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第5話

皇太子から記録改革の任を与えられてから一週間、私──勇姫ゆうきは、仕事に追われる日々を送っていた。


「勇姫、この書類もよろしく」

「勇姫様、こちらの照合も」

「新方式に変換してもらえますか?」


尚書房は、まるでブラック企業のプロジェクトリーダーとなった私の前世の姿を再現するかのように忙しかった。


「はぁ...」


つい大きなため息をついてしまう。


「どうした、勇姫?」霜蘭が気づかい、私の机に近づいてきた。「疲れているのか?」


「いえ、大丈夫です」慌てて笑顔を作る。「ただ...もう少し整理の仕方を考えていて」


「そうか」霜蘭は少し安心したように見えた。「無理はするな。せっかくの改革も、担当者が倒れては意味がない」


何とも皮肉な言葉だ。前世で過労死した身としては。


「ありがとうございます。ところで...」


「何だ?」


「宮中の女官配置表というのはありますか?誰がどの部署にいて、どんな仕事をしているのか一覧になったもの」


霜蘭はしばらく考えていたが、首を横に振った。


「そのような一覧はない。各部署が自分たちの人員を管理している」


「えっ、全体を把握している人はいないんですか?」


女官長にょかんちょうが概ね把握しているが、細かい配置までは...」霜蘭は言葉を選ぶように間を置いた。「正直、完全には把握されていないだろう」


衝撃的な事実だった。これでは誰がどこで何をしているのか、全体像が見えない。


「それは...非効率ですね」


「宮中では当たり前のことだ」霜蘭は肩をすくめた。「だからこそ、おまえの改革が必要なのだろう」


彼女がそう言って立ち去った後、私は改めて考え込んだ。記録方式を変えるだけでなく、人員配置まで整理する必要があるのではないか。


「よし、脳内スプシで整理してみよう」


目を閉じ、深呼吸。頭の中にスプレッドシートを展開する。


まず、これまでに知り得た情報を入力していく。

- 書記部門(約20名)

- 医務部門(約15名)

- 内務部門(約50名)

- 庶務部門(約25名)


「でも、具体的な名前や役割までは...」


情報が足りない。どうにかして収集しなければ。


「そうだ、小桃に聞いてみよう」


その日の夕方、清風院に戻ると小桃が私の部屋の掃除をしていた。


「小桃、ちょっといい?」


「あ、勇姫さま!」小桃は嬉しそうに振り返った。「お帰りなさい!今日も遅かったですね」


「うん...ちょっと忙しくて」私は笑顔で答えた。「小桃、内務部門の人は全部で何人くらいいるの?」


「えっと...」小桃は指を折りながら数え始めた。「東棟に12人、西棟に18人、北棟に10人...それから庭園係が5人、食堂係が8人...あと、特別室担当が7人...」


