日が傾き始めた頃、車はミオリさんのマンションに到着。いつもはあんまり意識してなかったけど、夕日ってほんとに紅い色をしてる。伸びたビルの影が道路を越えて対面のビルにかかって黒色に染めてる。空はと言えば、灰色の空気を透けて光が通ってるものだから、赤茶色の、なんとも形容しがたい状態‥‥スモッグが濃い状態で晴れてると、こんな感じになる。いっその事、曇っていれば、ただの灰色だったんだけどね。
「‥‥‥‥」
携帯の呼び出し音が鳴ってる。
クジョウ先輩からだ。
そう言えば、遠くからサイレンのようなものが聞こえてきてるような‥‥。
私は片手にケーキの入った箱を持ったまま、エレベーターのボタンを押す。
上から降りてきてる表示を見てるけど‥‥今は凄く、遅く感じる。早くしないと‥‥止められてしまう。
今日、やってしまった事を振り返る。
手配中のAIドールの拉致。車の乗り入れ禁止区域での車の運転。ケーキ屋での営業妨害(?)‥‥とか。もっとあるかも。もう犯罪者レベルになってるのかもしれない。
でも‥‥悔いはない。
私は私の意志で考えて行動したんだから。
長いようで短い時間‥‥ほんのちょっとだけ待つと、すぐに正面の扉が開いた。
私が乗ると、後ろからリオナさんが続く。
扉が閉まる瞬間。
“ツキシロさん!”
遠くに一瞬だけクジョウ先輩の顔が見えたけど、そのままエレベーターの扉は閉じた。
「‥‥‥‥」
目的の階について私たちは部屋の扉の前に立った。
呼び鈴を鳴らす。
=はい=
父親の声が返ってくる。
「機械知‥‥」
言いかけたけど、それは違う。
=警察から連絡があって、ドアを開けるなと言われてます。すみませんが‥‥=
名乗る前に断られた。
エレベーターは下に降りていく。多分、次に開いたときは‥‥。
事態は一刻を争う。
「リオナさんがどうしてもミオリさんに伝えたい事があるそうなんです。開けてください」
=‥‥‥‥=
「お願いします!」
返事が返ってこない。
見るとエレベーターは一階で止まったみたい。
「ユメさん‥‥」
リオナさんが私のコートの端を引っ張った。
「もう‥‥いいです。ここまでしていただいただけで十分なので」
「‥‥は?」
ここまでで良いなんて‥‥冗談にもならない。
そんなわけない!
だから私はドアをダンダン!と、何度も叩いたのよ。
「ミオリさんと暮らした日々は偽物じゃない! 本物だったでしょ! その気持ちが本物なら、彼女 の最後の願いを聞いてやってもいいじゃない!」
=‥‥‥‥=
ドアがゆっくりと開いた。
出てきたのはミオリさん。
「‥‥‥‥何の用?」
ミオリさんは、リオナさんの顔を見て顔を曇らせた。
「‥‥ミオリ‥‥あのね‥‥前に皆で、旅行に行った時があったでしょ?」
「‥‥‥‥」
「あの時、約束したよね。買えなかったケーキ‥‥いつか一緒に食べようって。だから‥‥」
「‥‥‥‥」
ケーキの箱を出した瞬間、後ろのエレベーターの扉が開いた。
「ツキシロさん!」
クジョウ先輩と‥‥左右に警察官が二人。
何てタイミングで‥‥。
「あー、そう言えば、そんな事を言ってたかもしれないね」
ミオリさんが面倒くさそうに答えた。
警官はAIドール用の電撃銃をリオナさんに向けたけど、クジョウ先輩は手を伸ばしてそれを止めた。
「伝えたい事って、何かと思えばそんな事? 馬鹿じゃないの?」
「‥‥‥‥」
箱を突き出したリオナさんは黙ってその言葉を聞いてる。
「大体、そんな甘いケーキ、子供の時はまだいいけど、今はとても無理! どれだけカロリーがあると思ってるのよ。なあ、人間じゃないあなたには分からないでしょうけど」
「‥‥‥‥」
「じゃあね」
ドアを閉めようとしたその時、私は前に出た。
「‥‥何? もう用事はすんだんでしょ?」
「‥‥‥‥」
玄関に花瓶があるのが見えた。
私は花を抜いて、花瓶を逆にしてミオリさんの頭に水をかけた。
「うわっ! ちょっと何するの!」
濡れた顔を手でこすってる。
「申し訳ありません!」
クジョウ先輩が間に入ってきた。
「こちらでAIは確保しました。何かありましたら機知特別対策室まで連絡ください」
