●宝 物 庫
「なんでおまえまで来るんだ」
撫然とした顔で言ってくるセオドアに、
「つきあい、つきあい」
エセルは緊張感のかけらもない声で笑ってそう答えた。
にこにこ、にこにこ。そのままずっと、笑い続けている。自分から飛びこんだせいもあるだ
ろうが、少しも周りに頓着していない。
どこまでふざけたら気が済むんだ、この男はっ!
ただでさえ気が張り詰め続けている中、ふざけた態度が逆鱗に触れ、怒り心頭に欲し。芯から熱くなっているせいか、以前ほど寒さを感じない。
しかし不幸にも、それによって生まれた余裕が、彼女をますます悩ませることになっていた。
「いいか? ここは
幻聖宮のお荷物と言われて過ごした2年の間に
そういうことには敏感なエセルも、それとちゃんと見抜いていてか、
「うん、そうみたいだな」
などと素直な返事を口にしてはいるものの、やはり全然あせっている様子はない。むしろ、
「凄いなあ、何もないのに浮かんでる。足場の感覚もないそ。呼吸だってできてるし……なあなあっ。俺たち移動してるんだろ? どうして外の景色が見えないんだ?」
と、数秒後にはこれだ。
こっちは魅妖の仕業だということに、胃が痛くなりそうだというのに。
ああ、それだけじゃない。この、慢性胃炎になりそうな胃痛の原因の1つは、絶対こいつだ。
朱廻と引き離された、その意味が分かっているのか? この脳天気男は。
生まれてこの方深刻な悩みなんて1つもかかえたことがありませんといったような、お気楽な顔しやがって。
「……外部との、時間の流れの差異のせいだ」
いくら魘魅がいたからといっても、どうせなら朱廻と一緒にあの場に残っていてくれたほうがずっとよかった。魅妖の罠にはまってしまった自分といるより、まだ生き残れる可能性があるのに……。
こいつのことだからきっと、朱廻が気にいらないからとかいう低次元の判断で、あとのことなんかまるで考えずについてきたに決まってる。
ちらと目を向ける。エセルがまるで、今のプレッシャーが、要らない口をつけて具現化しているように見える。
「ふーん。……って、つまり向こうの空間だと一瞬の出来事ってことか。もったいないな、こんなにきれいなのに」
つくづく残念だと溜息までつく、その安易な言葉に一瞬くらりとめまいが起きる。
エセルといるというこの現実を放棄して、このまま気を失えてしまえたらどんなに楽だろうかと心底
しかし。
だめだ。こういうとき、とことんこいつとは気が合いそうにない。
「そうだ」
憎たらしい無神経男から顔をそむけてじんじん痛みだしたこめかみに手をそえる。
触らぬ神にたたりなし。そのままにしておけばいいものを、逆撫でするようにエセルが肩を突っついた。
「で、これって一体どこにつながってるんだ?」
「魅妖の罠へだ!」
ええい、それくらい自力でさとれ! 見目良いだけの飾り物か、その頭は!
たまらずそう怒鳴りつけようとしたセオドアにしゃべる機会を与えずに、エセルは下を見るようにと足元を指でさした。
「じゃあどうして出口が2つある?」
その言葉に驚いて、急ぎ下を見た。
エセルの言うとおり、確かに出口らしき光は2つあった。
自分たちを引き寄せる力と同調しているのは奥のほうで、どちらかといえばその直線路に横穴のように開いているのが、もうすぐ通過してしまいそうなほど近くにある。
こんなばかなことがあるだろうか?
普通出口は1つのはずだ。間隙を開く目的は遠い空間同士をつなげての移動なのだから、目的地
は1つしかないはず。とすれば、導く奥が本来の出口。
では、横のあれは何だ?
これも罠だろうか?
魅妖が、早くも自分たちで遊んでいるというのだろうか? 用意したどちらの地獄がいいか、自分で選ばせようというのか?
人間は自分の退屈をまぎらわせるだけにしか使い道がないと思いこんでいるような輩だ。それは十分あり得る。
「……ええい、こっちだ!」
通りすぎればもう選択はできない。半瞬の間に思考をまとめると、セオドアは引き寄せようとする力に従うをよしとはせず、横に開いた出口を選ぶことを決めた。
どちらにしても待ち受けるのは魅妖の罠だろう。だがたとえこれが抜け道のない地獄であろうと、もがけるだけもがいてやる!
