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第5回

☆魅妖の館


「おやまあ」

 ルビア、とつい昨日まで人間たちに呼ばれていた街の中心にある、豪華で瀟洒な外観を持つ館に築いた緋色の玉座にほおづえをついて腰かけながら、女とおぼしき者が、溜息のように言葉を発した。

 覚しい、というのは、その並外れた美貌のためである。

 さながら黄泉よみを覆っていると言われる深淵の闇を凝縮したような瞳と、そして対照的な金灰色の長い髪。加えて完璧なまでに整った美麗な面といい、到底何の力も持たない弱者には持ち得ない、まがまがしい力に満ちあふれたれた凄絶な美貌は、見る者に恐怖すら抱かせるだろう。


 『優しさ』『あたたかさ』などという、心を和ませる善の感情一切を完全に捨て去り、執着を微塵も残さなかった者だけにふさわしい、それは切れ味鋭い刃を思わせる、冷酷さを備えた美である。


 それ以外の形容を思い起こすことすら拒絶した、徹底した排除を成功させた者。

 女性の体特有の丸みは失われていないものの、その完壁な面から甘やかという風情が失われているせいで、総体的に中性な雰囲気がある。


 もっとも、強い力を保持する者だけが権勢をふるまえる世界に生きる者として、たかが性の違いなど本人は歯牙にもかけてはいないだろうが。


 そして今、その足下に大きく口を開いた底なしと思えるほどの闇に、をねじまげて作った空鏡を配置し、それを横目に覗き見ながら女は優雅な仕草で指を振る。途端、それまで彼女の移り気な性質と同じでくるくると、さながら万華鏡のごとく絶えず変化していた街の光景が止まった。

 空鏡は街中を走る2人の人間の姿に固定して、自らの力を女主人に対して誇示するように、さらに鮮明に映しだす。


「さっそく私の招待に応じてくれたがいるみたいね」


 空鏡の面を見てつぶやくその言葉は、まるで物以下を差す響きをもっていたが、声には先までの平淡さはない。

 女は、高窓から差しこんで自分を照らす、脆弱な月の光すら吸いこんでしまったような闇色の瞳を細めると、クッと喉で笑った。


 空鏡に映るこのものたちは、間違いなく退魔師だ。なんと絶好の獲物だろう。


 嘲る目で、空鏡内を見下ろす。

 実際、このささくれた棒のように荒れて、なだめきれない感情を、女はもうずいぶんと長い間どうすることもできずにいたのだ。


 じめじめとした、決してこころよいとはいえないこの感覚へのいら立ちを一時まぎらわすためだけに、この街を襲った。


 中へ入るのは簡単だった。退魔法師たちによって張られていた結界は、確かに普段であれば手古ずるものであっただろうが、この時、運すらも彼女のものだった。


 真昼時、幻聖宮からの転移の波が、それ自身の守護結界も張らずに街の中へ渡っていた。

 奇跡と言っていいほどに、まずあり得ないことだった。そのことに面食らい、次いで、その不意をついて胸の中へ入りこんできた『驚き』という感覚が、ずっと自分を支配していた不快感をほんの少し追いやったことに驚いて、ますますこの街へと興味を引きつけられた。


