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第3話真緒、世界に触れる(前)


 「ただいまぁ〜。あ~腰がバッキバッキだぁ。」


 入社のときから変わらない会社の制服付属のリボンを緩める。鞄と鍵をしまって、代わりに着替えをもってお風呂に直行する。


 手軽にシャワーで済ませてバスタオルを肩に担いで髪を拭きながら冷蔵庫の在りもので簡単に手抜きな夕食を作ると冷や飯片手に今日のニュースだけ斜めに聞きながら手元のスマホで昨日スタートしたフロオテイルの評価やら動画やらをチェックする。


 どうやらすでに攻撃特化プレーヤーが頭角を現し始めているようで昨夜は攻略組と言われる人々がフィールドボスを退治しているらしい。


 中には三職枠を全部攻撃職にしている猛者もいるらしい。生産推しの真緒には考えられない構成なのでどんな利点があるんだろうと興味をそそられるばかりである。


 「そんじゃぁ、今日もやりますかぁ。たとえ受付で禿じじぃに怒鳴られても私はこのために生きている。」


 外観はごついゴーグルを装着して真緒はこの瞬間からMaoになる。


 朝焼けに照らされたログハウス風の工房で、真緒はわくわくした面持ちでドアを開けた。師匠たちからのプレゼント。


 ──庭に突然設置されていた二つの小さな工房小屋は、煙突のある素朴な作りで、木目の屋根に柔らかな光が降り注いでいる。中にはまだそれぞれの職に合わせた外見の作業台があるだけだが、それでも「自分の拠点」ができたことに、じんわりと胸があたたかくなる。


 「よーし、やるぞ」


 静かな部屋の奥、まだ使われたばかりの作業台が淡く光っていた。


 真緒はそっと作業台に近づき、その表面を指で撫でる。薄く木目が浮かぶ、滑らかな感触が心地よい。まるで、その机が自分を待っていたかのように、しっかりとした存在感を放っている。新たな世界の入り口に立ったような気がして、心が少し震えた。


 「これから、私はここで…どれだけのものを作るんだろう。」


 その瞬間、ふと手が震え、机に触れた指先からほのかな光が広がるのを感じた。何か不思議な力が宿ったような気がして、胸が高鳴る。


 「この場所…なんだか、すごい場所だ。」


 真緒の心の中で、無意識に新たな可能性が膨らみ始めた。


 チュートリアルが終わった後、真緒は最初のクラフトに挑戦することにした。作るのは、「シンプルなベッド」。


 試しに作業台に視線を持っていくとカーソルが開いてレシピが並ぶ。その中から木漏れ日の家具セット①からシンプルな木製ベッドをチョイスする。


 「こういうシステム的なところはそのままなのか。」


 作業台からのこぎりを引いてるであろう音……ギコギコよりももっと軽やかな音がした。インベントリを開いてみれば中間素材が何個か減っていて代わりに新しくベッドが加わっている。


 シンプルな木枠のベッドは飾りもそっけもないがよく磨かれているようで、その木肌は滑らかで木目が美しい。無事にそこに入っているということは成功したということだろう。


 「……おおぉ。本当に……作れた。失敗しなくてよかった。」


 その瞬間、ベッドが完成したことが実感として響き渡る。真緒は一瞬その場で呆然と立ち尽くすが、すぐにアイコンにカーソルを合わせて取り出して目の前のベッドに手を伸ばす。暖かみのある木材に触れるたびに、心の奥が満たされていくのを感じた。


 「これが…私の作った家具。」


 温かな光が、作業台の上に広がる。真緒の目の前に、初めて自分の手で作り上げたものがある。木材の香りと、完成したベッドから感じる微かな温もりが、真緒の心を癒す。どこか、今まで感じたことのないような喜びが胸に広がっていくのがわかる。


 「どれどれちょっとお邪魔いたしまして……。」


 と転がってみるが質感は特に感じない。が工房の天井を見上げてることをちょっと感慨深く思う。うっかりこのまませてしまうわけにいかないので早々にベッドから立ち上がる。


 「さて、次はっと……。」


  ひとまず今作れるものを全部やってみようってわけである。


 真緒はまず、木工師匠から受け取った「木漏れ日セット①」のレシピ──シンプルなベッド、小さなウッドテーブル、丸太のスツール──の制作に取り掛かる。素材は草原でたっぷり集めてきたし、作業は単調ながらも集中する時間が心地よい。


 作業台に向かうとレシピリストの上からどんどん作っていく。レシピ厳選しているからか失敗は一度もなかった。

気がつけば、真緒は「木漏れ日セット①」を十回も制作していた。手持ちはベッドとウッドテーブルと丸太のスツールがずらっと並んでいる。


 その瞬間、インターフェースに新しいレシピが追加された通知が表示される。「木洩れ日セット②」解放。


 ──作る回数に意味がある仕様に、真緒はハッとする。


 「そうか、ただレベルを上げるだけじゃない。作った『数』で広がっていくんだ、この世界……!」


 作るたびに、真緒はその過程の中で新しい発見をする。思っていたよりも色が深く広がり、木材の肌触りが変わっていく様子が、まるで自分が何か新しい命を吹き込んでいるかのようだった。自分の手で何かを作り上げるたびに、その世界が少しずつ変わっていくことが、真緒にとっては信じられないほど魅力的だった。


 ゲームを遊び尽くしたプレイヤーの感覚としても、この設計には素直に感動を覚えた。手間を惜しまず作った人だけが得られる次の景色。それは、生産職に真摯に向き合う者へのご褒美だ。


 ゲームの中の、ひとつの通知。けれどその先に待っているのは、ただのレシピじゃない。まだ見ぬ家具、まだ作ったことのない“自分”が、そこには待っている。そう思ったら、胸の奥が熱くなった。


 画面の中で、真緒のアバターがゆっくりと頷いていた。狐の耳がふわりと揺れ、穏やかな風が工房を吹き抜ける。


 「まだまだ、作れる。もっと、作ってみたい」


 そう呟いた声は、ひどく優しかった。


 部屋の隅で、まだ未使用の素材が静かに眠っている。染めるために挽く植物、削られるのを待つ木材。そのすべてが、これからの物語になる。真緒はそっとその一つに手を伸ばし、新しい制作に取り掛かった。


 今度はもっと、思いを込めて。


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