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第20話 次なる冒険へ

 王国を揺るがせた“偽りの聖女”騒動が収束して以来、エスメラルダは“自由な聖女”として各地を巡る旅を続けていた。追放されながらも再び人々を救う姿は、王都に留まる改革派たちへも大きな刺激を与え、国のあちこちで「聖女がいてもいなくても、自分たちでやれることはあるはずだ」という意識が芽生えはじめている。実際、医療や福祉、教育制度を見直す動きが活性化し、カリーナの失脚で崩れかけた聖女制度は、より柔軟な形を目指す“進化の段階”へと入っていた。


 だが、その一方で、王太子アルヴィスや改革派の努力にもかかわらず、国中の問題がすべて消えてなくなるわけではない。かつてカリーナに加担した一部の貴族や高位官吏が、密かに権力を取り戻そうと画策しているという噂もある。聖女制度を廃止すべきだと主張する急進派が強硬な手段を取りはじめた地域もあるらしく、王都には「この先、また何か大きな波乱が起きるのではないか」という不安がじわじわと広まりつつあった。


 そんな声がわずかに聞こえ始めたころ、エスメラルダは街道沿いの小さな宿で一通の手紙を受け取った。差出人は、王都に残って改革派に協力している侍女のセレナだ。慌ただしく進む変革と、新たに生まれている不穏な動き、それからアルヴィスの近況などが綴られている。どうやら、近ごろ外国との摩擦が表面化しており、それに乗じて国内でも暗躍する勢力がうごめいているらしい。特に何名かの高位貴族が「王太子が行う改革は国を乱すだけだ」と攻撃し、民衆を煽っているという噂もあるという。

 セレナの手紙には、こんな一文があった。


> 「エスメラルダ様、もしも王太子が再び大きな危機に直面したとき、どうか手を貸していただけないでしょうか。私たち改革派も精一杯がんばっていますが、あなたのように“外から”支えてくれる存在が大きな力になると信じています」




 読んだ瞬間、エスメラルダの胸に細い痛みが走る。追放によって王都を離れたとき、「もうあの場所へは戻れないかもしれない」と思っていた。しかし、“自由な聖女”として生きる今、彼女は選べるのだ。いつでも王都へ行き、必要ならば協力できる――かつてのように“権威を振りかざす立場”ではなく、“一人の旅人”として。だからこそ、セレナの願いにも応えてあげられる。思わず唇に笑みが浮かぶ。

「もちろん。もし王都が危機に陥ったら、私にできる限りの力を使って、駆けつける。そんな自由が、今の私にはあるんだわ」


 手紙をそっとしまい、エスメラルダは宿の窓から街道を見下ろす。どこかの群れが通過したのか、道端には蹄(ひづめ)の跡がいくつも重なっている。あとで町の人に尋ねてみれば、どうやら“隣国との合同警備隊”が先日通り過ぎたのだという。もしかすると、その中にはヴァレンティンや、彼の部下の騎士たちがいたかもしれない。考えるだけで胸が弾むような感覚がある。

 出発を前に、彼女は少しだけ一息つき、鞄に薬草と手紙を収納する。ここ数週間、峠を越えて辺境の村を回ってきたため、体にはだいぶ疲れが溜まっている。今の彼女には、無理をして倒れてしまえば、多くの人を救う機会を失うという意識がある。昔は“聖女として”無理を重ねても自己犠牲を厭わなかったが、今のエスメラルダは少し違う。「自分が元気だからこそ、誰かを救える」という、大切な学びを得たからだ。


 宿の一階で夕食を取りながら、ふと彼女は“これから先の旅”に思いを馳せる。この国が抱える問題はまだまだ山積み。王都の改革も道半ば。それでも、自分が歩んできた道のりは確かに多くの人と繋がり、いくつもの命を癒やしてきた。そうした“小さな成功”の積み重ねこそが、次の冒険へと向かう原動力になっているのだ。


 食事を終えて宿を出ると、夜空にくっきりとした月が浮かんでいた。石畳を踏みしめながら、エスメラルダは町の外れへ向かう道を進む。冒険の先には、どんな出会いと試練が待っているだろうか。病に苦しむ人々もまだ多いし、改革を良く思わない勢力が各地で不穏な動きをしているという噂も聞く。下手をすれば、再び己の命を危険にさらすことになるかもしれない。だが、それでも彼女は後戻りするつもりはなかった。


「追放された聖女として絶望していた頃と比べれば、今の私はずっと強い。レオンやヴァレンティン、セレナや故郷の仲間たち……たくさんの友情と愛情を受け取っているから」


 彼女は自分の胸に手を当て、夜風を受け止める。王都や故郷の村、隣国をはじめ、この国や世界のどこかには、まだ出会ったことのない友情や愛、そして救いを求める声があるはずだ。自分の力が届くところなら、どこへでも行く――そう思うと、不思議なほど心が軽くなる。