「それって、合計60人くらい?」


「あっ、そうですね!」小桃は驚いたように目を丸くした。「勇姫さま、すごい計算力!」


「ありがとう」私は内心でスプシを更新していた。「それで、その人たちは皆、毎日同じ場所で働いているの?」


「いいえ、ローテーションがあります。でも...」


小桃は少し困った顔をした。


「実は、そのローテーションがよくわからなくて...」


「どういうこと?」


「担当者が突然変わったり、予定表と違う人が来たり...」小桃は首を傾げた。「内務長も時々混乱してます」


「なるほど...」


この情報も脳内スプシに追加。問題点が見えてきた。


「他の部門のことも知ってる?医務とか庶務とか」


「あんまり詳しくないですけど...」小桃は申し訳なさそうに首を振った。「あ、でも!」


彼女は突然思い出したように声を上げた。


「内務部門には各部門との連絡係がいるんです!翡翠ひすいさんなら知ってるかも!」


「翡翠さん?」


「はい!彼女は内務と他部門の連絡を担当してます。明日紹介しましょうか?」


「それは助かるわ!」


翌日、小桃の紹介で会えた翡翠は、三十代半ばくらいの落ち着いた女性だった。


「勇姫様、噂はかねがね」翡翠は丁寧に挨拶した。「記録改革の責任者ですね」


「はい、よろしくお願いします。実は人員配置について教えていただきたくて...」


翡翠の協力を得て、各部門の大まかな人数と業務内容を把握することができた。


これを元に、私は数日かけて脳内スプシに宮中女官全体の配置表を作り上げていった。縦軸に名前、横軸に日付と場所。色分けして部門ごとの特徴も明確に。


「これで全体像がつかめてきたわ...」


しかし、問題点も浮かび上がってきた。


「あれ?この日は内務部が極端に少ないのに、医務部は多すぎる...」

「この人、同じ日に二カ所に配置されている...?」

「この期間は、掃除する人がいないことになってる...」


整理すればするほど、ずさんな人員配置が明らかになった。


「これじゃ、混乱するはずだわ...」


「何を見ているんだ?」


不意に声をかけられ、驚いて振り返ると、白凌が立っていた。


「白凌様!」私は慌てて立ち上がる。「いえ、その...人員配置を考えていました」


「人員配置?」彼は興味を示した。「それは霜蘭から聞いていなかったが...」


「個人的に調べていたんです」私は恥ずかしそうに答えた。「宮中の女官がどのように配置されているのか知りたくて」


白凌は私の机の上を見たが、そこには白紙があるだけだった。


「頭の中で整理しているのか?」


「はい...」


白凌はしばらく私を観察していたが、やがて静かに言った。


「勇姫、おまえの頭の中は不思議だな。だが、それが皇太子殿下の役に立つなら、私は喜ばしく思う」


「ありがとうございます」


「それで、発見はあったか?」


「はい...」私は正直に答えた。「人員配置がかなり混乱しています。重複や空白が多く、効率的に働けていないように見えます」


白凌は驚いたように目を見開いた。


「それを頭の中だけで把握したのか?」


「はい、まだ紙には起こしていませんが...」


「すぐに形にするべきだ」白凌は決然と言った。「この混乱は、長年の課題だった」


「でも、女官長が...」


「心配するな」白凌の声は静かだが力強かった。「私から皇太子殿下に報告する。これも改革の一環として進めるべきだ」


その言葉に、勇気をもらった。


「ありがとうございます。では、配置表を作成します」


◆◆◆


二日後、私の作った人員配置表が完成した。美しく色分けされた大きな表。誰がいつどこで働くかが一目で分かるようになっている。


「これは...見事だ」霜蘭が感嘆の声を上げた。「こんなにも明確に全体が見えるとは」


白凌も満足げに頷いている。「皇太子殿下にご覧いただこう」


