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第3回

「セオドア!?」


 歩路から外れ、水面に向かって背中から落ちかけたセオドアの耳にエセルの驚きの声が届く。

 セオドアもどうにかして踏みとどまろうとしたが、もう立て直すことはできないほど体は後傾してしまっていた。


 そのまま平衡を崩し、後頭部から一直線に背後の水の闇へ倒れ込む。冷水をかぶることを覚悟して、膝下までもない水路の底から頭部を庇うべく後頭部に左手を回すと同時に、彼女の体は靴先まで完全に水の中へと沈みこんだ。


 くの宇型になった体に、セオドア自身驚く。


 身を切るような冷たさは、ある。ただ、ここが水の中であるという感覚がまるで感じられない。膝までもないはずの場所が、まるで底なしのようにずぶずぶと体を沈ませていくのだ。


 周囲に水は一滴もない。髪一筋濡れてはいない。

 そのかわりに、身に覚えのある、あの、何か弾力のあるものの中を通り抜ける――それが通り過ぎる際に、自分の体の内側を通過していくような――ザラリとしたいやな感触が全身をなぶっていく。


 続くように、体の芯まで凍るような極寒が襲ってきたとき。ようやくセオドアは、ここがどこであるかをはっきりと悟った。


「朱廻……!」


 これを――――


 真上に開いた穴から覗きこむように自分を見ている朱廻へ向けて破魔の剣を放る。その意図を察した朱廻の手が、穴を抜けた鞘をうまく横につかみ止めてくれた。瞬間、セオドアの肩にがくりと落下をくい止める衝撃がくる。が、そのことにほっとする間もなく次の刹那、セオドアの右手にかろうじてからみついていた剣帯の革紐がすべり解けた。


「セオドアさま!」


 再び下へと落ちこんでいくセオドアに向けて朱廻が叫ぶ。

 なんとかしようにも手の届く域を抜けてしまっている以上、もう引き上げようがない。


「チッ」


 開いた間隙は固定されない限りすぐにふさがってしまう。その直前、舌打ちひとつでエセルが飛びこんだ。


「こう――」


 エセルに向けて朱廻が何事かを口にしようとする。けれども彼の体が抜けるとほぼ同時に空間の裂け目は閉じてしまったため、言葉を止めた。何より、なぜこんな場所でいきなり間隙かんげきが開いたのか、2人と代わるように現れた新しい気配に否応にも朱廻は悟らざるを得ず、それに対処するべく構えねばならなかったからだ。


 自分が身動みじろいだせいで水面に生まれた2つの波紋。互いを相殺しながら広がっていくその先に、新たに波紋を投げかけた者が、いた。



「冰巳」



 金灰色の髪と対照的な闇色の瞳。

 すらりと伸びた脚を優雅に組み合わせて。


「主人のものに手を出そうだなんて、いけない子ね」


 ガラスが縦割れするような、キン、という音とともに、冷艶なる美貌をたたえた魅妖・漣がこの場へとその姿を現した。

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