 ときには面倒ごとにも巻き込まれるだろう。王太子アルヴィスが改革を進める中で、彼女に助けを求めるかもしれない。隣国の王子ヴァレンティンが彼女を必要とする場面もあるかもしれない。それだけでなく、まだ知らない地方の街や異国の地で出会う人々が、新たな絆を生む可能性だって大いにある。


 過去には“聖女”という地位に安住し、玉座の間で周囲の期待に応えながらも、陰謀に巻き込まれてしまった彼女が、今はどこまでも自由に冒険できる。それを許してくれるアルヴィスも改革派も、強く支えてくれるレオンも、縁が切れないヴァレンティンたちも、みんながエスメラルダの背中を押しているからだ。

 大きく伸びをしたあと、彼女は月明かりに照らされた石柱の立つ細道を抜け、野営するための場所を探しはじめる。その途中、道端で座り込んでいる老人を見つけ、「お困りですか?」と自然に声をかける。それこそが“自由な聖女”として、彼女が何よりも得意とする行動だ。驚いた老人は、彼女に食べかけのパンを差し出しつつ「足を痛めて動けなくなった」と訴える。エスメラルダは微笑んで了承し、さっそく応急処置に取りかかるのだった。


 ほんのささいな出会いかもしれない。しかし、その積み重ねが次なる冒険へと繋がっていく。幾度も人助けをこなし、地域を超えて縁を広げ、かつて“追放ざまあ”と揶揄された出来事がむしろ“人を繋ぐきっかけ”だったと、今のエスメラルダは言い切れる。もし裏切りや陰謀がなかったら、彼女はずっと玉座の間で“綺麗な聖女”の仮面を被り続け、外の世界を知らぬまま生きていたかもしれない。だからこそ、あの苦難さえも必要な道のりだったと信じている。


 こうして、“次なる冒険”へ向けて、エスメラルダは歩みを止めない。王都での華々しい逆転劇のあと、彼女の物語はより静かで地道な旅へと転じているが、それこそが本当の意味での“聖女の力”を活かす道だという確信がある。いまだ選べていない恋の行方も、人知れず抱いている不安も、数多くの出会いと経験のなかで少しずつ形を成していくだろう。

 故郷の村へ帰る日、王都へ呼び戻される日、隣国へ招かれる日――そのどれもが必ずやってくる。そこに危機や困難が待ち構えているとしても、彼女にはもう恐れるものがない。追放されてもなお自分の足で進んだ記憶が、かけがえのない仲間との繋がりが、いつでも彼女を支えてくれるから。


「さあ、行きましょう。世界には、まだ出会っていない人や笑顔が待ってる」


 夜空にきらめく星を見上げながら、エスメラルダはまたひとつ小さな奇跡を起こす――傷んだ老人の足を軽く癒やし、旅の路銀の不足を補うために薬草を譲って感謝の言葉を受け取り、笑顔と笑顔の交換を果たす。それは派手な“奇跡”ではない。けれど、こうした一歩一歩が、未来の大きな流れを作ることを、彼女はもう知っている。


 この一節が終わっても、エスメラルダの旅路は続く。まだ誰も見たことのない冒険が、彼女を待ち受けているだろう。“追放ざまあ”の結末は、じつは新しい始まりの合図でしかなかったのだ。王都から続く街道は、さらに遠く、広く、彼女の足跡を刻むためにどこまでも伸びている。

 その背中に、別れを惜しむ人の声や、旅先で再会を誓う仲間の笑顔、そして一度は失ったと思っていた恋の予感までもが宿っている。かつては追放で築かれた怨嗟(えんさ)や傷があったが、今はそれらすらも力に変え、“次なる冒険”の幕を上げる原動力として息づいているのだ。


 そして、いつの日か彼女が再び王都へ戻ってきたとき、きっと“新たな聖女制度”が整備され、アルヴィスやセレナ、改革派たちの奮闘で国がさらに変わっているかもしれない。そのとき、この物語はまた新たな局面を迎えるのだろう。

 ――何が起きても、もう二度と絶望に沈むことはない。自由と愛を得た“元聖女”エスメラルダの物語は、ここでひとまず幕を下ろすが、彼女の心は遠い旅先を見つめたままだ。小さな奇跡をいくつも連ねて、やがて世界へと広がる大きな潮流を生み出すために。“追放ざまあ”から続いた長い道のりは、いま“次なる冒険”へと誘う舞台となって、まだ見ぬ未来を照らしている。




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