「‥‥何? やっぱりそいつもAIなの?」
「はい、そういう事です」
「‥‥‥‥」
「では‥‥」
「待ちなさいよ! まだ‥‥」
「失礼します」
先輩は頭をさげて戸を締めた。
「‥‥リオナさん‥‥」
「‥‥‥‥」
俯いてたリオナさんは、顔を上げるとニコっと笑った。
「ありがとうございました」
「え‥‥あ‥‥その‥‥」
「あなたは最後に機会を与えてくれました」
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥そんな顔をしないでください。ユメさんは、私が思った気持ちも、あの時のミオリの気持ちも本物だと気が付かせてくれました。だから私は幸せです」
「‥‥‥‥」
箱を手渡される。
「良かったら食べてください」
「‥‥‥‥」
警察の人に連れられていく。小さな背中に何を言うべきなのか分からない。
「‥‥ツキシロさん、帰りましょう」
クジョウ先輩は静かにエレベーターのボタンを押した。
彼女を連れていったエレベーターは戻ってきたときは空になってた。
「良かったら、事情を話してもらえますか?」
黄色い車の助手席に乗った時、先輩は聞いてきた。
「‥‥私は‥‥」
これまでの顛末を説明した。多分、思いだした先から口にしてるんで、内容は滅茶苦茶でわかりにくいと思う。
「‥‥‥‥」
聞き終わった先輩は黙って車を走らせた。私の乗ってきた車は、自動運転で後ろからついてきてる。
辺りは完全に夜。真っ暗な空には黒以外にものは何もなくて、ビルの上の注空灯だけが赤く点滅している。
運転している先輩は静かに口を開いた。
「‥‥‥。片方は大事にしてる事が、もう片方ではどうでもよくなったりする‥‥‥同じ年月を過ごしても、思いがすれ違っていくのはよくある事です。それはAIも人間も変わりはありませんから」
「‥‥それはそうなんだけど」
「人間はドールと比べて心がある‥‥よく言われる事です。ですが、実際には彼らにも心は存在している。その事実を否定派に突き付けた時、更に彼らは言ってきます。人間の方がより強く、深い心を持っていると‥‥それが人間の証だと。ツキシロさんはどう思いますか?」
「‥‥‥‥」
道路沿いの街灯が、後ろへと流れていく。それはなんだか自分ではどうにもならない時間の流れに見えてくる。
強く、深い心を持っているから人間だと言うけど、AIがそれより浅くも弱くもないと思う。
少なくとも、リオナさんの想いは強かった。
同じ年月?‥‥ううん、違う。
「‥‥ミオリさんは生まれてからずっと連続している。でもリオナさんは、ドールとしてあの家に迎えられてから時間が動き出した‥‥」
「‥‥‥‥」
「それから刻む年月は、同じ一年でも重みが違う‥‥十二歳のミオリさんにとって十三歳まで過ごす一年は十三分の一‥‥リオナさんはそのまま一年‥‥その中でかわす約束は‥‥重みが違う‥‥‥」
視線を外から車内に写した。
脇にあるのは誰にも食べられる事の無かったケーキ。箱に描いてあるウサギの絵が逆に心に刺さってくる。
なので、見ているのが辛い。
「強く思う心があるのが人間なら、リオナさんは‥‥人間だった」
「‥‥‥‥」
私はじっとケーキの箱を見てる。多分、今、眉間にしわを寄せてる。
「‥‥‥‥そうかもしれませんね」
クジョウ先輩はちょっとだけ笑った。
「どこかで食べてしまいましょう。僕もご相伴にあずかって良いですか?」
「‥‥‥‥甘いですよ」
「たまには良いんじゃないですか。それにこれから二人で室長に怒られると思いますから、そのストレス軽減の前渡しという事で」
「‥‥怒られるだけでは済まないと思いますけど」
「そうですか? ツキシロさんは無事にAIドールを発見、保護したんですから、大手柄です」
「‥‥‥は?」
先輩はフフ‥‥と笑う。
「怒られるのは、依頼者の頭に水を浴びせた件です」
「‥‥‥‥でも先輩は別に怒られるような‥‥」
「話を聞いて、なぜ水をかけたのか分かりましたから。‥‥僕も一緒にやった事にしてください」
「なぜに?」
私は首を傾げる。
車は機知室のあるビル街へと入っていった。