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第32話 踊り子


 フロレンシアの隠しダンジョン。深く息を吸い込むと、草木と水音が混ざった香りが胸いっぱいに広がる。


 幻想の祠と呼ばれるこのエリアは、いつも静かで、誰の気配もしないはずだった。


 だがその日、Maoがボス捕獲の準備をしていたとき——ふと、エリアチャットに文字が走った。


《Maoさん、初めまして!》


 唐突な書き込みに、画面を見つめたまま動けなくなる。だがすぐに、そよ風のように駆けてくる足音と、柔らかな鈴のような笑い声が重なった。


 揺れる光の中から現れたのは、小柄なパステルカラーの黄緑の鹿の獣人の女の子だった。ピンクの瞳がじっとこちらを見ていた。


 その姿はまるで、祠の光が生んだ幻のようで——けれど、間違いなく現実にそこにいた。


「Maoさんっ……! ほんとに……ほんとに初めまして!」


 少し息を切らせながら、ぱっと花が咲いたような笑顔を向けてくれる。彼女の頭上には、小さく「ひな」という名前が光っていた。


 「突然ですみません!えっと、わたし……ずっと一人で、裁縫師と美容師を続けてて……。最初は友達と遊んでたんです。でも、みんな戦闘がうまくいかないとか、飽きたとか言って……」


 光の粒が揺れる中、彼女はポツリポツリと語り出す。


「”生産ばっかやってても意味ないよ”とか言われたりして……。でも、わたしは作るのが好きだった。素材を集めて、形にして、誰かが喜んでくれるのがうれしくて……。一人になっても、ずっとやめられなかったんです。」


 (あぁ、なるほど……。)


 その感覚は真緒にも覚えがある。自分だけが人と違うことをする。他人からどう見られるか、それによりどんな扱いを受けるか。それはゲームの中だけに限らずどこにでもあることだしゲームの中と割り切って自分はこのスタイルで遊んでる。それでも時々、不安になる。自分は間違っているのかもしれない、と。


 「そんな時、Maoさんが言ってたのを見たんです。……“ずっと待ってたのに”って。あれ、すごく、胸にきて……。私だけじゃないって思ったらなんだか嬉しくて、勝手に私が思っただけだけど、でもなんだか自分が呼ばれてるみたいな気がして、早くMaoさんの隣にいこうって……それで…。」


 目をそらしながらも、ひなはまっすぐな声で続けた。


「だから……追いつきたくて、わたし、がんばったんです!」


 そう言って、両手でピースサインを掲げるひな。その笑顔は少し不器用で、それでも心からの誇らしさがにじんでいた。


 その姿に、真緒は思わず胸が熱くなった。


 ──ああ、来てくれたんだ、本当に。


 ゲームの中で見知らぬ誰かが自爆しただけだ一週間も経てば別の話題が登り忘れ去られるような取るに足らないこと。でも他人には些細で自分には魂の叫びみたいな悲鳴をこの子は真摯に受け止めて本当にここまで来てくれた。


 この隠しダンジョンは真緒の気づいてる限りだいぶハードな条件だ。一般フィールドとダンジョンから取れる素材で作るレシピ10ずつを練度カンストしなければ入り口すら開かない隠しダンジョン。


 そこに入れるのは全プレイヤーでたった二人だ。


 「……よくがんばったね、ひなちゃん。」


 言葉よりも先に、体が動いていた。


 彼女を、そっと抱きしめる。小さな肩がふるりと揺れて、鹿耳がぴくんと跳ねた。


 頬を赤らめながら、ひなは小さく震える声でささやく。


「……うれしい……夢みたい……。」


 真緒はその耳元に、やさしく返す。


 「夢じゃないよ。私達仲間なんだねこれから、もっといっぱい作っていこう。」


 祠の光がそれを知っているかのように、やさしく二人を包み込む。


 それから二人はたくさんたくさん話をした。これまでのこと、何を作ったかどんなレシピがあるのか。


 それは時間を忘れるほどに……。


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