●漣
「私のせっかくの招待を
さも本当のことのように大仰に肩を疎めて見せるが、そのぎらぎらと黒く照る目は口を裏切って、そんなのは造作もないことだと言い放っている。
「どうしたの? 私に会いに来ようとしていたんでしょう?
気を利かせて私のほうから出向いてあげたのに、少しも嬉しくなさそうね」
金属同士が触れ合って響くような、鏘然
だが己が置かれている状況を忘れて聞き惚れるには、不十分だ。
声といい、微笑を浮かべた面といい、きれいに悪意を消し去っているくせに、その身を包んだ白い冷気だけは謙虚という慎みを知らず、彼女が持つ強大な力を威嚇のごとく誇示している。
それだけの力を当たり前に放っている漣に、セオドアは、最初から分かっていたこととはいえ、冰巳など比較にもならない桁違いの妖気だと息を呑む。
「……漣」
これが魅妖か。
この世界に自分という者が身を置くことさえ、許してやっているのだという尊大さを含んだ、とてつもなく驕慢な態度は、ただの人間には持ち得ない代物だ。
そしてその態度にふさわしい力による圧が、かぎ爪さながらにこちらの本能をわしづかみにして、その爪先を食い込ませるのだ。
そんなセオドアの姿を満足そうに見下ろして、漣は目を線にしてくつくつと笑った。
「うれしいわね。そんなふうに名を呼ばれると、ぞくぞくするわ。特に退魔師に口にされるのはとても好き。
でも、それも力あってのこと。今のあなたじゃ、私、とっても不満だわ」
そこまで口にして、漣はあらぬほうへと視線を移した。
「惜しかったわね。やっとここまで導けたのに、まだ彼女はあなたを見つけられないようよ。
いいかげん諦めればまだ可愛気もあるのに、こちらの目端をかすめるようにして横やりを入れられるのは、ひどく目障りなのよ。
もうすぐ私も忙しくなって、あなたたちばかりにかまってもいられなくなるし? 面倒だから、この子にはここで退場してもらおうかしら。
そうしたら、あなたなんか、気にかけなくて済むものね」
そのつかみどころのない言葉にセオドアは困惑した。
内容には自分のことも含まれているようだが、その大半が意味不明だ。どうやらセオドアに話しかけているのではないらしい。かといって、エセルへというわけでもなさそうだ。
ここにはほかにだれもいないというのに。
それとも、いるのか?
目尻のきつい、内には一筋の光も見出せない混じり気なしの闇色の瞳。口元は笑んでいるが、言葉自体に笑いは感じられない。
そんな彼女の強烈な視線が、自分の肩を抜いて隣室の方を見ているのだとセオドアが気付くのには、少し時間がかかった。
漣の右手がすっと胸元まで上がる。その指先で爆発的に膨れ上がった力に驚く間もなく、次の一刹那、彼女の何気ない、優雅な手のひと振りで巻き起こった凄まじい風がセオドアを襲った。
見える攻撃であれば退いてかわすこともできたが、風という鋭利な刃で、しかもこんな近距離ではとてもかわしようがない。
「くっ……」
せめて目だけは守らなくては!
この状況で視力を奪われては、すべてが終わりだ。
かわせないと判断し、地をえぐってこちらへと疾走してくる風の刃に向け、とっさに両腕を顔の前で交差させる。それとほとんど同時に凍気の塊のような風が衝撃となってセオドアの腕と足元を襲ったが、しかし予想に反して覚悟していたほどの痛みはこず、セオドアを軽く翻弄しただけで風はあっさり消滅した。
「セオドア! 大丈夫か!」
エセルの心配する声と、高くあざ笑う漣の声が、空を引き裂いた風の爆音で痺れた耳を打つ。
一体何がどうなったというのか……目を床にやると、凍気の風刃は彼女のすぐ足元を不自然にも直角に横切っており、右の壁の一部を崩していた。
かすかに風の触れた両腕は肘から下がズタズタに裂かれていたが、床に転がっていた金剛石を削って作られたティアラがいともたやすく真っ二つにされていることから見ても、この程度で済んだのは、初めからからかうのが目的だったに違いない。
あくまで楽しみながらのなぶり殺しというわけか。鼠をいたぶる猫のように。
いや、まだ猫の方がましだ。あれは純粋に本能によるものであり、決してこいつらのように己の力を誇示し、愉悦に浸るためのものじゃない。
たとえ本能に起因するものだとしても、これだけの力を持っているのだ、そんな微弱な命令など簡単に断ち切れるはず。理性だけが未発達だなどと、あるわけない。それをしないということは、それを己の本性として受け入れているということだ。
弱者を弄び、己の力に陶酔し、相手の力不足をからかって楽しみ、じわじわと時間をかけて殺すという、残虐さを。
それにしても、ずいぶんとあざとい真似をしてくれる……。
「おい、大丈夫か?」
夢も覚めた思いで気を引きしめ、あらためて漣を直視するセオドアの元へ、ずかずかと歩み寄ってきたエセルが、彼女の血まみれの両手を取る。
「いい。かまうな」
魅妖に対し、無防備に背を向けるエセルをたしなめ、自分の前からどかせようとする。
だがその手からぼたぼたと血の塊が床に落ちるのを見て、エセルは眉をしかめると胸元から取り出した布を傷口に押しつけた。
「なにを――」
「うるさい。
すぐ終わるから、止血ぐらいさせろ」
振り払おうとする腕をつかみ寄せ、力尽くできつく布を巻きながらエセルが言葉の先を奪う。その強い語気に、初めてその存在に気付いたというように漣の視線がエセルへと流れた。