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第4回

「カ、カナン? ……カナン!」


 突然、人の壁をかきわけて初老の男が飛び出してきた。

 ルチアと、そして死んだカナンの姿に、男はその光景を信じられないと、ゆるゆると首を振るや涙をあふれさせてカナンへと走り寄った。


「カナン!おいっ、カナン! わしだ、父さんだ。早く目を開けろ! 開けてくれっ!」


 肩を取り、揺さぶるがカナンは答えない。血の気の全く失われた、青冷めた肌をして、抱き上げた腕の中でかくりと喉を伸ばしたきり、何の反応も返ってこない体にようやく彼女の死を現実のものとして認識して、そして男は胸で押し包むようにして強く彼女の体を抱きしめた。


「カナン……カナン、カナン、カナン、カナ……」


 聞く者の胸を裂くような、悲哀に満ちた鳴咽が続く。


「おまえのせいだ!」


 すすり泣く、その目がやがて怒りに燃えて開かれる。ルチアへ向き直り、男は叫んだ。


「おまえが娘を殺したんだ! 助けられる力を持っておるくせに……助けられたくせに、おまえは、わしの娘を見殺しにしたんだ!!」

「なっ――」


 違う! 彼のせいじゃない! 彼は彼女を救おうと、傷ついた体で精いっぱいやったんだ!


 そう言い返そうとしたセオドアを、ルチアの静かな瞳と肩に置かれたエセルの手にこもった小さな力が止めた。


 何を言ったところで意味はないのだ。もう終わってしまった出来事に対してどう言い訳をしても、失った者の慰めにはならない。ましてやそれが、2つとない、かけがえのないものであるのなら、なおさらに。


「おまえのせいだ! おまえのせいでカナンは死んだんだ!

 こんなことになるのなら、おまえなんかに娘を任せるんじゃなかった……退魔師なんかに……カナン……」


 男は言葉を失った。

 震える指で娘のほおをなぞり、その体から失われゆくぬくもりを取り戻そうとするように、娘の亡骸をかき抱いてむせび泣き続ける。


 悲しい出来事だったが、一方でこれは、厄介な希望を街の者たちに抱かせる結果となった。


 女たちは殺されたのではなく、街に捕えられているだけかもしれない。その証拠に、彼女の体は――少なくともきれいな体が――ここにある。

 妻、恋人、母親……大切な者が、街でまだ生きているかもしれない。


 いや、きっと生きている!


「……助けに行かなくちゃ……」


 もしやと怪しんでいた言葉が、弱々しいが確実に人垣の中から聞こえてきたことに、エセルが小さく舌打ちを漏らす。


「助けないと、カナンさんのように殺されちまう……!」

「そうだ! 今度こそ、一緒に連れて逃げるんだ!」


 口々に男たちが声を上げる。それが熱い叫びとして全員の口から発せられたとき。

 たえられずセオドアは叫んでいた。



「黙れ! 無茶を言うな! 魅魎について、何ひとつ知らないくせに!」



 怒気をはらんだその声に、一同がしん、と静まり返る。


「ただの一般人でしかないおまえたちに、一体何ができる? 相手は魅妖、人をたった指のひと振りで殺せるようなやつだぞ! 人の心を下劣な虫けら以下としか見ていない、殺したところで何とも思わないやつだ! そんな化物におまえたちが束になってかかっていったところで、誰一人触れることもできないに決まっているだろう!」


 怒りといらだちのこもったその言葉に、だれもが気後れた。


 彼女は彼女なりに必死なのだろう。誰も殺させたくなくて、自分のせいで死ぬ人をこれ以上増やしたくなくて、必死なのだ。

 それは分かるが、しかし彼女の言葉には常に不足がつきまとうために、それはいつになく辛辣な言葉となって、事実というこぶしを用いて夢にすがっていた男たちの心をますますいためつけることとなってしまった。


 彼らはずっと悔やみ、恥入っていたのだ。妻、子ども、きょうだいたち。自分だけ助かろうと必死になり、大切に思っていたはずの者を残してきてしまった。あるいは、助けようとしたが目の前で失い、恐怖にかられてその場から逃げてきてしまった。


 その胸をむしばみ続ける苦しみと、誇りを自ら汚した卑屈さが、到底セオドアに理解し切れるはずがなく。むしろ、彼等の内で黒くくすぶっていた被害者意識が、彼女への苛虐意識へと傾いてしまった。


「……ずいぶんえらそうなこと言ってくれるじゃないか」


 一歩前に出た男が憎々しげに言ってくる。


「俺はな。知ってるんだぜ? あんたらが水路から出て来たときから見てたんだ。もちろん天幕ん中の話だって聞こえたさ。俺ぁ耳がいいんだ。いくらちっせー声で話してたってな、幕に耳あててりゃ一発さ。

 そうさ、俺はちゃあーんと聞いたんだぜ。あんたのせいで、俺たちの街は襲われたんだってな」


 盗み聞きをしたなどと、決して胸を張って言えるものではないというのに、意気揚々、得意気にさももったいつけて男が言う。


 その言葉は事実だったが、どうやらこの男の本性に起因しているのかまるで真実味のない、全てが男の作った絵空事のように皆の耳を打ったらしく、このときはせいぜい訝しんだだけで、周りのだれも、それを鵜呑みにしようとはしなかった。

 ただ一人、セオドアだけが、その言葉に一瞬で凍りついてしまったが。


 言葉を失って青冷めたままの彼女の無言の態度に、男の口にしたそれが真実であると悟った者たちが、途端非難の言葉を叩きつけ始める。


「まさか、本当におまえのせいだっていうのか?」

「クソッ」

「疫病神!」

「魅魎の手先め!」


 そんな酷い言葉がちりばめられた口汚い罵りに、セオドアは耳をふさぐことも言葉を返すこともできないまま、歯を食いしばってぎゅっと目を閉じた。


 これは当然のことなのだ、と。

 それだけの事を、自分はしてしまったのだ。石を投げられ、棒で打たれても仕方のないことだ。

 彼らの身内を殺したのは自分。大切な者を失わせ、平和を奪ったのはすべて、この浅はかな自分なのだ。

 どんな言い訳も、その意味を成すことはできない。どんなに詭弁を弄しようとも繕うことはできない。

 起きてしまった事実が変わることは、永遠にないのだから。


 魅魎から護らねばならない自分が、反対に魅魎を呼びこんでしまったなどと……知らなかったでは到底すまされない惨劇を、自分は招いてしまったのだ。たとえこの場で八つ裂きにされ、殺されても、何一つ文句は言えない。


 彼らが死による償いを望むのであれば、すべてを終えたのち、それに従おう。


 そう思い、伏せていた目を開こうとしたときだ。

 いきなりセオドアを庇う声が、彼女のすぐ近くで起きた。


「それくらいにしておくことだな」

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