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第31話  計算出来ない心

  警察署から戻った私は、真っ直ぐにミナセさんの席に向かった。


室長が、ちらっとだけ見たけど、私がそっちに行かなかった事で、まだ調書が提出できない事を悟ったみたい。


私が危惧してたのは、ミナセさんがデスクにいない事。大概、どこかに行ってる上に、その行先は誰も分からない。ホウレンソウ‥‥吠(ホウ)、練(レン)、早(ソウ)がなってない‥‥適当な人だなあと思ってる。


でもコウノさんの話だと、昔は真面目だったとか‥‥。どうも信じられない。


「ちょっと聞きたい事があるんですが?」


「ん?‥‥後でな」


 ミナセさんは散らかった机の上の書類を見て、眉間にシワを寄せてる。私が横から話しかけても、こっちを見もしない。


モニター見ながら悠長にコーヒーなんか飲んでるし。


これはコウノさんから聞いた全てを吐くという魔法の言葉を唱えるしかない。


「‥‥‥‥アサミ・ユズキ」


「げふっ!」


 ミナセさんは口に含んだコーヒーを吐く。


「‥‥あーあー」


モニターが大変な事になってしまった。


仕方がないので私はポケットからティッシュを出そうとしたけど、


「な、何だ! 何でお前がその名前を知ってる!」


 肩を掴まれて、前後に揺さぶられる。私の頭はカクンカクンと揺れた。


「首都監視室のコウノさんから聞きました」


「‥‥まったく、あいつは余計な事をベラベラと‥‥」


 バリバリと頭をかいてる。


「‥‥それで‥‥他に何か言ってたか?」


「昔にとらえられてるって‥‥後は‥‥もが」


「待て待て」


 ミナセさんは私の口を押さえる。それから手を引っ張って外へと連れていかれた。デスクで仕事をしてたクジョウ先輩は? な顔で見てた。


「お前な‥‥そんな事をあんなとこで」


「‥‥あんな事?」


 その名前はそんなに言ってはいけない‥‥禁忌的なもの?


「あー、分かった、分かった。とりあえず場所を変えよう」


 MITの車で、郊外の喫茶店に移動。カフェじゃなくて喫茶店。木造築三十年的な‥‥零網区にあってもおかしくはない。


 中は薄暗い。ステンドグラスの照明と、小さな窓が幾つか‥‥。店内の音楽は聞き取れないぐらいの小さな音量で、ジャズ的なもの。こんな店をわざわざ選ぶ辺り、カシワギさんと趣味が似てるのかもしれない。


「マスター、いつもの、二つ」


 そんな事を言うあたり、この店では常連のようだ。


 カウンター後ろのマスターは、全く返事をしないで、すぐにコポコポとコーヒーを入れる準備を始める。多分あれはサイフォンの音だ。


「コウノから余計な事を聞いたようだが。アレは昔から話を大袈裟に言う癖がある。それこそ、一を聞いて十知ったつもりで、百を喋るような奴だ」


「‥‥それってほとんど嘘なのでは」


「まあ、そうでないときもある‥‥たまにな」


 コーヒーが運ばれてきた。


 白い無印のカップにコーヒーが湯気を立てている。おいしそうな匂いが辺りに広まった。


「だから、これ以上、推測やデマで言われると、たまったもんじゃない。だからこの際だから、ちゃんとした事を言っておく」


 ミナセさんはカップに口をつけた。


「ユズキ‥‥アサミ・ユズキは、俺が生まれた時、近くに住んでいた同い年の‥‥まあ、幼馴染って奴だ。普通は子供の性別を基準として住居区域が分けられるんだが、調度、俺の家の前がその境界線だったってわけだ。書類上は別区域に住んでいることになるが、実際は隣だ」


「‥‥‥‥」


 聞きながら私もコーヒーを一口。


「‥‥むぐ」


濃い‥‥っと、言うか、もはや泥水的な‥‥。まるで挽いた豆をそのままお湯でかき混ぜたような‥‥そんな感じの濃さ。


「‥‥‥‥ずっと隣にいる存在だったが、それも十八までだ。知っての通り、職業選択の自由なんてない。俺は警察に。ユズキは森林監視機構の職員になった」


「‥‥‥‥」


私もまさか、機知室の一人として働くとは思っていなかった。十八になったら自動的に何かの職業が振り分けられる‥‥そう教えられてきたから違和感はなかったけど。


「それでも警察官と森林監視員‥‥接点がないわけじゃない。仕事場も近かったこともあって俺はユズキと連絡をとってた。本来は未婚の男女同士で会うのはあまり世間体は良くはなかったが‥‥まあ、知ったこっちゃなかったな」


