何処をどう走ったのか‥‥実の所、良く分かってない。
ここは昼間、一度だけ来た場所。あの時はまさかこんなふうにまた来るなんて全く思ってなかった。
そうして通路を通り過ぎると、気が付かないうちに目の前に、ナツメさんのプライベートスペース。
そこにはこの騒動の中心の彼がいる。
記憶の中にある扉より、かなり圧迫感を感じるのは、私が気おくれしてるせい。
『全てを分かりあってこその夫婦だから‥‥私は改めてあなたに結婚を申し込みます。そして共にAI社会を打倒していきましょう』
私にそう言って手を差し伸べてきた。
多分、そこには他意はない。
ただ純粋に私の境遇を考えて‥‥。
「‥‥‥‥」
とは言っても、勝手に結婚相手に組んだのはおかしいんだけど。
『行って、奴に言いたい事をぶちまけろ!』
ミナセさんはそう言ってたけど、私は何を言いたいんだろうか?
計画を中止して?
結婚は破棄に決まってる?
「‥‥‥‥ん‥‥」
駄目だ‥‥全く整理出来ない。
こんな時は前進あるのみ。
私は扉に手を伸ばしたけど、触れるその前に勝手に開いていく。
“待ってたよ”
「‥‥‥‥」
そこにはナツメさんが直立不動で私を見てる。
相変わらず優しい笑顔。
「あなたの友人たちも一緒だとは思わなかったけど‥‥」
「‥‥‥‥」
その友人? には酷く冷たい対応だった。
ミナセさんは大丈夫だろうか。
「‥‥‥‥」
私は手をぎゅっと握った。
「君の返事を待っていたんだ」
「そう‥‥」
ナツメさんはいわゆるイケメンで、世の女性たちからすれば憧れなのかもしれない。
更に言えば、AI社会を受け入れて日常を普通に生きている男性にはない、スリリングな魅力もある。
「‥‥そうか‥‥こういう事なのか」
おかしな話だけど‥‥今、やっと理解出来た。
ユズキさんは、その誘惑にとりつかれたんだ。
全てが自分の意思とは関係なく決められていく、ひたすら不条理な社会。
このAIの箱庭世界から、連れ出してくれるかもしれないと‥‥。
だからひたすら真面目に愛そうとした彼を選ばなかった。
確かにナツメさんなら、世界の枠組みを壊して新しい世界へと連れていってくれるだろう。
その扉が開くまであと少しまで来ている。
「‥‥‥‥ツキシロさん?」
「‥‥‥‥」
黙ってしまった私に、前と同じように手を伸ばしてきた。
普通なら‥‥その手を取るかもしれないけど‥‥。
私もバカだから。
パシッと、その手を弾いた。
「お断りです」
「‥‥なぜですか? あなたはずっとAIに人生を狂わされてきたのではないのですか?」
ナツメさんは手を押さえて後ろに下がった。
「AIの勝手な判断で、十六で学生生活を切り上げられ、機械知特別対策室などという、望まぬ仕事をさせられ‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥そもそも、あなたの母親もAIドールに変えられてる。多感な時期にさぞ辛かったと思います」
「‥‥‥は?」
そんな事まで調べていたのか‥‥。
辛かった?‥‥そんな事は一度もなかった。
お母さんは‥‥ずっとお母さんだった!
