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第2回

「そうそう、余分なのもついてたのよね。すっかり忘れてたわ」


 全く楽しそうには見えない顔で、くつりと笑う。


「でもこれって、さながら呼ばれもしないで勝手にひとの催した宴席に現れた、招かれざる客よね。

 歓迎もされてないくせに、進行にまで口を挟もうだなんて、すごく無作法だわ」


 聞くからに何か良くないことを思いついたといった含みのある言葉に、セオドアがはっと顔を上げる。


「漣! おまえの目的は退魔師であるわたしだろう! この者は関係ない、巻きこむな!」


 魅魎が人の命など何とも思っていないのは百も承知だ。自分でも無意味なことを口にしていると分かっていながら、それでも言わずにいられなかった。

 せめてこの容姿で、殺すのだけは思い止まってくれはしないかと。


「そうね……」


 漣もエセルを真正面に見て、そのたぐいまれな美しさに食指が動いたようだった。

 好みは人それぞれという。美しさもいろいろタイプがあり、はたしてエセルの美貌が漣にどう評価されるかは分からず、賭けだったが、漣の面に浮かんだ感情に、少なくともエセルの当座の命は確保できそうだと心の内で胸をなでおろす。


 そんなセオドアの耳に、聞きたくない暴言が飛び込んできたのは、その直後だった。


「悪いけど、俺は年増は好みじゃないんだよ。欲求不満ならどっかよそをあたってほしいな」


 ビキ、と周囲の緊迫感に大きく亀裂が入った音を聞いた気がして硬直する。


「年上好みのちょっといい男ならほかに山ほどいるし、いくつ歳ごまかしてるか知らないけど、数人くらいはだまされてくれるさ。その化けっぷりならな」


 人間とは比較にならないほどの年月を過ごしてきたに違いない漣にとって、とてつもなく辛辣で、痛烈な皮肉だった。平然としていられたのは口にした本人くらいのものだろう。


 今さらながらにセオドアは、何事にも一向に動じないのは立派だがあとのことを少しでも考えているのかと、胸倉つかんで問いつめたくなるほど無謀な、エセルの徹底した性格を思い知って心臓を引き攣らせる。


 漣は少しの間呆然としていたが、やがて正気に返って不快げにあごを引いた。


「大胆なことを言うのね、あなた。この私にそんなことを口にする者は、同じ魅妖にさえいないわ」


 声が、かすかに変調していた。目も冷ややかに冷めている。


 平静を装っているだと分かる――分かってしまうほど不機嫌なのだということが、ますますセオドアのあせりを掻き立てる。


「ほら終わった。

 今度からは気をつけろよ? 痕が残ったりしたら、ますますもらい手が――」

「この、ばかっ!! 朱廻が来てくれるまで、おまえだけでも保護しようとしたのに!」


 笑顔で応急処置を終えたエセルに、ぼそぼそとまくし立てる。

 エセルは、そんなことを言われるのは筋違いだと、あからさまにいやそうな顔をして、反対にとがめるような目でセオドアを見返した。


「俺の了承もなしにそんなこと勝手に決めるなよ。

 大体、あの様子だとあいつがここまでたどりつけるかどうかからしてあやしいものだし、それに俺はおまえを心配して来たわけであって、庇ってほしいわけじゃない」


 この騒ぎに便乗して盗みを働こうとしただけの男が、今さら何を格好つける必要がある!!


 いいかげん、神経に障る物言いに堪えかねてそう怒鳴りつけようとしたセオドアを背に庇うようにエセルが前に立った。


「エセル?」

「今度は文句つけるなよ」


 一変した低い声でつぶやく。その言葉が本気なのは、肩越しに見えた横顔で分かった。

 その顔に、途端、先の言葉が決して生半可な――たとえ、後先考えていないものであっても――少なくとも口先だけのものではないのだと悟る。


 これだけの存在を前に、全く平気でいられる者がいるはずがないのだ。あんな軽口をたたけて、気丈にも震えて萎縮したりしていないのは尊敬に値するが、その神経が痛いほど張っているのが背中越しにも感じられる。


 怖くないはずがない。ただ、それを簡単に表に出さないだけの強靭な意志を、彼は持っているのだ。


 そんな姿を見せられては、やめろとは言えなかった。


 彼の厚意を無謀だと突き放し、護ろうにも、今の自分には剣も封魔具も何もない。エセルの前に立とうがそのとなりに並ぼうが、結果は同じなのだ。

 漣がその気になれば、この小部屋ごと自分たちを生き埋めにすることなどわけないのだから。


 不思議と、そのときを前にして自分を庇う人の背があるというのは意外と落ち着けるものなのだな、と思う自分がいた。


 いつだって、自分が前に立つべきだと思ってきたせいだろうか?

 自分がここまで生きてこれたのは幻聖宮のおかげで、退魔師としての才能があると分かったとき、自分は護る側にならないといけないと思った。それが今まで育ててくれた恩返しにもなると。


 強がっていたわけじゃない。能力を持つ自分には、そうしなくてはいけない責務があるのだ。

 だから今のエセルの態度は間違っているはずなのに。……自分は、安堵して、力強く思ってさえいる。


 己の心に困惑する、そんなセオドアを背に庇い、無言で自分を映す不敬な紅眼を見返して、漣は優雅な仕草で脚を組み直すと、自重するように息を吐いて言葉をつないだ。


「たいしたものだわ。虫にも劣る、たかが人なんかの分際でそこまで徹底されると、されたこちらの方がむず痒くなっちゃう。

 ほんと、まだ虫の方がましだわ。意地や見栄なんていう、おこがましくも厄介なものを持っていないものね。

 でも、ま、いいわ、そういうの。結構好きよ。あなたはさながら姫を護る騎士さまって役どころなわけね。とってもドラマチック。私という敵もいて、舞台も最高ね」


 一体どこまで楽しもうというのか、きゃらきゃらと声立てて笑いながら、まるで真剣味のない表面だけの、薄っぺらい声で言ってくる。

 その言葉には一片の本心も入ってはいない。


「でもざーんねん。あなたじゃ全然力不足。私はずうっと強いの。あなたなんか、この一撃で引き裂くわ!」


 高らかに声を張り上げた、次の瞬間。漣の表情が、流血を望む狂気一色に染まる。


「やめろーーっ!!」


 爆発的な早さで膨れ上がる妖気に気付いたセオドアの制止の声と重なって、エセルの左肩が裂けた。

 噴き出した鮮血を目の前に、セオドアの面からさっと血の気が引く。


 やっぱり、私が前に出るべきだった!


「エセル! 大丈夫か!? エセル!!」


 急ぎ傷の具合を見ようとするセオドアの手をそっと押し戻して、エセルは気丈に笑ってきた。


「平気。これくらい覚悟してなかったら、最初から来てない」

「来なけりゃ良かったんだ! 命より欲を優先して、無事にすんだやつを見たことがあるのか!?」


 どう見ても強がっているようにしか見えないエセルに、セオドアの心底から怒っているような、そして同じくらい心配している声が即返する。


「……気に入らないわね」


 そんな2人の前で、漣が不機嫌そうに独り言をつぶやいた。

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