「ここだけの話、今年出立する退魔師たちの能力は例年以上に低くてね。まだ月魂で出会えずに返還待ちの者の方も言うに及ばず、だ。
いくら魔導杖と感応しているからといって、その者達を大国フライアルの王都守護に回すにはますます信用を失いかねないと判断されたんだよ。
恥ずかしいことだが、近年来の物価の高騰もあって宮の財政状況は厳しくて、ここはぜひとも幻聖宮の存在意義を示すに足る強力な退魔師を輩出して、各国に養育額の値上りを考慮してもらわなくてはならなくなったんだ。
そのためにも、せめてあの魔導杖を感応させるくらいでなくては、ということじゃないかな」
いつまでも鬱々と考えこまないように話してくれた内情なのだろうが、そのために特別の感応式が開かれるのだということよりも、それだけの能力が自分に求められているということが、セオドアには衝撃的だった。
そして、強力な力を持つ能力者が、いなくなってきているということが……。
もし、自分やマシュウにできなかったら、あの魔導杖は『月魂の塔』に収められるだろう。期日までに多分、1度くらいは大きな感応式が開かれるかもしれないが、フライアル並の大国の王都守護の魔導杖を感応させられるに足る能力者を、セオドアも、うわさにも知らなかった。
失敗したなら――この場合の失敗とは、他より抜きん出た才を持つ強力な退魔師をフライアルに送り出すことができなかったことを言う――財政難はますます深刻になり、幻聖宮の運営に支障をきたして、育てる候補者の数を制限することになるだろう。
金を出し惜しみ、その上で過剰に権利を要求をする権力者は、恥ずべきことだが確かにいるのだ。
そうして年々低下する退魔師の質と数は、そのまま魅魎の増加へとつながる……。
その恐ろしい光景が安易に想像できて、青冷めたセオドアの肩に、温かな現実を感じさせる手が触れた。
「そう萎縮することはないんだよ。きみにはそれだけの力があることを、わたしたちは知っているのだから」
至極穏やかな声とは随分桁外れな言葉に、目を丸くして彼を見返す。
「そ、蒼駕……?」
それはどういう意味なのかと、あとに続けようとして、口だけがばくばくと動いた。
「おや、自分のことなのに気がついてなかったのかい? アスール……きみの母親とも違う性質のもののようだけれど、強い力がきみからは感じられるよ。その力を受け入れられるだけの器ではないとして、反対に魔導杖の方が敬遠してきていたんだ。
けれどあの魔導杖はなかなかよくできたもので、他の物とは違うから、きっときみを受け入れるに足る器だと宮母さまは判断されたんだ」
終始淡々と述べる蒼駕の声はいつもにまして穏やかで、特段大袈裟なことを言っているように見えない。そしてそんな彼を見ていると、本当にそうなのかもしれないという気がしてきた。
本当に、そうだったらいい。
自分の力が蒼駕の言葉ほど強くなくても、せめて、あの魔導杖を感応させられるくらいの力があれば――そして、蒼駕と組むことができれば……。
途端、かあっと頭に血が昇る。
「どうかしたのかい?」
自分のした想像に、つい赤面してしまって、それと気付かれないようにと魔導杖を見続けるふりをするセオドアに、何らかを感じたらしい。
蒼駕からの問いにぎくりと肩を縮めさせ、
「いっ、いいえ! なんでもないです! なんでも……」
ぶんぶんと首を振って見せた。
馬鹿なことを考えた。
そう、これは馬鹿なことだ。蒼駕にあるのは保護者としての義務感だけなのだから。
前の操主であった母から幼い自分を託された、それ以上の感情は彼にはない。
自分も、いくら心細くとも、彼に頼ってばかりではいけない。
これは、恋じゃない。
いくら近いものであったとしても、それ以上に育つことがないと分かっている想いは、決して恋であってはならないのだ。
「なんでもありません」
きっぱりと言い切るにはまだ無理のあることだったが、セオドアは、とにかくいつもの無表情でその言葉を言うことができた。しかもそれはそれ以上の追及を拒む、きっぱりとした物言いだったために、きっと、蒼駕もだませたに違いない。
そんな彼女の姿を見続けるうち、蒼駕も渡す物があったことを思いだす。
「じゃあもうひとつ、きみの力になるお守りをあげようか」
重苦しい空気を入れ替えるように、蒼駕はすがすがしい声で、服のひだに隠れた隠しポケットから取りだしたそれを差し出した。
蒼駕の手から自分の手の上へと移ったそれは、大きな幅広の輪と小さな細い輪を乗せた、浅葱色の布だった。
「テディ、誕生日おめでとう」
にこやかに蒼駕が言う。
短い布は小さな輪と端がつながっており、おそらくこれは腕を保護するためのものだろう、左の二の腕で輪を固定し、親指と中指を布にあいた穴に通すと、ピタリと収まる。
では、大きい布とこの太い輪は?
どう付けたらいい物か、困惑してしまっているセオドアの手から抜き取って、蒼駕が付けてくれた。
「先のを左手にしたから、これは右にしようか」
それはどうやら足を覆う布らしく、幅広の輪は、膝の上の辺りで布を止めるためのもののようだった。
しかし、蒼駕に足元へかしずかれて何かしてもらうのは、まだ靴も満足に履くことのできなかった幼少のころ以来で、なんとも気恥ずかしいものがある。
「誕生日って、今日だったんですか」
この奇妙な、むず痒い沈黙をどうにかしようと、セオドアは緊張に裏返った声のまま切り出す。
だれであれ、この世に生まれた限りは誕生日があるものだが、物心ついたころにはすでに幻聖宮で暮らしていて、母親の顔すら覚えていない自分には、てっきり無縁のものだと思っていたことだった。
年始めの日、他の同じような境遇の孤児たちと一緒に合同誕生会を催され、
蒼駕に訊けば教えてもらえるだろうとは思っていたが、知ったからどうなる? と、その必要性を感じずに今日に至っていた。
「いや、本当は昨日だったんだよ。ただ、昨日は私のほうが何かと忙しくて、渡せなかったんだ。
遅くなってしまったね」
「そんな……」
「これはね、アスールの形見なんだ。生前、もしきみが退魔師になったら渡してやってくれと頼まれていた」
その言葉に、セオドアの目が大きく見開かれる。
「母さんの?」
「そう。安らぎの地へ赴いた血縁者の付けていた物を身に付けていれば、その者の魂が守護してくれるという風習がミスティア国にはあってね。それにあやかろうということだろう」
カチリと音がして、布止めの輪が止められる。
「似合うよ」
そうして一歩離れて自分を見る蒼駕は、過ぎてしまった遠い昔の幻影を自分に重ね見ているようで……。
セオドアは、一層複雑な思いに胸をふさがれることになったのだった。