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エピローグ

——五年後——


春の陽射しが宮殿の広間に降り注ぎ、明るく活気のある雰囲気を醸し出していた。天輝殿てんきでんの中央広間は、今日も多くの人々で賑わっている。


「皇后様、今年の統計報告とうけいほうこくが揃いました」


年配の大臣が恭しく頭を下げながら、私——勇姫ゆうきに分厚い書類を差し出した。ただの書類ではなく、色鮮やかに区分され、図表が豊富に使われた「見える帳」の最新版だ。


「ありがとう」私は微笑んで受け取った。「各地方からの報告が全て集まったのね」


「はい」大臣は誇らしげに答えた。「『見える制度みえるせいど』の導入から五年。ついに全国六十八しゅうすべてからの報告が同じフォーマットで揃いました」


感慨深く、報告書の表紙をめくる。そこには美しく整理された統計データ。税収から民の生活状況、地方官僚の評価まで、すべてが一目でわかるように図解されている。


「素晴らしいわ」心からの感嘆を込めて言った。「これを見れば、国の状態がすぐに把握できます」


「すべては皇后様のスプシのおかげです」大臣は深々と頭を下げた。


私のスプシ——それは今や国中の「常識」となっていた。宮中の改革から始まり、瑞珂陛下の英断によって国政にも取り入れられ、今では地方行政にまで浸透している。


「皇后様!」


振り返ると、元気な声と共に小桃が走ってきた。以前は女官だった彼女も、今や透明院とうめいいんの主要メンバーとして立派に成長していた。


「どうしたの、小桃?」


「見てくださいっ!」彼女は興奮した様子で、一枚の紙を掲げた。「民間でも『見える帳』が広まっているんです!」


その紙には、首都の大きな商会が採用している帳簿のスタイルが描かれていた。私のスプシそのものだ。


「へえ、これは興味深いわね」


「すごいでしょう?」小桃は目を輝かせた。「商人たちの間で『勇姫式』って呼ばれてるんですって!」


思わず笑みがこぼれる。自分の名前を冠した方式が民間にまで広がるなんて、前世では考えられなかった。


「皇后様、陛下がお呼びです」


静かな声で白凌が近づいてきた。彼も変わらず忠実に宮中の警備を担当している。


「ありがとう、白凌さん」私は頷いた。「今行くわ」


◆◆◆


瑞珂ずいか陛下の執務室に向かう途中、宮中の様子を眺めると、五年前との違いに改めて驚かされる。かつては書類を抱えて右往左往していた女官たちが、今では整然と業務をこなしている。壁には色分けされたスケジュール表が掲げられ、誰もが自分の仕事を把握している。


執務室のドアをノックすると、中から穏やかな声が返ってきた。


「どうぞ」


扉を開けると、瑞珂陛下が窓際に立っていた。陽光に照らされた彼の横顔は、五年前より一層凛々しくなっている。


「陛下、お呼びでしょうか」


彼は振り返り、私を見るとすぐに笑顔になった。


「勇姫、来てくれたか」彼は優しく言った。「今日は特別な日だと思ってな」


「特別な日?」


「ええ」瑞珂陛下は窓から外を指さした。「見てみろ」


窓から見下ろすと、宮殿の前庭に多くの人々が集まっていた。着飾った商人や学者、そして地方からの役人たち。


「あれは…」


「『見える制度学会』の開催日だ」瑞珂陛下は誇らしげに言った。「そなたのスプシを学ぶために、国中から人々が集まっている」


驚きと感動で言葉を失う。前世でせいぜいスプシの使い方を同僚に教えるくらいだった私が、ここでは国中の人々に学ばれる「学問」を生み出したなんて。


「信じられないわ…」思わず呟いた。


「私は信じていた」瑞珂陛下は静かに言った。「そなたの知恵が国を変えると」


彼の言葉に、胸が熱くなる。


「さあ、行こう」彼は手を差し出した。「皆が待っている」


◆◆◆


前庭に設けられた壇上だんじょうに立つと、集まった人々から大きな拍手が沸き起こった。学者や商人、官僚たちが敬意のこもった眼差しで私たちを見上げている。


「みなさん、本日は『見える制度学会』にようこそお越しくださいました」


瑞珂陛下の力強い挨拶で、会は始まった。


「五年前、私の伴侶である勇姫皇后が宮中にもたらした『スプシ』という知恵は、今や国の隅々にまで広がっています」


拍手が再び沸き起こる。


「そして今日は、その実践者たちがここに集い、経験を共有する日です」


壇上から見渡す限り、様々な立場の人々が熱心に頷いている。前列には見覚えのある顔も。霜蘭そうらん、そして翠雨すいう。彼女たちは今や透明院の中核として、制度の普及に努めている。