決意し、手を伸ばした直後、セオドアの意志に応じるように彼女の体にまとわりついていた力の糸がふっと解ける。直後、目を刺すような光や鼓膜が破けるかというほどの耳鳴りとともに、眼前に夢の青年の微笑する姿が現れた。
夢の青年だと気付いた瞬間には消えてしまった、華美な白昼夢。
一刹那の後、2人は中二階ほどの高さから落下していた。
「ぅわっっ」
先に落ちたセオドアの上に、あとから続いたエセルの体が落ちてくる。
床とは違う、ゴツゴツとした硬い隆起物ばかりの中に顔面からめりこんだ痛さに声も出せず、身を起こすなり顔を押さえる。
だが今回ばかりはエセルの気遣いの手は伸びてこなかった。
「やった! ここの町の長が小国並の財宝抱えこんでるってうわさは本当だったんだ!」
そんな弾むエセルの声が聞こえてくる中、ようやくひいた痛みに手をどける。
途端、視界に飛びこんできたのは金、金、金。たまに銀細工の装飾品がある程度の、おそろしく悪趣味な金箔尽くしの壁には目がくらんで意識までが遠のきかけた。
手の下に敷いた宝剣や足蹴にしている宝石だらけの冠を見る前にぐるり頭を一周巡らせただけで、ここが間違いなくこの館の宝物庫であることは確信できる。
おかしなことに、魅魎らしきものの潜んでいる気配はどこにもなかった。
この部屋自体は小さく単純な造りで、隠れられそうな場所はない。どこもかしこも金銭的価値だけはある物ばかりで占められ、魅妖の襲撃の余波だろうか、作り付けの棚からこぼれた首飾りやら宝剣やらが床にまで垂れ下がってしまっているが、それだけで、罠らしきものもなさそうだ。
しかしまあ、よくここまで集めたものだ。
好みは人それぞれ。きらびやかで豪華ではあるが、セオドアから見れば単に悪趣味な、本来の用途から外れたガラクタばかりだ。埋もれている長剣も短剣も、黄金で細工された鞘の表面に隙間もないほどびっしりと宝石が張りついていて、ただ重いだけの粗悪品だ。実戦では全く役にたちそうにない。
鞘抜きされ、エセルの手の中に収まっている、刀身までが金加工、という物まで目にしたとき。セオドアはふるふると握りしめた拳を震わせていた。
あ、のタヌキ親父! これが普通の町長個人に持てる財産か? 町の共有財産にしたって、これだけあるならもう少しましな設備投資ができるだろうが。確かに非常時の抜道とする水路といい、町を囲んでいた防砂壁とかはそれなりに立派だったが、肝心の舗装路なんかで手え抜いてるな。
走って逃げている際、何度穴や熱で歪んだ石畳に蹴つまずいたことか!中央広場だって、貯水地だって、路地裏だって! 適度にケチるなんて、一番
転移中の不機嫌さまで加わってムカムカくるセオドアの頭に、昨夜記憶した初老の男の姿が浮かんでくる。
娘への涙と男たちへの態度にだまされたか。町の者でも国の者でもない自分などが意見できることじゃないだろうが、あれはとんだくわせ者だぞ。
そう、歯で親指の爪を弾きながら一人黙々と考えこんでいた視界の隅に、ちょろちょろと動いて何かしているエセルの姿が入る。
そちらへと目をやって、そしてセオドアは、ずっと納得できないままだった疑問――なぜこんな危険な場までついてきたのか――を知ることとなった。
「おまえ、そこで、何してる……?」
せっせと棚からめぼしい物を取り出して、広げた布袋の口に入れているように、セオドアには見える。
「んあ? ……ああ、細かいやつで値の張りそうな物を、いただいていこうと――」
いかにも、止まる間を惜しんでの片手間、といった風にそんな返答が返ってきた瞬間。完全にセオドアの頭から激怒以外のものはきれいさっぱり吹っ飛んだ。
それ以上口にしてみろ! そのおがくずばかりつまった頭なんか、たたき割ってやる!
堪忍袋の緒を切り、我慢の頂点も突き破って超えた最高の怒りを『怒髪天を衝く』というが、まさにこのときのセオドアの怒りはそれだった。
背後に沸き起こった不穏な気配に気付いて振り返ったエセルの目に、切ることは不可能でもエセルの頭ぐらいたたき割ることはできそうな宝剣を、上段に掲げたセオドアの姿が入る。
口にしなくともその意は十分理解できたと、エセルの顔からさーっと血の気が引いた。