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第7回

「わーっっ、ま、待てっ! おちつけっ」


「それが目的だったのか? この非常時に乗じてなどという、そんなあさましいこと……それが一緒についてきた、本当の目的だったんだな!! なにが」


 放っておけない、だ!


 そう言おうとした直前、声が失われて指人形のように口だけがパクパク動く。

 急速に冷めていくセオドアに気付いて、エセルも顔前庇うように出していた手を下ろした。


 まるでしぼんだ風船のようにぺたりと力なくその場にへたりこみ、すっかりうなだれてしまっているセオドアへ、おそるおそる近寄る。


「セオドア?」

「……おまえ、商人じゃ、なかったのか……?」


 抑揚のない声で、ぽつり、セオドアがこぼす。

 切れかけたぜんまい仕掛けの人形のように、先までの覇気が全然感じられない。


 そんなセオドアからの質問に、エセルは全然悪びれた様子もなく、実にお気楽な声で答えた。


「そうだよ、盗品専門の」


 決定打。


 セオドアは、支えにしていた宝剣ごと、ずずずとすべって再び宝物の山へと埋没してしまった。


 べつに、エセルの返事自体にショックを受けたわけじゃない。

 隊に入るのを拒み、1人で流れの砂漠商をしているようなやつだ。どうせ何かしらうさん臭いことをしているに違いないとは薄々思ってはいた。それだけに、全幅の信用はおけないと。


 ただ自分が、それを忘れようとしていたことがショックだったのだ。


 どうせ弁償金のためだろうと思っていても、こんな最低最悪のときに見捨てられず、何かとかまってもらえるのは嬉しかった。いくら人付き合いが下手でも、人がきらいなわけじゃないから、相手に好感を持たれるのは嬉しかったのだ。


 厚意をかけられると、気恥ずかしくて、妙に甘ったるくて、それでいてあとを思って少しばかり怖い気分にさせられるけど、いやじゃなかった。この人はまだ大丈夫、自分のことをきらってないと安心できていたりしたのだ。


 なのに……なのにこいつは、わたしの味方のようなふりをして、結局ただこの騒ぎにまぎれてあわよくば盗みを働こうとしていただけだったなんて!


「おいセオド――うわっ」


 伏せったまま、ぴくりとも動かないセオドアを気遣って近付いてきたエセルに向かい、がばっと身を起こしたと思うや手元の宝石類を投げつけ始める。それこそ手当り次第だ。


「ちょ!? やめっ」


 エセルだって、思っていたほど悪いやつじゃないかもしれないと、思い直していたところだったんだ。

 ずっと気遣ってくれてたし、昨日だって助けてくれたし、昨夜もかばってくれたりして……今度だって、あんな憎まれ口たたいたけど、借金返済目当てじゃなくて、本当に善意で――もちろん今だってそれ自体はばかな行為だと思っているけど――自分のことを心配してくれているんだと思いかけていたのに!


 全部自分の勝手な思いこみで、これは八つ当たりだと承知の上で、大小関係なく手に触れる物全部片端から投げつけていたときだった。


「わっ! それストップ!!」


 突然エセルが大声を上げて、セオドアがふりかぶっていた物を指差す。

 声の大きさに驚いて思わず動きを止めたセオドアからそれを引ったくるように取り上げたエセルは、目を輝かせてそれに見入った。



「やった! 竜心珠だ!」



 ……なんだと?


「竜心珠、だって?」


 見るとたしかに真球だし、手のひら大の大きさだが、根本的にこの間見せてもらったやつとは違っている。

 以前のは、わずかに翠がかった透き通ったやつだった。これは中心に翠の濃い渦のような光がかかっているが、全体的に青白くて、輪郭近くは無色透明になっている。


 前に見たやつは中から朱金の光が煙のようにくゆり出ていたけれど、それは壊れていたからかもしれないから何とも言えない。

 これは傷1つない、完全体だ。

 底知れない力は感じとれるが、強い意思表示……というか、個性がなくて、どちらかというと限りなく無に近いような……。


「全然別物だぞ?」


 訊いてみるが、エセルはにこにこ笑顔の上機嫌で珠を窓から入る光に透かし見ているだけで、まるで耳に入れている様子はない。


「やっぱりなあ。ここにあるんじゃないかとは聞いてたけど、警備が厳重だったもんなあ……。

 でも、こうなるんだったらやっぱり真っ先にここを狙っとけばよかったんだ。そしたらわざわざあんなこと……」


 とかなんとかぶつぶつ独り言をつぶやいていて。

 もしや、との懸念から、タイミングを見計らって、こそっと耳元でささやいてみた。


「砂漠でのあれは何だ?」

「ああ、あれは俺の――」


 そこではたと気付いて口に手をあてたのはさすがだったが、出た言葉は戻らない。

 時遅く、セオドアにはエセルが言い淀んだ、それだけで十分だった。

「こっちが本物なんだな」

 押し潰した喉から出た声は、町で沐巳を相手にした時よりも更に殺意を孕んだものとなっている。


「あれは4つとも、偽物だったんだな!」


 怒っている今は何を言っても無駄だとでも思っているのか、ひたすらあいそわら愛想笑いを浮かべるだけで少しも答えないのにそれを確証し、今まで感じたことのない怒りをそのままぶつけるように、怒鳴りつける。