しかし、問題はすぐに訪れた。


「何事か?」


尚書房に、年配の女性が勢いよく入ってきた。威厳ある風貌と豪華な衣装から、高位の人物であることが一目で分かる。


女官長にょかんちょう様...」霜蘭が緊張した様子で迎えた。


「聞いたぞ、霜蘭」女官長の声は厳しかった。「勝手に人員配置に手を出しているというではないか」


「それは...」


「誰の許可を得た?」女官長の目が鋭く霜蘭を捉える。「人員管理は私の役目だ」


緊迫した空気が流れる中、私は一歩前に出た。


「私の責任です」


女官長の視線が私に向けられた。


「おまえが...勇姫か」


「はい」私は頭を下げた。「記録改革の一環として、人員配置の整理も必要だと考えました」


「生意気な...」女官長の声には怒りが滲んでいた。「記録方式の変更は皇太子のご命令だが、人員配置にまで手を出すとは」


「でも、現状では混乱が多く、女官たちも困っています」私は震える声を抑えながら続けた。「配置表があれば、誰がどこにいるべきか明確になり、仕事も円滑に...」


「黙りなさい!」


女官長の一喝に、部屋が静まり返った。


「宮中の秩序は、長い年月をかけて築かれたもの。新参者が容易に変えられるものではない」


「しかし、」白凌が静かに口を開いた。「この配置表について、皇太子殿下はすでにご存じです」


女官長の表情が変わった。


「何...?」


「殿下は改革に大変関心をお持ちです」白凌は淡々と続けた。「特に、宮中の効率化については」


女官長は言葉に詰まったようだった。


「それでも、手順というものがある。まず私に相談すべきだった」


「申し訳ありません」私は心から謝った。「でも、この配置表は現状を変えるものではなく、可視化するだけのものです」


「可視化...?」


「はい。誰がどこにいるか、全体を見やすくしただけです。決定権は女官長様にあります」


これは少し嘘だ。実際には問題点を浮き彫りにするためのものだったが、今は衝突を避けたかった。


女官長は私の言葉に少し和らいだようだった。


「見せてみろ」


私が作成した配置表を女官長に差し出す。彼女はじっくりと眺め始めた。


「これは...」


彼女の表情が徐々に変わっていく。驚きから、困惑、そして少しの敬意へ。


「確かに、分かりやすい」女官長は渋々認めた。「だが、これにはいくつか間違いがある」


「ぜひ教えてください」私は誠実に言った。「正確な情報をもとに改善したいです」


この対応が功を奏したのか、女官長は少し態度を和らげた。


「明日、私の部屋に来なさい。詳細を説明しよう」


「ありがとうございます!」


女官長が去った後、部屋に安堵の空気が流れた。


「危なかったな...」霜蘭がため息をついた。「女官長の怒りを買うとは」


「でも、うまく収まったようだ」白凌は私に微かな笑みを見せた。「勇姫、おまえの交渉術は見事だった」


「いえ...」私は恥ずかしげに首を振った。「前世...いえ、以前の仕事で、怒った上司をなだめる特殊な訓練を積んでいただけです」


「それにしても、」霜蘭が言った。「女官長が自ら説明すると言ったのは驚きだ。彼女は通常、下の者に時間を割かない」


「私も驚いています」


「これも勇姫の人徳か」白凌は静かに言った。「あるいは...」


「あるいは?」


「この配置表が、女官長自身の目にも価値あるものと映ったのかもしれない」


翌日、緊張しながら女官長の部屋を訪れた私は、意外な光景を目にした。


女官長は私の配置表の上に、別の紙を何枚も広げ、比較検討していたのだ。


「来たか、勇姫」


「お呼びいただき、ありがとうございます」


「座りなさい」女官長は手招きした。「いくつか質問がある」


次の一時間、女官長は私の配置表についての質問を次々と投げかけてきた。どのように情報を集めたのか、どのような基準で整理したのか、なぜこのような形式にしたのか...