「‥‥‥‥」


 私は脇に沿えてあったクリームをたっぷりとかけた。


「‥‥それから三年ぐらい経ったあと、ユズキに婚姻決定書が送られて来た。相手は、首都交通網の統制局‥‥真面目が服を着てるみたいだとか言ってたな。随分と優しい奴で、ユズキの事を本心から心配するような‥‥そんな奴だった。俺はそいつがユズキの結婚相手で良かったと思ったんだ」


 ミナセさんは苦いであろうコーヒーを半分ぐらい一息に飲んで、顔をしかめた。


「‥‥‥‥」


「でもな‥‥」


 カップを置いて、顔を窓に向けた。誰も歩いていない歩道の街路樹が、風に揺れている。


「ユズキは‥‥別の男を好きになってた」


「‥‥‥‥」


「そいつは‥‥禁止されてる賭け事ですべてのポイントをなくしちまうような奴だ。ユズキにもきつく当たって、随分と泣かされてた」


「それなのに、ユズキさんは、その人が好きだったんですか?」


「‥‥そうだ。俺は‥‥ユズキの結婚相手から相談を受けた。だが‥‥いくら彼が、心の底から彼女の為を思っても、それは彼女には通じる事がなかった」


「‥‥‥‥」


 何だか最近、同じような事を聞いた気がする、


「結局、彼女はそいつとどっかの零網区に逃げてしまった。俺は警官だったから必死に消息を探した。だが‥‥結局‥‥」


 残っていた泥水のような苦い珈琲を飲み干す。


「結局、ユズキは‥‥犯罪に巻き込まれて死んだ。原因は、その男が所属していた組織間の抗争が原因だった。俺は‥‥捜査の途中で、彼女と陰で会っていたことがバレて、要注意人物扱いになった。警察の職も変更されて、今は機知室で働いてはいる。‥‥話す事はこれで全部だ」


 要注意人物に指定されると、居場所はいつもマークされるし、結婚も出来なくなる。何かあればすぐに更生施設に送られる。


 そういうわけでミナセさんは未婚だったのか。


 昔は真面目だった‥‥っていうのはどうやら本当らしい。


「‥‥‥‥やっぱり分からないです」


「ん?」


「‥‥どうしてそんなろくでもない人を‥‥」


「‥‥ふん」


 ミナセさんは鼻で笑ったが、それは別に私を笑ったわけじゃないのが分かる。


「それは‥‥何て言うか‥‥若い時には分からない事さ」


「‥‥‥‥」


そんな事を言われても‥‥私はまだ十六歳。若すぎたら分からないと言うなら、私には絶対に分からない。


せっかく結婚相手はまともな人だったのに‥‥。


「じゃあ、そろそろ戻るか‥‥」


 ミナセさんは私の分のポイントもはらってくれた。


 コウノさんに教えてもらった、呪文を使って得られた事はこれだけ。もうその効力はない。


「‥‥‥‥むう」


 助手席で私が難しい顔で考え込んでいるのを見て、ミナセさんは静かに笑う。


「‥‥お前さんにもそのうち分かる日がくる。誰しも歳をとるんだからな」


「そんなもんですか」


「‥‥人間てのは複雑だが‥‥どうしようもないぐらい単純でもある」


「‥‥‥‥?」


「要するに、計算では計れないって事だ」


「‥‥‥‥」


 何となく誤魔化された感じで、その日私は、まだ仕事が山のように残っている機知室に戻った。


 計算では計れない‥‥まあ、そうなんだろうけど。






 それから数日後‥‥私は若すぎて何も分からないはずなのに、いつかは受け取るであろう、中央からの通知を早々と受け取る事になった。




 そこにはこう書いてある。


 ―婚姻決定書―


「‥‥‥‥」


 十六なんだけど、それは良いのだろうか‥‥。


 私は意志とは関係なく、大人の世界へ背中を押されて行く事になった。

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