モンスターは生きられない。


 ゲームに例えるなら、レベルキャップだ。


「10……いや11! 誤報じゃないぞ!」


 空気が異様に重く、喉がひりつく。俺たちの呼吸音さえ、吸い込まれるように無言になる。


「えっと、どういうことだ?」


 佐久間が困った顔で聞き返してくる。

 Dレベルが上がったことで、湧くモンスターのレベルは10倍になった。だけど、Dレベルに合わせて俺たちのレベルが上がるわけじゃ無い。


 つまり。


「俺たちはそのままでモンスターだけ10倍強くなった」


「じゃあ、今から出てくるモンスターって……」


「レベル10のモンスターだ。今の俺たちじゃ、まともに戦えない」


 俺の言葉で状況を飲み込んだ佐久間が、目を見開いて青ざめる。不安そうな表情で、聞いてきた。


「隊列を直すか?」


 俺はなるべく冷静を装って首を左右へ振る。


「いいや、隊列はこのままで逆走しよう」


 俺は冷静に答えながらも、心臓は狂ったように鼓動を刻んでいた。指先が震えそうになるのを必死に押さえつける。


「え、大丈夫なのか?」


「Dレベルが上がっても即座に強いモンスターが湧くわけじゃ無い。今はむしろ、下層から上がってくる冒険者やそれに混じった高レベルモンスターの方が脅威だ」


 俺の言葉に、佐久間と井上さんが納得した様子で頷く。俺はそれを確認して、後方へと体を向けた。


「井上さん、走って!」


「う、うん……!」

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