「答えろ!」


 その、今にも噛みついてきそうなセオドアの迫力に気圧されて、エセルは珠をしっかり抱いたまま、またじりじりと後退った。


「あの……だってさ、期日が迫ってたし、もう前金貰ってたし。だから、その……向こうも現物知らなさそうだったから、ああいうのでだまされてくれないかなー? なんて……ははは。

 あ、でもあれだってそれなりに力はあったんだよ? 結構手間暇かけて作ったし。砂漠でだって町でだってちゃんと役立ってたの、知ってるだろ?」


 よくもまあ、それだけいけしゃあしゃあと言えるものだ。

 おそらく生まれた時からずっと彼女を知っている蒼駕ですら見たことはないだろう。これ以上はないほどふんぬ噴怒し、きつく睨みつけるセオドアに怯えらしきものを見せてはいても、偽造したという行為自体を悪いと思っている様子はまるでない。


 あの珠の正体が何かはこの際、どうだっていいとしょう。

 つまり、砂漠で自分が壊した方が偽物だったということは、確かなわけだ。


「戻せばよかっただろう、素直に!」

 目を閉じ、姿を視界に入れないことで切れかけた神経を辛うじてつなぎとめようと努力したにもかかわらず、それはあえなく次の瞬間水泡に帰した。


「金? ないよ。全然。リドーの町で豪遊して、パッと使ったから。

 それに、せっかく貰った物をわざわざ返すより、もっと貰った方が断然いいじゃないか」


 おどけたように口にする、エセルのどこまでもおちゃらけた態度にぶつり、とうとう張りつめて細くなっていた神経の切れる音が、セオドアの中で起きる。

 見るも哀れなほどすっかり肩を落としてしまったセオドアに、さすがのエセルも悪いことを言ったかも、とぽりぽり後頭部の辺りを掻いた。


「……だからって……」


 ぼそっと言葉を落とす。


「あ? 何?」

「だからって、どうしてわたしにあんな嘘をついたんだ!!」


 耳に、きん、とくるほど大きく叫ぶ。もっとよく聞き取ろうと近付け、すましていたエセルはそれをまともにくらったせいで頭にくらくらきているようだったが、同情してやる気には全くならなかった。むしろ、こっちが同情してもらいたいくらいだ! とますます憤激する。


 おかげでわたしは、聖魔具を壊してしまったと落ちこんで、もう泣きたくなるくらい落ちこんで、あんなに後悔して、借金をどうしようと……あんなにっ!


「あー……いや、悪いことしたなと思ってはいたんだ、うん。実際あのとき丁度作り上げたばかりだったもんだから……ほら、誰だって精根こめて作った物を、ちょっと目を離した隙に見も知らない奴に壊されてたりしたら、腹が立つだろ? その上あのときのおまえって人の物壊したくせに、全然悪びれたふうじゃなかったし」


 むか。


「わたしは十分驚いて、動揺していた!」


 訂正しろ、と胸に指を突きつける。


「うん、おまえってすぐ無表情のまま顔面凍結するやつなんだよな、重大なことにつき当たると」


 脳天気にも、そう軽く返してくる。


「でもあのときの俺にそんなことが分かるわけないだろ? 初対面だったんだから。

 で、あっこいつ少しも悪いと思ってないなーってムッときて、ああ言ったわけだ。

 もちろんひと通り脅かして、十分反省した姿見たら、あとでちゃんと言うつもりだったんだけど、こうなって、どうも言い出すきっかけがなくって」


 そこまで言って、機嫌を伺うように肩をすぼめて見せる。だがその姿も、ここまで怒り狂ったセオドアには大して威力はなかった。

 なぜなら、どこからどう見ても、エセルの言った言葉を丸ごと信じていなかったからである。


「うそをつけっ! どうせわたしが退魔師候補生だと知って、これ幸いにと大金をせしめようとしたに決まっている! 偽物だと気がつかなかったからといって、人をだまして!」

「わーっ、分かった、ごめんなさいっ。謝る。謝罪します。何でもするから許してっっ」


 すっかりセオドアの鬼々迫る勢いに圧倒されて、そう叫んだ数分後。

 エセルは、床に散らばっている山の雑多な宝物の上で、四つん這いになってそれらをかきわけていた。

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