朝が、来た。
久しぶりに、夜中まで起きずに眠れた。
なのに。
頭は不思議なくらいクリアなのに、胸の奥がずっと重かった。
制服に袖を通しながら、真緒は小さくため息をついた。
「ああ、やっちゃったな……」
あの夜のことを思い出すたびに、胸がチクチクと痛む。
画面越しに、怒鳴った。泣き叫んだ。子供のころ、兄と大げんかした時以来の、大爆発。
それが、すっきりした気もするし、信じられないくらい恥ずかしくもあった。
「はぁぁ……」
またため息。
髪をまとめながら、鏡に映る自分に問いかける。
「今日から、どんな顔してログインすればいいんだろ……」
想像するだけで胃が痛くなる。
Reonたち、どう思ったかな。嫌な思いさせちゃったよね。わざとじゃないのもわかってるし、あんな目の前で爆発して上に話の途中で勝手に消えたら引くよね。
問題は、自分自身だった。
(やめる……?)
そんな考えが、一瞬だけ脳裏をかすめた。
けど……。
(ないな。ゲーム好きだし。ほとぼり冷めるまでゆっくりしてもいいわけだし。それに隠れ家あるしね。)
即答だった。
素材が尽きるまで、作り続ける。誰に何を言われても、自分は、自分の好きなことをやる。そう、決めた。
制服のポケットに手を突っ込んで、ぐっと拳を握る。
私は、逃げない。
仕事は、不思議なほどはかどった。
集中すればするほど、頭は冴えて、手も動く。ミス一つない。上司にも褒められた。
でも。
心は、晴れなかった。
隙間時間に、スマホを見てはため息をつき、ランチタイムにも、同僚たちの輪にうまく入れず、ぼんやり天井を見上げてしまう。
(本当に、バカだな、私……)
そう思った矢先だった。
「お疲れ、迫田さん。珍しいね一人?」
顔を上げると、そこには蓮がいた。
スーツのネクタイを少し緩めて、疲れた笑みを浮かべている。
どこか、顔色が悪い。
「先輩……? 大丈夫ですか?」
思わず声をかけると、蓮はバツが悪そうに首をかいた。
「あー……ちょっと、な」
声が、かすかにかすれている。
「恥ずかしいんだけど、……友達と、ゲームやりすぎた。」
カミングアウトの瞬間、真緒の心臓が跳ねた。さっきまで重かった胸が、一瞬、浮き上がったようだった。
(ゲーム……!?)
タイムリーすぎる話題に、顔に出そうになるも必死に平静を装った。
「……え、先輩、ゲームするんですねぇ?」
無理やり口角を上げて、軽いノリでごまかす。蓮は苦笑した。
「ああ。まあ、そんなガチじゃないけどな。最近、ちょっとハマっちゃってさ。」
その言葉に、また胸がちくりと痛んだ。
(ハマって……。いいな。)
考えてしまう自分が、いやだった。
違う。
いまは、蓮の心配をするべきだ。
「……あんまり無理しないでくださいね。」
心からそう言った。声が、思ったより柔らかかった。蓮は少し驚いたように、目を見開いて、それから照れくさそうに笑った。
「……おう。ありがとな。」
その笑顔に、また胸が温かくなる。そして、同時に、少しだけ苦しくもなった。
(……私も、頑張らなきゃ。)
もう、後ろを向いてばかりじゃいられない。
逃げたくても、隠れたくても。
好きなものを、好きでいるために。
自分の手で、歩いていかなきゃ。
スマホのホーム画面。
お気に入りのゲームアプリのアイコンが、静かに光っていた。
(今日も、作るぞ)
小さく、でも確かに、心に誓った。