私は脳内スプシのことは言わず、できる限り正直に答えた。


質問が終わると、女官長は深いため息をついた。


「実は...」彼女は少し声を落とした。「人員管理の混乱は、私自身も頭を悩ませていた問題だ」


「え?」


「宮中の女官は増え続け、部署も複雑化している。従来の管理方法では追いつかなくなっていた」


女官長の素直な告白に、驚きを隠せなかった。


「それで、おまえの配置表を見た時...」彼女は少し言いよどんだ。「その有用性を否定できなかったのだ」


「それは...光栄です」


「だが、」女官長は急に厳しい顔に戻った。「このままでは使えない。いくつか修正が必要だ」


「もちろんです。どのような点でしょうか?」


女官長は具体的な指摘を始めた。実際の人数との相違、特定の日に行われる儀式への対応、季節ごとの業務の変化など。


私は全てを頭に入れ、脳内スプシで修正点を記録していった。


「これらを直せば、使えるものになるだろう」女官長は最後にそう言った。「一週間後に修正版を持ってきなさい」


「はい!ありがとうございます!」


尚書房に戻ると、霜蘭が心配そうに待っていた。


「どうだった?」


「信じられないかもしれませんが...」私は興奮気味に報告した。「女官長が配置表を認めてくれました!いくつか修正点はありますが」


「女官長が...?」霜蘭は驚いた顔で聞き返した。「あの頑固な女官長が?」


「はい!実は彼女自身も人員管理に悩んでいたそうです」


「これは予想外だ...」霜蘭は少し笑みを浮かべた。「勇姫、おまえは本当に奇跡を起こすな」


「奇跡じゃないですよ」私は首を振った。「必要なものを必要な形で提案しただけです」


その日から一週間、私は女官長の指摘を元に配置表を修正し続けた。脳内スプシを駆使して、より詳細な情報を盛り込み、使いやすい形に整えていく。


そして修正版が完成し、女官長の承認を得た時、驚くべき知らせが届いた。


「勇姫!」小桃が興奮した様子で尚書房に駆け込んできた。「大変です!」


「どうしたの?」


「皇太子様が、勇姫さまに直接お会いになるそうです!」


「え?」


翠葉も驚いた顔で言った。「噂によると、人員配置表を皇帝陛下にも見せたいとのこと!」


「皇帝陛下に!?」


私の驚きを見て、霜蘭が説明した。


「陛下は近年、宮中の管理に関心を持たれている。特に女官の増加については、経費の問題もあって」


「そして、」白凌が尚書房に入ってきて続けた。「勇姫の配置表は、その問題への一つの解だと殿下がお考えになったのだろう」


「そんな...」言葉が出ない。


「勇姫」白凌が告げた。「明日、皇太子殿下の御前ごぜんに参れ。殿下ご自身が説明を聞きたいとのことだ」


次の日、緊張で手が震える私を、白凌が皇太子の居室へと案内した。


「心配するな」白凌は扉の前で静かに言った。「殿下は貴官のことを高く評価しておられる」


深呼吸をして、部屋に入る。


瑞珂は窓際に立ち、外を眺めていた。振り返った彼の顔に、優しい笑みが浮かんでいる。


「勇姫、来てくれたか」


「はい、お呼びいただき光栄です」


深々と頭を下げる私に、瑞珂は手で制した。


「そなたの配置表を見た」彼は率直に言った。「見事な仕事だ」


「ありがとうございます」


「特に興味深いのは、」瑞珂は一歩近づいた。「これにより浮かび上がった無駄だな」


「無駄...ですか?」


「そうだ」瑞珂はうなずいた。「同じ日に重複して配置されている者、反対に誰も担当していない場所、不必要に多い部署と人手不足の部署...」


彼は私の目をまっすぐ見た。


「そなたはこれを単なる"可視化"と女官長に説明したそうだが、実際には問題点を炙り出すためのものだろう?」


鋭い。私は思わず顔を赤らめた。


「はい...申し訳ありません」


「謝ることはない」瑞珂は笑った。「むしろ賢明な戦略だ。直接的な批判ではなく、事実を示すことで改革を促す...」


「実は...」


「なんだ?」


「単に人員配置を整理するだけでなく、このデータを元に最適な配置も計算できます」


瑞珂の目が輝いた。


「最適な配置...?」


「はい」私は自信を持って答えた。「誰がどの仕事に向いているか、どの場所にどれだけの人数が必要か、それを数値化して最も効率的な配置を導き出せます」


「それは...興味深い」瑞珂は熱心に聞き入った。「そのような計算が可能なのか?」


「はい、私の...特技です」


もちろん、特技の正体は脳内スプシだが、それは言えない。


「勇姫」瑞珂は決然と言った。「そなたに新たな任務を与える」


「はい?」


「女官の配置最適化計画を作成せよ。期限は一ヶ月だ」


「一ヶ月ですか?」


「急ぎすぎるか?」


「いえ、十分です」私は自信を持って答えた。脳内スプシなら、できる。


「よし、期待しているぞ」瑞珂はにっこりと笑った。「そなたの"頭の中の表"を、宮中のために使ってくれ」


「頭の中の表...?」思わず聞き返してしまった。


「白凌から聞いた」瑞珂は少し意地悪そうに言った。「そなたは頭の中で、すべてを整理しているそうだな」


「はい...その通りです」隠しようがなかった。


「それは異能いのうだろうか?それとも努力の賜物か?」


「おそらく...両方です」


瑞珂は納得したように頷いた。


「素晴らしい才能だ。宮中にとって貴重な宝だ」


その言葉に、心が温かくなった。


「ありがとうございます。力の限り尽くします」


尚書房に戻ると、霜蘭が待っていた。


「どうだった?」


「配置最適化計画の作成を命じられました。一ヶ月で」


「一ヶ月?」霜蘭は驚いた顔をした。「そんな短期間で可能なのか?」


「何とかなりますよ」私は自信たっぷりに答えた。「私には"頭の中の表"がありますから」


霜蘭は少し笑った。


「おまえは謎めいた女だな、勇姫」


その夜、清風院に戻った私は、小桃にも報告した。


「すごいです!勇姫さまってほんとに凄いんですね!」小桃は目を輝かせた。


「そんなことないよ」私は照れくさく首を振った。「ただ、前の仕事の経験が役立っているだけ」


「でも、配置表のおかげで、みんな働きやすくなるんですよね?」


「そうなるといいな」


寝台に横になり、天井を見つめながら考える。


「人員配置の最適化...か」


脳内スプシでは、すでにいくつかのシミュレーションが始まっていた。業務の特性、個人のスキル、時間帯別の必要人数...様々な要素を考慮した複雑な計算。


しかし、数字だけでなく、人の気持ちも考慮しなければ。誰と誰が相性が良いのか、どの仕事にやりがいを感じるのか...


「よし、明日から本格的に調査を始めよう」


前世では与えられた仕事をこなすだけだった私が、今は宮中の改革者として認められ始めている。


不思議な気分だった。でも、悪くない。

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