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第3回

「もう一度ためしてみたら分かるかしら?」


 その声の響きに含まれた殺意にセオドアの背筋が反応して、長虫が這い上がるようなぞくりとする怖気が背骨を伝い走る。


 何を言おうとしているのか。その『目的』はともかく『行動』を悟った刹那、セオドアはエセルを横に突き飛ばしていた。


 自分が避けるのまでは間に合わない。が、それでもエセルを狙って放たれた力だから、直撃にはならないと判断した上でだ。

 しかし、それは漣の力を全て把握した上でした選択ではない。


 それが退魔時における、退魔師にとっては致命的にもなり得る失敗――相手への過小評価だとセオドアが思い知ったのは、次の瞬間だった。


 指の先で爆発的な速度で膨れ上がった漣の力は空間を転移し、セオドアの前方で弾ける。

 セオドアは無数の氷片の飛礫つぶてを体中に受けて、悲鳴を発する間もなく背後の壁まで弾き飛ばされていた。


「セオドア!!」


 エセルが強くその名を叫ぶ。


 彼女の全身を襲ったのは氷片だけではなかった。

 床を埋める宝物が力の爆発に巻きこまれ、砕けた欠片が鋭利な刃となってセオドアを切り裂く。肉を裂き、金属の破片が滅り込んだ。


「……っ」


 はじき飛ばされた先で悲鳴を噛み殺しながら太股に刺さった薄い金板の破片をどうにか抜くと、背後の壁を頼りに立ち上がる。

 ズボンの上から傷口を押さえるが、痛みは感じない。ただひどい火傷を負ったように熱くて鈍く、ずしりとした重みがあるが、腱は切れてなさそうだ。


 今は動きさえすればいい。


 手早く自己診断を下す。

 それを見て、漣はますます面白くなさそうに眉を寄せた。


「よけいなことをして……あなたで遊ぶのはまだ。一番最後よ。

 おいしいものはとっておく主義の私に一番最後と選ばれたんだから、光栄に思ってそこでいい子にしていなさい」


 いたずらをした赤子をたしなめるような口調。

 セオドアは切れて血が出ているのも気付かず唇を噛みしめた。


 かなわない。とてもじゃないが、自分とは違いすぎる。

 武器となる物は何もない。剣も、封魔具も。


 セオドアは、己のした考えの甘さを、今さらのように思い知った。


 魔導杖も得ることのできなかった落ちこぼれの自分などが魅妖に勝てる可能性などないのは最初から分かりきっていたことだった。それが、武器はここに来ればどうにかなると高をくくり、臆測で動いた結果がこれだ。猛火にあぶられ、引きちぎられているようなこの激痛。

 魅妖が全力であるならばまだましだが、彼女の気まぐれな指の一振りにさえ簡単に翻弄されるようでは、一縷の望みすら持てないではないか。


 危険を冒してでもほかの町へ連絡を取りに向かったほうが正しかったのだろうか。ルチアのことはあきらめて……。


 ふと去来したその考えを振り払うように、セオドアは頭を振った。


 感情に流され状況判断を誤った、それは事実。だがそうと分かっても、あきらめるのはいやだ。こうして動いたことを、悔いたくなかった。

 今の今まで気付けなかった、浅はかな自分が死ぬのはしかたない。自業自得と割り切れる。だが、そうして死を甘受かんじゅしたところで楽になるのは自分だけだ。


 この魅妖が自分の命だけで満足し、あの残虐な計画を捨てて町から立ち去るなどあり得ない。

 この町のどこかに囚われている女たち、そして緑地にいる人たちにまで被害が及ぶのは必定。また何十もの命が自分の犯した過ちのせいで消えることになる。


 ましてやここにはエセルがいる。エセルは巻きこまれただけだ。自分と会わなければ、この町へ来ることもなかっただろう。自分がもっとしっかりしていれば、心配を口実についてこさせずにすんだはずだ。

 ただ自分に関わったというだけで一緒に死なせるわけにはいかない。


 かといって、自分はいいから彼だけは助けてくれと命乞いをしたところで、この魅妖にそれだけの寛大さがあるとは思えない。彼らにとっては言葉すら遊び。約束など無意味なものだ。そんなことなどおかまいなしで自分の死後、そのときの気のおき方で殺しもするし生かしもするだろう。そんなあやふやなことに、人の命を任せられない。


 どうにかして、彼の命だけでも守らなくては。せめて、せめて朱廻が来てくれるまで!


 そのありったけの思いをこめて、ぐっと手元に転がってあった宝剣の柄を握る。


「あらあら。そんな物で一体何をしようっていうの? ほんとにかわいい子ね。毛を逆立てて、自分を大きく見せようと必死な野良猫みたい。愛らしくて、思わず抱きしめてあげたくなっちゃうわ。

 そうして冷たくなったあなたを、そのまま跡形もなくバラバラに砕いてあげるの」


 との漣の言葉を


「うるさい!」


 の一言ではねつける。


 高めた力を中へ向けて伸ばす、それだけでビリビリと痺れるような痛みが、セオドアの無防備な心を傷つけてきた。

 むき出しの神経を地に叩きつけるような暴挙。あまりの痛みに再びその場へ崩れかけた膝を叱咤し、さらに力をこめ、感覚の触手をますます奥へと伸ばす。


「やめろセオドア! 無茶だ!」


 <道>も開かれていない剣に強引に力をそそぎ込めば、反発を受けるのは当然。

 それがどれほどの衝撃であるか知っているのか、初めて血相を変えて叫ぶエセルを見たセオドアは、その肩口の傷から流れる血に己を奮い立たせるや、力ずくで剣の反抗をねじふせた。


 しかし無茶は無茶。

 実践のために作られた剣ならまだしも、これはしょせん剣とは名ばかりの宝剣であり、見る者の物欲を満足させるための単なる道楽品でしかない。

 破魔刀に込めるのに比べればほんのわずかでしかない力を挿入しただけでピシピシとその刀身にひびを入れ、欠片をこぼす。


「そのへんにしておいたらどう? 己の力量も把握できないうぬぼれは、不様に逃げ回るより愚かだわ」


 ぱらぱらと落ちるそれを見て、余裕綽々嘲る漣に、セオドアは先の攻撃と剣から受け続けた反発のせいで内外ともに傷つき、感覚のほとんどが失われた右手でそれを投げつけた。


「あげく、こんな愚行しかできないなんて。どうやら本当にあなたのこと、買いかぶりすぎてたみたいね」


 完全に憤慨して、腹立たしげにそう言葉を吐き捨てると飛来する剣を砕こうとする。

 その直前、剣自身がまばゆい光そのものに身を変えてしまったように、光焔こうえんが漣の視界をおおった。

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