壇を降りると、次々と人々が私に声をかけてきた。


「皇后様、我が商会は『見える帳』のおかげで、利益が三割も増えました!」

「村の税収管理に導入したところ、不正ふせいが激減したのです!」

「学問として体系化し、子供たちに教えています!」


嬉しい報告の数々。私のスプシが、着実に人々の役に立っているのだ。


ある年配の学者が恭しく私に近づいてきた。


「皇后様」彼は深々と頭を下げた。「伏水学院ふくすいがくいん陸明りくめいと申します」


「陸先生」私は頷いた。「お噂はかねがね伺っております」


彼は国内有数の学者で、私のスプシを理論的に研究している人物だと聞いていた。


「このたび、『見える学みえるがく概論』という書物を記しました」彼は恭しく一冊の本を差し出した。「皇后様のお考えを基に、理論化を試みたものです」


本を受け取り、ページをめくると、そこには美しく整理された図表と理論の説明が記されていた。私のスプシが学問として体系化されているのだ。


「これは素晴らしい…」思わず声に感動が滲んだ。


「皇后様の教えは、千年後の世にも受け継がれるでしょう」陸明は真摯に言った。「これは単なる手法ではなく、思考の革命なのです」


思考の革命。それは私がかつて社畜時代に夢見た言葉だった。誰かの役に立ちたい、何かを変えたい…そんな思いが、この世界では実現されている。


「ありがとうございます」心からの感謝を込めて応えた。「私にとっても、学ぶことが多い本です」


◆◆◆


その日の夕方、瑞珂陛下と共に星見台ほしみだいで一日の終わりを迎えていた。かつて初めて「君の未来を共に見たい」と告げられた場所だ。


「今日はさぞかし疲れただろう?」瑞珂陛下が優しく尋ねた。


「いえ、嬉しさの方が大きいです」私は微笑んだ。「こんなに多くの人がスプシを活用してくれているなんて…」


「予想以上だったな」彼も満足げに頷いた。「そなたの知恵が、この国を本当に変えた」


遠くに沈む夕日を眺めながら、私は感慨深く思いに耽った。


「瑞珂殿下」久しぶりに公の場以外で彼の名を呼んだ。「実は…私、信じられないことがあるの」


「何だ?」


「こんなふうに、私の知識が人の役に立つなんて」正直な気持ちを口にした。「前世…いえ、以前は、誰も私の仕事を評価してくれなかったのに」


彼はそっと私の手を取った。


「勇姫」彼の声は静かだった。「そなたの前世の話を、いつか聞かせてくれないか?」


彼の真摯な眼差しに、心が揺れた。瑞珂陛下なら、私の転生の秘密を理解してくれるかもしれない。


「いつか、必ず」私は微笑んだ。「でも今日は、この世界の幸せを噛みしめていたいの」


「そうだな」彼も微笑み返した。「我々にはまだ、多くの未来がある」


夕陽が山の向こうに沈み、夜の訪れを告げる。しかし私たちの前には、まだまだ明るい道が続いている。


「あのね」私はふと思いついたように言った。「次は『村政見える化計画そんせいみえるかけいかく』をやってみたいの」


「ほう?」瑞珂陛下が興味深そうに顔を向けた。


「ええ、遠い村々にも、このシステムを広げられたら…」私は夢を語った。「みんなが公平に、効率よく暮らせる世界が作れるかもしれない」


「素晴らしい考えだ」彼は心から賛同したようだった。「早速、検討しよう」


「本当?ありがとう!」思わず彼に抱きついた。


瑞珂陛下…いや、瑞珂は優しく私を包み込み、頭に軽く口づけた。


「これからも、共に歩もう」彼の声は愛情に満ちていた。「そなたのスプシと共に、より良い国を作るために」


「ええ」私は心からの笑顔で答えた。「これからも、記録し続けるわ」


星が輝き始めた空の下、私たちは未来を語り合った。前世では想像もできなかった幸せな日々。スプシスキルだけが取り柄だった社畜が、異世界では国を動かす皇后になり、その知恵が国中に広がる。


人生とは、なんて不思議なものだろう。


———


「これは、後宮でただ一人、"残業ゼロ"を実現させた女の物語である。」


そして今や、その教えは後宮を超え、国全体に広がっていた。


かつての社畜OLだった成海ゆきは、この異世界で真の輝きを見出したのだ。


スプシという、前世では当たり前だった知識が、この世界では革命を起こした。


そして、その革命はまだ始まったばかり——。


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