 それ以外の感情を思い出したのは本当に久しぶりだった。怒りという癇癪すらも、その感覚の前では無に等しかった。


 無防備な転移波に乗り、結界を抜けて転移鏡よりこの姿を見せたとき。その場にいた人間どもの間の抜けた顔を見たとき。わずかだが心が高ぶった。

 浮き立つような気分で宙から人間たちを見下ろす。


 しかし彼女を満たし、満足させてくれていた胸の高揚感は、次の刹那にむしり取られた。


 たかだかこの姿をその眼前に現してやった、ただそれだけでいともたやすく凡庸な輩はおびえ、逃げ惑うのだ。

 街のものも砂漠のものも、身を纏う物に違いこそあれ、中身の凡俗さには変わりない。

 数百年の昔から代わり映えせず、攻撃アリのような退魔師どもを排除してしまえば、愚かな虫けらはわずかな差恥心も投げ捨てて、わが身大事と、わらわらと逃げ出す有り様だ。


 混乱し、恐慌状態へ陥ったあげく先を争って自滅さえしてゆくその見苦しさには、失意しかない。


 それにより、女の中にあった不快感を解消してくれる彼らへの寛大な気持ちは、津波のように沸き上がる腹立たしさによって、瞬く間に飲まれた。


 150年だ! 150年もの間、ずっと胸の中に沈澱し続けていたこの感覚を、少しはまぎらわせられるはずだったのに!


 期待を裏切られることは、あざむかれることよりも嫌いだった。

 しかも人間などという低劣な輩が自分に対してそれをするなど身のほど知らず、おこがましいにもほどがあろう。


 それが己の勝手な思いこみによる産物であり、されるほうにはたまったものではないなどということは、彼女には何の意味も持たない。


 身勝手・独りよがりなどという自覚は、魅魎にはないのだ。


 己の生死を決めるのはたやすく揺れ惑う脆弱な意思などというものではなく、身に備えた能力の強弱だ。

 力の弱い者がより強い者の支配下にあり、己が命の保護のために足元へかしずくのは至極当然のことで、わざわざ強者が弱者のご機嫌取りをする必要がどこにある?


 罰だ! と、女はわざと子どもを選んで殺した。高慢にも立ち向かってくる男は殺したが、逃げる男どもの姿には見ないふりをし、その上で女は全て捕える。

 実にくだらないが、その方法が生き残った人間たちの心をさらに傷つけることができるということを知っているからだ。


 人間は、己のしたことに醜く苦しみ、自分の無力さを呪う姿が一番ふさわしい。


 そうして半壊した街の所々に倒れた死体には、低級な妖鬼の命を吹きこんだ。

 人の衣を纏った貪欲な妖鬼は、そのものの心臓に宿っている生気どころか、被った皮1枚を残して腐肉を喰らい尽くすまで放れない。


 あの醜い、かけらほどの知能もない腐った肉に群がる矮小な輩には、たとえ子どもといえど人1人の生気は豪勢すぎて、さぞや手に余ったことだろう。

 そうしてじわじわと己の体と生気が喰われていくことを魂で感じ取れ。肉体の死が魂の解放であるなどという考えが自分たちにとって都合のいい、とんだ思い上がりでしかないのだとあの虫けらにも劣るものたちにその身を持って教えてやるのだ!


 しかしそれだけで女の150年に渡って蓄積された欝屈が、きれいに消滅するはずがなかった。


 そこで女はあることを思いつき、そしてそれによって起こる感覚がせめて自分のほうから飽きるほどには続くように、わざわざ街を元の形へと戻すことにしたのだった。


 だが無能な人間の創造した街の建造物は、どれもまるで優美さからはかけ離れており、女はその汚さや醜さに閉口した。

 いっそのこと、虚数空間に構えてある自分の宮殿と同じに見目良く華やかで、より優れた物に造り変えてしまおうかと何度思ったか知れない。

 実用面を重視していると口々に言う人間どもの、なんと厚顔なことか。砂漠より運ばれる砂埃すら満足に払い切れず、1日放っておけば半分は侵食される、この街の一体どこが実用的だというのだ?


 いくらあとの楽しみのためとはいえ、こんな街を修復してやらなくてはいけないとは……。


 つくづく理不尽なことだと気分を害しながらも、妖鬼どもではどうにもならない大きく壊れた箇所だけ戻してやった。

 ただ、しばらく自分の身を置かなくてはならないこの館だけは、元の貧相な姿に戻すことに堪えられず、内部に多少なりと手を加えたが。


 それでも長い年月における、風砂の侵蝕によってひなびてしまっている部屋ひとつとっても不服は山ほどに残っている。ここで満足を得るには根本から造り変えねばならないとなっては気もそがれ、ひとまず座したところへこの2人がやってきたのだった。

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