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第7回

 まったく変な男だと、今さらに思う。


 黙って立っていれば女ならだれもが放っておかないほど見目良い容姿をしているのに、こう言うのもなんだが、中身である性格のほうが容姿を裏切って正反対というか、まるで不似合いで、そのせいか、想像もつかないほどいい加減に見える。


 何にもとらわれず瓢々ひょうひょうとしているとでもいうのか……まるで周囲で起きるすべてが自分には全く関係のない他人事のように、いつもいつも自分のおかれている状態を重視しておらず、むしろすべてが絵空事だとでも思っているような……。


 かといって、変なところで物事に冷笑的というか、厳しい面があるから、根っから楽天観の持ち主とも思えないし……感情の切り替えが早いだけで、捉えようのない性格、というほどでもなさそうなんだが。


 妙にそぐってない、違和感を感じる。


 何より、この最悪の事件の根本に関係してしまった一般人としては、己の身の安全を心配をするのが普通なのに、一体その目的は何なのかを勘ぐりたくなるほど自分にまとわりつくのが一番分からない。


 そういえばずっと訊こうとして忘れていたが、なぜこんなわたしはよくて、あの朱廻だと不愉快になるんだ? 普通反対じゃないか?

 ヘマばかりやらかしたどうしようもないやつより、有能で優しく、かつ非の打ち所のない者の方がずっと好感が持てるじゃないか。


 わたしが女で朱廻が男だから、という単純な理由でもなさそうだし。本当に分からない。

 大きな借りがある以上、あまり無碍むげにもできないが……ああそういえば、街で1度聞いたことがあったな。わたしが死ねば、あの高額の弁償金がもらえなくなるって。

 そうか、そうだな。そういうところでは、まだ信用がおけるか。


 それに、わたしが自信をなくして万が一退魔師になることを辞めようとしたなら、あの額だ、一生かけても返済完了の見込みはないし、ここで死んだりしたらなおさらだ。だからいろいろ気を使っているというわけだ。


 昨夜の優しさもそれだと思うと、なぜか胸が重くなった。

 あの達者な口に騙されたような……なんとなくすっきりしない気がする。


 朱廻とルチアのいる天幕を前に、またふさぎこみかけた心を奮い立たせるようにして入り口に手を伸ばしたとき。その先に現れた指が、内側から布をめくり上げた。


「ああ、ちょうどお呼びしようとしたところでした」


 疲れきった姿を隠そうともせず、朱廻が言ってくる。


「何かあったんですか?」


 その、あまり芳しくない顔色を気遣うセオドアに、朱廻は何も答えず、ただ前を開けただけだった。 

 促されるままくぐり、一歩中へ踏み入った瞬間、セオドアは一段と濃くなった瘴気に口元を押さえる。

 落とした視線の先を、何か小さなものが走り抜けていく。途中、4つ足の獣のような足を止めて自分を振り返ったそれは、手のひら大の大きさしかない妖鬼――いや、それほどの力もない、化生けしょうだった。


 こいつは一定の空間で妖気が飽和したときに生まれるやつだ。このような濃い瘴気の中でしか生きられない、何の力も持たない、たわいのない生き物。それが、よく見ると天幕の内のいたる所にいて、ジジジと鳴いている。


 急ぎ奥へ目を向けたセオドアは、何重にも敷かれた敷物の上で仰向けになったルチアが、化生が胸の上に乗るのを許してしまっているのを見て、急ぎ彼のもとへ近寄った。


 天幕を出る前、瘴気の塊に蝕まれていた体でも、なんとか燐光のようにほのかに発光していた命の輝きが、今はもうまるで視えない。

 目を閉じた、蒼白した面に死の影を感じる。


 セオドアの輝きに気圧されて、化生たちは輝きの届かない天幕の隅の闇へとあわてて散っていった。


「ルチア!」


 そんなものどもには見向きもせず、まっすぐルチアを覗きこんだセオドアに応えるように、ルチアのまぶたがゆっくりと開かれた。


「ルチア……」


 生きている。よかった、まだ生きていた!


 決して回復しているとは言えない、むしろますます侵されて悪化の一途をたどっているだけなのだが、セオドアは彼の命がまだこの世にある、それだけを感謝してシーツに額を押しあてる。

 けれど、次の瞬間、彼女の喜びは粉々に打ち砕かれた。


「セオドア……そこにいらっしゃるのですか?」


 つぶやく、ルチアの茫乎ぼうことした両目はセオドアの肩の上を抜けてただ宙を見つめ、セオドア自身を見ようとしないどころか、焦点すら合っていない。

 まさか、と再び胸の中で警鐘のように鳴り始めた、緊迫した冷たい不安を確かめようとその榛色はしばみいろした瞳を真正面から覗きこみ、そしてセオドアは確信した。彼の瞳がもはや鈍く虚ろな光だけを放つ、ただの飾り物となってしまっていることを。