「自首してください」
私は腰のパルス銃を引き出そうとしたけど、あちこちにひっかかってなかなか出せなかった。
なんとかナツメさんに向ける。
「‥‥それが答えですか」
銃口を向けられてるナツメさんは笑ってる。
「僕はこのAIから社会を取り戻す。そこから人間の世界を一から構築していくには、この世界をAIから解放した、僕がそのリーダーの一員になるでしょう。僕には新時代を共に生きる伴侶が必要だった。だが、着飾ってるだけでくだらない奴しかいなかった。まさかあなたも同じだったとは‥‥失望しました」
奥から二体の箱型のAIガードロボが出てきた。
さっき見たのと同じもので、手にはミナセさんを撃った大きな銃を持ってる。
「‥‥‥‥」
私は左右に視線を走らせる。
逃げ場はない。
どっちに行っても撃たれてしまう。持ってるこの麻痺銃では効き目がないのも分かってる。
詰んだとはこの事。
まさか十七の誕生日の前に命を散らしてしまう事になるとは‥‥。
あまりにも生き急いでしまった感もある。
「ツキシロさん‥‥もう一度、聞きます‥‥私と来てくれませんか?」
「‥‥は?‥‥嫌ですけど」
「‥‥そうですか‥‥残念です」
二体のロボットは私に向かって引き金を引こうとしたけど、その時、
“うおおおおお!”
そう言えば、開きっぱなしの後ろの扉の奥から、誰かが‥‥ミナセさんが大声をあげながら突進してきた。
脇にはロボットの腕ごと銃を持っている。
「意志を封じておいて強制する‥‥それはあんたが壊そうとしている今のAIがやってる事と同じなんじゃねえのか!」。
シュン!とミナセさんが抱える銃が一体のロボットに当り、煙を吹いて倒れた。
「くそ!」
ナツメさんは、コード付きの大きなスイッチを持ち上げた。
「これで! 中央AIは動きを停止する!」
笑いながら、そのボタンを親指で押した。
「‥‥‥‥ん?」
首を傾げながら、何回も押してる。
「‥‥残念だったな。今ごろはそのプログラムは解除されてる」
「ぐ!」
ナツメさんはスイッチを床に叩きつけた。
「どうして、どいつもこいつも僕の邪魔をする! そんなにAIの奴隷でいたいのか!」
私は言いたい事が見つかった。
「あなたはただ、自分の思い通りにならないから壊したいだけ! そんなのわがままな子供と変わらない! 例え、AIがなくなっても同じ!」
「う、うるさい!」
もう一台のロボットが私に銃口を向けた。
「ユメ!」
「!」
ミナセさんが私に覆いかぶさってきた。
腕に血の感触がある。これはさっき受けた銃の傷から。
まったく‥‥バカなんだから。
真面目で面白味がない人を選ばなかったユズキさんはバカだ。
私は‥‥そんな事はしたくはないんだけど。
“PI‥‥”
「‥‥‥‥?」
突然ロボットは動きを止めた。
「ど‥‥どうした?」
「このビルはシャットダウンされたらしいな。うちのハッカーは凄腕だ」
起き上がったミナセさんは、笑って口から流れた血をコートの袖で拭う。
「そ‥‥そんな‥‥」
ナツメさんは腰を落とした。
「‥‥‥‥」
私は立ってナツメさんの前に立った。
「待ってくれ‥‥僕は‥‥僕はただ‥‥」
さっきまでの勝ち誇った態度は雲散霧消。ただ情けない男がそこにいる。
「で、ユメ‥‥どうする、そいつ‥‥」
「‥‥むう」
でも、やる事は決まってる。
ケジメはつける。
そのやり方は前に聞いた。
「うりゃあ‥‥」
「ま‥‥ぐふっ!」
私の渾身のパンチに、ナツメさんは吹っ飛んで気を失った。
「‥‥全く、あのバカに感化されすぎだ‥‥ん?」
「‥‥‥‥」
私はミナセさんにもたれかかって‥‥いつのまにか泣いてた。
非常ベルが鳴る。
スプリンクラーから水が降ってきて‥‥泣いてた事に気づいていなかった‥‥と思う。
「‥‥‥まあ、刺激が強かったよな」
「‥‥‥‥」
甲高いベルの音が鳴り響いて、私が肩を震わせてた事も‥‥見られずにすんだ。
こうして今世紀最悪になるかもしれなかったテロ事件は、未然に防ぐ事が出来た。