「全てを分かりあってこその夫婦だから‥‥私は改めてあなたに結婚を申し込みます。そして共にAI社会を打倒していきましょう」
「‥‥‥‥」
ナツメさんは私に手を伸ばしてきた。
そんな事を急に言われても‥‥。
情報量が多すぎる。
ちょっと整理。
ナツメさんは中央AIの運用に関わってる会社の社長だけど、テロリスト。AIから人間の手に世界の運行を取り戻そうとしている。
そして私の婚姻通知はナツメさんのデータ改善で行われたもので、その理由は私が十六で就職させられたから、AIに人生を左右された者どうしという事で‥‥。
「似た者どうし‥‥」
そうなんだろうか?
「そうです。AIから人生の時間を奪われ、これからも奪われていきます。もし‥‥何もせずに手をこまねいていたのなら」
ナツメさんは厳しい顔になった。
「あなたは分かってくれます。いや、もう分かっているはずです。人が生まれてきた意味も、生きる尊厳も全てを奪っていくこのAI社会の歪を」
「‥‥私は‥‥」
ナツメさんの言う事はもっともだ。
それでも‥‥首を縦に振る事は‥‥怖すぎる。
「ツキシロさん‥‥私が今まで中央AIの設計に関わった箇所にバックドアをしかけてきました。明朝五時を持って、全システムを同時停止させます」
「‥‥‥‥」
それが本当なら、どれだけの混乱が起こるのか、見当もつかない。このAI管理社会は崩壊すると思う。
そして、人間が再び、社会を取り戻していく。
「迷うのも分かります。事が事なので」
そう言うナツメさんは、いつもの穏やかな口調だった。
「考える時間が必要みたいですね。落ち着いたらここに来てください。訪れるのがあなたなら、私は閉ざす扉を持ってはいませんから」
「‥‥‥‥」
「ですが、あまり時間はありません。なるべく早く決断してくれる事を望みます」
「‥‥‥‥はい」
私はやっと一言‥‥それだけを言って、ナツメさんのいた部屋から外に出た。
振り向くと扉が閉じる瞬間まで、ナツメさんは私を笑って見ていた。
私は‥‥黙って廊下を歩いていく。
足音が全くしないほどの絨毯。来たときと帰るときでは、その感触も何だか違う気がする。もし、またここに戻ってきて絨毯を踏んだら、また違う思いを抱いたりするんだろうか。
その時、私はどう感じてるんだろうか。
新しい未来の幕開けにワクワクしてる?
またお父さん達や、ミワナちゃんに会えるし、十八を過ぎたからって急にどっかに行かせられる事もない。
あの穏やかな生活に戻れると思れるなら‥‥それもいいと思ってしまう。
それに比べて、今はどうなんだろうか‥‥。
機知室での日々が今の私のほとんど。
穏やかとはとても言えない。
毎日、何か必ずある。
休日は昼まで寝てて、お昼あたりから遅めのモーニング(?)を食べて、趣味の絵を描いたり‥‥それはそれで良いんだけど。
「‥‥‥ん‥」
気が付けば機知室に戻ってた。ぼーっとして車に目的地を入れたから、自分の家に入れたつもりが実は違ってたみたい。
「どうしたツキシロ?」
私に気が付いた室長が顔をあげた。
今日は休みをもらってるからここにいるのはおかしい。
「まあ、何となく」
「そうか」
「‥‥‥‥」
室長はそれだけで何も言わない。
え? 何か聞かないの?
と、思ったけど、まあいいかと、自分の席に座る。
思えばこの私の席は出勤初日にはなかった。隣はミナセさんの席。急遽、私の指導係になったんだった。
「‥‥‥‥」
最初から失礼な人だった。
入口近くにはクジョウ先輩のデスク。
反対側の端には、いるのを見た試しはないけど、カシワギさんの席。機知室内には黙々と作業をしてる女子事務員のような人はいるけど、彼女達はAIドール。人間じゃない。
“人が生まれてきた意味も、生きる尊厳も全てを奪っていくこのAI社会の歪を”
「‥‥‥‥」
ナツメさんの言葉が蘇ってくる。
でも人間の為にずっと働き続けてる彼女達を見てると、むしろ奪っているのは人間の方の気がする。
奥の情報処理室には、アイザワさんがいて、私には分からない何かをしてる。室長は相変わらずモニターを睨んだまま微動だにしない。
「‥‥‥‥」
これが、私が故郷の街から離れて、学生をやめて得た日常。
私が関わった三人とも今はいないけど、何処かで一生懸命(?)に、仕事をしてるに違いない。
「‥‥‥‥」
クジョウ先輩のデスクに目を向ける。
“それでも人は個人として悩み、選んでいくものです”
穏やかな優しさと、そんな言葉が浮かんできた。
「‥‥‥‥」
座ってるのを見た事のないカシワギさんのデスク。
“分かんなくても進むしかねぇ”
‥‥などという、投げやりだけど、人間くさい言葉‥‥を、言いそう。
「‥‥‥‥」
そして隣のミナセさん。
ミナセさんは肝心な事は何も言ってくれない。
でも過去の痛みや後悔を抱えながら、それでも今を生きてる‥‥その背中だけで、何となくわかる。
私を含めて、皆、与えられた枠を超えて「人間らしさ」を手放さずにいる。
「‥‥‥‥」
人間らしさ‥‥私のお母さんは、AIドールだって事で、受け入れられないできたけど、今は、あの温もりや優しさは、本当のお母さんだったって分かる。
線引きしてたのは私の方だった。‥‥それを認めるのが嫌だったんだと。
「‥‥‥‥」
ナツメさんは、AIを全て排除すれば人間は自由になると信じてたけど、その行動は個人や小さな幸せも犠牲にするんじゃないだろうか。
だからナツメさんのやろうとしている事は、ナツメさんが否定したいと考えているようなAIと同じ事をしようとしている‥‥と思う。
「よし!」
決めた。もう決定した! 迷わない!
怖いけど、それでも行こう!
「ふん!」
私は勢いよく立ち上がった。
ツカツカとその勢いのまま室長のデスクに向かっていく。
「室長、お話があります!」
「‥‥‥‥」
私のいきり顔を見た室長は、モニターから顔を上げてニィ‥‥と笑った。