「そんな、ルチア! 目が……」


 ゆっくりと寝返りをうつ、ルチアの指が目元へと触れる。


「不調が続いたとき、一番弱いところに出る、あれです。これ自体は一時的なものですよ……」


 もっとも、元に戻る確証はありませんけれど。


 そんな、ようやく聞こえる細い声で、まるで、なんでもないことのように口の端に笑みらしきものまで浮かべて言う弱々しい姿をとても見ておれず、セオドアは顔を伏せた。


「こんなときまで……! こんなふうになってまで、わたしを気遣うようなことは、どうかしないでください……。

 しないで、いいんです……」


 たまらず、声が涙ぐむ。


 わたしは、あなたから与えられる優しさを受け取る資格のない人間なのですから……。


 鳴咽おえつ混じりにそうつぶやくセオドアの頭に、愛おしむように触れてぽんぽんとたたくと、ルチアは顔を上げさせた。


「泣いてはいけません。あなたは退魔師となるべき人なのですから。私たちの涙は、結果を悲しむためにあるのではなく、障害を乗り越えるためにあるのです」


 そう言って、ルチアは確かに笑いといえるものを作った。


「セオドア。私がまだ『私』であるうちに、あなたに話しておかねばならないことがあります」


 その言葉を聞いた瞬間、セオドアの胸は大きく脈打った。

 闇の傷に侵されて死んだ者の魂は『魄』となり、永遠に安らぎの地へは行けない――。


 退魔師に隠したところで無駄なのは知っているが、冗談でも今のルチアには口にしてほしくない言葉だった。


 彼の身をむしばみ続ける酷い痛みと苦しみ……そして、愛しい者を目の前で失ったことを思えば、彼にこの地に留まることを望むのはわがままかもしれない。こんな体になるまで皆を庇い続け、そうしてもし生き残れたとしても、もう闘うことはできないという、これからのことを思うと、その苦しみに堪えろと言うことさえはばかられた。


 ただ、彼自身がそう望んでくれること。どんな苦しみが襲おうともひたすら生きることを選んでくれることを願うしかない。


「どういう意味です?」


 見えない分、声に過敏になっているルチアに悟られることのないよう努めて言うと、それは感情の薄れた分、誤魔化すことを許さない鋭さをもった言葉となってしまった。


「……言葉のとおりですよ」


 勢いに押されたのかためらいがちに返しながらも、それ以上の追及を拒むようにルチアは上を仰いで息を吸う。

 そうして力を蓄えるように、しばしの間をあけ、話し始めた。


「人は、この世界において、一体何なのでしょうか……」

「……は?」


 唐突な話題の転換についていけず、一瞬遅れて間の抜けた声を返してしまう。

 ルチアは独り言のように、先を続けた。


「大陸の6割以上を砂に覆われたこの世界。どんなに防こうとも必ずやってくるその侵食に住む場所を追われ……。熱波や風砂に作物をやられ、飢えることもよくあるんですよ。

 この世界は決して、人に優しくはありません。この枯れた地で、何の力もない人が生きることはただでさえ難しいことなのに、魅魎という存在に命をおびやかされる……。

 こんな世界で生きるにはあまりに未熟な、この脆弱な体では、私たちのように魅魎に辛うじて対抗できる者も少ないこともあって、大半の者は魅魎にとって恰好の食物です。

 人が獣を食するように、魅魎に食するな、とは誰にも言えないのではありませんか?

 しかもそれが、天神によって配された私たち人間のさだめとしたら……」

「何、を馬鹿なことを……おっしゃるのですか……」


 まさか、もう影響が出ているのか……?


 本気としか思えない、安らいだ面で淡々と語るルチアに、セオドアは言葉を失った。

 判断に途惑っているセオドアに向け、ルチアはほほ笑んだ。


「私たちは、玩具なのだそうですよ。

 あの魅妖にとって、私たち退魔師はきっと、永遠に近い長い年月を過ごす間の、退屈しのぎのおもちゃなんです。

 今度のことも、おびえて震えるだけの人形のような人間よりは、力がある分多少なりと歯ごたえがあり、けれども決して自分がやられることはないという自信によって起こした、ただの遊びということでしょう。

 自らの優越感と苛虐意識を刺激して、満足するためだけで、ここの者たちが生かされているのも、ひとえに救助に来る退魔師をおびき寄せるための、餌でしかない……」

「そんな……!」


 そんなばかな!


 セオドアは叫ぼうとしてカラカラに渇いた喉につまり、声にすら出せなかった。


「強大な力を持ち、不老である魅魎の過ごす日々は、限られた命しかない私たちには到底想像もつかない年月なのでしょうね……。

 そういうものから見れば、瞬く間に老いて死んでゆく私たちはあまりに脆く、とるに足らない存在なのでしょう。

 ましてや、そんな者が命を渋り、大切に重んじているなど、滑稽こっけいに見えるのではないでしょうか……」


 感情の一切を消した声でルチアがつぶやく。その前で、セオドアはこみ上げる怒りのせいで起きている、胸を握り潰されそうな痛みに堪えようと、息を千切れるように小刻みに吐き出した。


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