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第4章 魅魎の罠

第1回

●幻聖宮・東館


 突然起きた、足元を突き上げるような縦揺れとともに夜の闇を真昼に変える白閃がルチアのいる天幕を貫いて天までも伸びているのを見て、セオドアは今あの場で何が起きているのかを瞬時にさとり、身を強張らせた。


『テディ? 何か起きたのかい?』


 緊迫した思いが伝わってしまったのだろうか、蒼駕の心配する声が聞こえてくる。


「蒼駕、とにかく1週間……いえ、5日でいいです、絶対帰りますから感応式の件、待ってもらえるよう宮母さまにかけあってください。どうかよろしくお願いします」


 それを最後に、通信は一方的に断ち切られた。



◆◆◆



 幻聖宮・東館の転移鏡は再び静けさを取り戻し、セオドアの気配はもうどこからも感じ取れない。

 ほうっと息をつくと鏡面にあてていた手を外し、蒼駕は視線だけを背後へと向けた。


「出てきたらどうかな?」


 入り口に向かって声をかける。人のいる気配はないために、それは確証のない独り言のように見えたが、そこに人がいると確信し、しかもそれがだれかということまで察しているように、蒼駕はにこやかなほほ笑みを浮かべて振り返った。


「通信は切れたよ。もうテディには聞こえないから、出てきなさい。

 それとも、名を呼ぼうか?」



「……べつに、あの娘を避けてたわけじゃないわ」



 蒼駕の確信に負けたというように、突っ張った返事が入り口の壁の向こうからしてくる。が、それでも声の主はその姿を見せようとはしない。


「ただ、お邪魔かと思っただけよ。どうやら呼ばれてたのはあなただけだったみたいだし、あたしはそんなあなたのあとをつけてきただけだもの」


 その強がる言葉に、蒼駕も視線を伏せる。


「責めるつもりはないよ。そうしてあの子のことを気にかけてくれているだけで、十分だ。

 あの子も少々軽はずみなところがあるからね。きみが手を貸さなくとも、結局くぐっただろう。だからこれは、確認のために聞かせてほしいんだ。

 どうしてあの娘の背を突いたんだい?」


 待っても、その問いに対する答えは返ってこなかった。

 どうせこれも分かっているのだろうから答える必要はない、ということだろうか?


 ふう、と息をつく蒼駕の前に、突然紫紺色の髪をした少女がその身をさらけ出すように現れる。

 激しく燃え、光線の違いで金にも見える、強い琥珀こはくの瞳で彼を真正面に見据え、彼女は内の激情を解き放った。


「あたしは後悔なんてしちゃいないわ! それに、もとはといえば、あなたが仕掛けたことよ。そうじゃない? あなたが教えなきゃ、あたしは今度のことは知らなかったんだから!」


 炎のように苛烈な、苛立ちのこもった言葉が、顔面に叩きつけるように飛んでくる。


「あたしはね、誓ったのよ、絶対手に入れてみせるって。そのためならどんなことだってしてやるわ! だれに何と言われたってかまわない! どんな妨害だって蹴散らしてみせるし、それこそ邪魔しようとするやつなんかいたら、殺してでも排除してやる!」

「マシュウ」


 独占欲は誰にでもある。恥じることではないが、それは言葉にしすぎだと蒼駕が自重を促すようにその名を呼び、手を伸ばす。

 その手が自分に触れる前にはたき落として、マシュウはくるりときびすを返した。

 そのまま出て行こうとして、入り口でピタリと足を止める。


「……命を、軽んじてるわけじゃ、ないわ。ただ、どうしても駄目なの。あの人が……碧凌みりょうがいなけりゃ、あたしの『これから』なんて意味ないのよ。

 あたしは、あたしのために、あの人を手に入れるわ。必ず。これだけは絶対に邪魔されたくないの。

  だって、好きなんだもの……!」


 そう言い捨て、走り去って行く。彼女を呼び止めようとはしなかった。

 確かに持ちかけたのは自分だが、乗ったからには共犯者だ。なぜ自分の言葉を信じず約束を破ってまで勝手に動いたのかと言ったところで彼女は盲愛を理由に返してくるだろう。


 守護結界を張っていない転移波に落とすことがどれほど危険なことなのか、彼女は知らなかった。今回、あの子は途中で断ち切られただけですんだが、最悪の場合、気を失い無防備でいた転移中を魅魎に襲われたかもしれなかったのだ。


 一筋の光も存在しない虚空を走る転移波は目立つ。どのような距離からであろうと輝きを放つ道は、魅魎にはさぞ好ましい光として映ったに違いない。


 それを彼女は知らなかった。

 その無知さを責めるわけにはいかない。転移鏡についてのカリキュラムは感応後であり、責めるべきは立入禁止区域へ忍んだことだけで、彼女のした行為を責められるのは、あの子だけだ。


 彼女は聡明な女性だ。たとえどういう結果を招こうとも、その行為に対してもっとも辛い罰を課すのは他ならぬ己自身であるということを知らない女性ではないだろう。


 言う通り、彼女はおそらく悔やまない。その若さと熱情ゆえに。


 やれやれ、と息をつく。

 知らない間に、どうも変な方向へ走り出していたようだ。どう見てもあの魔導杖はテディの器には力量不足だし、他の者たちがそうと気付いていないことを幸いに、自分はただ、何かと過激な彼女の目をテディからそらしてやるためと……そしていつまでも煮えきらない友のために、ちょっとしたきっかけを作ってやったつもりだったのだが。

 まさかあの子を危ない目に合わせることになるとは予想外だった。

 しかもどうやら相手は街一つを1夜で落とした魅妖……。


 助けに行くべきだろうか、との考えは打ち消す。

 それではいつまでもあの子は自分の保護下から抜け出せない。依存心を持っていては、到底魔断を従える退魔師にはなり得ないだろう。

 力を内包する退魔師とその媒体である魔断は、精神面において同等位でなくてはならないのだから。


 「信じるしかない、か……」


 ぽつり、声にしてみる。

 あの類い希な瞳――碧翠色の瞳が、自分の信じたものであることを。


 何より。

 わが操主・アスールの生んだ、自分の育てた退魔師である、セオドア。

 そのことを信じよう。


「無事に帰っておいで」


 こちらのことは全て任せていい。きみは、きみにできることを精いっぱいがんばりなさい。



 そっと眩いて、蒼駕は行動に移るべく部屋を出て行った。

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