薄明の光が差し込む洞の口をくぐった瞬間、真緒は思わず息を呑んだ。
足元にひんやりとした湿気がまとわりつき、視界の先には淡い霧がゆるやかに漂っている。岩肌はどこか柔らかな光をたたえ、ところどころから射し込む陽光が霧の粒子を包み込み、淡桃色の光柱となって空間を染めていた。
「……これが、春霞の洞窟……」
耳を澄ませば、水滴が岩に落ちる音、かすかな風の音、そして──誰かの夢を覗いてしまったような、幻想的な静寂。
霧の奥、ぼんやりと揺れる霧花の群れが、まるで誰かの記憶を呼び起こすように真緒の心をそっと撫でた。
足元には夢香草の強化種がそっと葉を揺らし、近づくと甘い香りが鼻先をくすぐる。気がつけば、まぶたがほんのり重い。
「……なんだろう、この場所。懐かしいような……でも、初めて見るのに」
視線の先で、彩幻草がふわりと葉を浮かせ、虹色の葉脈が霧の中に幻想的な軌跡を描く。それはまるで、夢の中でしか見たことのない風景を現実が追いかけてきたようだった。
しばらく歩き進めるうちに、真緒の頭上を何かが音もなく跳ねていった。
「ん……? うさぎ……じゃないよな」
目を凝らすと、それは《幻走ラビフロア》。銀桃色の毛並みが光を受けて揺らめき、跳ねるたびに残像を残して消えていく。
「分身……してる?」
幻覚と実体が入り混じるその挙動に、真緒はそっと腰を落として気配を探る。だが、残像に惑わされて背後をとられ、ふわっと軽く背中を押されるような衝撃が走った。
「おっと、やるね……でも、素材はもらうよ」
幻毛と跳躍核を手にした真緒は、小さくガッツポーズをする。
さらに進むと、霞の奥に半透明の花がゆらゆらと揺れていた。《霧花》だ。
「うわ……本当に霧みたい……でも、採れるかこれ……?」
手を伸ばしかけた瞬間、気温がふわりと変わり、花の輪郭がかき消える。
「わあっ、きえた……!? え、これ、幻覚? いや実体はあったよな……」
素材を追って洞の各所を歩きまわる真緒。時折、《霞影のリスノア》が霧の中を走り抜け、ふわりと尾羽を翻す。捕まえるのは一筋縄ではいかないが、その分収穫できたときの達成感は格別だった。
マップの開拓率がじわじわと上がっていく。
だが、真緒はふと足を止める。
「……あれ?」
表示されたマップを見て眉をひそめた。
思ったよりも、地形がシンプルだ。探索エリアは枝分かれも少なく、奥に向かって一本道に近い。
「隠しダンジョンにしては……狭くない?」
確かに幻想的で雰囲気は素晴らしい。でも、エリアの構造としては物足りなさを覚え始めていた。
「ボスもまだ見てないし、中ボスっぽい《春眠の王》も遭遇してないし……っていうか、なんか……まだ『何か』が隠れてる気がする……」
春霞の洞──それは確かに幻想的で、心を癒す空間だった。だが、真緒の中に芽生えた“違和感”が、静かに次の展開を告げていた。
「……もしかして、まだ何か要素があるのかな?」