各地を巡る旅を続けるエスメラルダには、いまや王都や故郷の村、隣国など、さまざまな場所に友人や仲間ができていた。追放を経て“自由な聖女”として生きる道を選んだ彼女だが、その孤独を一番恐れていた過去の自分からすれば、驚くほど多くの人たちと“友情”を育むようになったのだ。王都の改革派、神殿で頑張る若い侍女や司祭、そしてかつての幼馴染たち――どこへ行っても彼女のことを気にかけ、支えてくれる友人たちの存在は、エスメラルダ自身の活力になっている。
ある日の夕暮れ、エスメラルダは山間の集落をあとにして舗装された街道へ出た。空は茜色に染まり、まもなく夜の帳が降りてくる。次の目的地まで宿はなさそうだから、適当な場所で野宿するしかないかもしれない。昔の彼女なら、聖女としての身分を明かすだけで安全な寝床を確保できたのだろうが、“自由な聖女”として生きる今はそうはいかない。それでも不思議と心は弾んでいた。なぜなら、今日は親しい友人から届いた手紙を読み返していたからだ。
差出人はレオン。故郷の村で一緒に育った幼馴染であり、彼女を追放後も支え続けてくれた大切な存在だ。少し前に行商人づてで手紙を送ったところ、今回の旅先の宿泊地へその返信が届いたのだ。内容は近況報告が中心で、村での収穫祭の準備や、レオン自身が新しく鍛冶仕事を始めるにあたって苦戦していることなどが書かれていたが、そのどれもが穏やかな口調で綴られていて、読むたびに微笑ましい気分になる。
> 「エスメラルダ、そっちの旅は順調か? こっちは村の連中がみんな元気だぞ。
新しい鍛冶場を立ち上げたら、いろんな注文が来て毎日忙しい。
でも、疲れたときにふとお前のことを思い出すと、不思議と力が湧いてくるんだよ。
一緒に畑で遊んだあの頃より、今のほうが“お前を誇りに思える”なんて、
ちょっとくすぐったいけど、本気でそう感じてる。だから、お前も無理はするなよ。
村に帰るときは、みんな大歓迎で迎えるからな」
そんなレオンの言葉には、昔ながらの気安さと同時に、エスメラルダを大切に思う温かさが詰まっている。特に「お前を誇りに思える」という部分には、思わず彼女の胸が熱くなった。追放され、すべてを失ったと思っていた自分を、こうして誇りに思ってくれる人がいる――その事実は、旅の疲れを癒やし、心を強くしてくれる要素だった。
翌朝、エスメラルダは山道の途中で野宿をしたあと、早めに目を覚まして次の町へ向かっていた。すると、ふとした拍子に道ばたで馬車の車輪が壊れたのか、困り果てている老人と孫娘らしき少女に出くわした。彼女はすぐに声をかけ、手持ちの道具と知識を使って車輪の軸を補強し、簡易的な修理を施した。修理が完了すると、老人も少女も喜び、道具のお礼にと少しばかりのパンと水を渡してくれた。
「旅の人にここまで助けてもらうなんて……まるで昔語りに出てくる“遍歴の聖人”みたいだわ」
と孫娘が無邪気に笑うのを聞き、エスメラルダは少しだけ複雑な気持ちになる。“聖女”ではなく“遍歴の聖人”と呼ばれることに、かつてならアイデンティティを揺さぶられたかもしれない。しかし今は違う。彼女自身が、かつてのように“聖女として祀り上げられる”よりも、人々に寄り添って日常を助けるほうが性に合っているのだと知っているからだ。
「ただの旅人ですよ。ちょっと薬草や修理の心得があるだけで……。でも、助けになれてよかった」
そう微笑むと、少女は「ありがとう」と満面の笑みを返して旅立っていった。こうした小さなやり取りの積み重ねが、エスメラルダにとっては“日々の幸せ”でもある。
その日の昼過ぎにたどり着いた小さな町には、ちょうど見覚えのある旗が揺れていた。隣国の紋章をあしらった旗――やはりヴァレンティンたちが近くで動いているのだろうか。そう胸を躍らせながら町の門をくぐると、聞こえてきたのは市の広場で開かれている野外市や、人々の賑やかな喧騒だった。少し歩き回ってみても、騎士団らしき姿は見当たらない。どうやら隊列は既に移動してしまったらしいが、それでもわずかな期待感がエスメラルダの胸に灯る。
ヴァレンティンとの友情――あるいはそれ以上の感情――も、エスメラルダにとっては大切な宝物だ。王都の陰謀を暴くために命を懸け合い、その結果として今でも文通や駆けつけ合いを続けている。互いに身を置く場所は違えど、お互いを気遣う気持ちが途絶えたことはない。ときには部下を通じて手紙が届き、そこには「隣国の方でも異変があったが、落ち着きを取り戻した」などの近況が綴られていたりする。
エスメラルダはそんな報せを受け取るたびに、追放される前には得られなかった“友情の広がり”を噛みしめている。かつて聖女として王都に閉じこもっていたとき、彼女の交友関係はごく限られていた。だが今は、王都を越え、隣国を越え、時には行商や旅人たちとも気軽に言葉を交わすようになった。そんな彼女を後ろ盾なしで支えてくれるヴァレンティンは、誰よりも心強い味方だ。
さらに王都の侍女・セレナからも、何度か便りが届いている。セレナは改革派の手伝いをしながら、王宮や神殿で新しい仕組みを広める活動を行っているらしい。以前のような“聖女をひたすら礼賛するだけ”の風潮が薄れてきて、多くの侍女がそれぞれの意欲や得意分野を生かせる道を探し始めているとか。そうした動きは、カリーナが陥れた仲間を取り戻す大きな希望にもなっている。セレナと彼女たちを繋ぐのは、かつての“偽りの聖女騒動”を共に耐え抜いた友情であり、エスメラルダが誠実に向き合ってきた絆にほかならない。
人との繋がりは、紙の上の契約や儀式よりもはるかに強靭だ――エスメラルダはそう実感している。追放ざまあとして絶望したあの日以来、彼女はどれほど多くの友情に救われてきたか数え切れない。レオンの村やヴァレンティンの騎士団、セレナたち侍女仲間、そして多くの旅人たち。ひとつひとつは小さな縁かもしれないが、それが折り重なって大きな安心と力を彼女にもたらしているのだ。
夜更け、野宿のために町外れの川辺へ移動しながら、エスメラルダは手紙をまとめて保管しているポーチをそっと撫でる。ここには、故郷の村の仲間や、王都の改革派、隣国の知己からもらった手紙が何通も詰まっている。声を聞けばすぐわかる仲間でも、距離を隔てて想いを交わす手紙には、また違った味わいがある。そして、そのどれもが「あなたのことを大事に思っている」「いつでも助けるよ」という意味がこもっていて、エスメラルダの胸を温かく満たす。
「追放されていたころは、誰にも頼れないと思っていた。でも、そんなのは思い込みだったのね……」
エスメラルダは笑みを浮かべながら、小さく独り言ちる。あのときは王都から見放されたと思い込んでいたし、王太子や貴族の非情な態度に打ちのめされ、すべてを失ったような絶望感に囚われていた。けれど、蓋を開けてみればレオンは変わらず心を寄せてくれ、セレナも勇気を振り絞って彼女に手を伸ばしてくれた。ヴァレンティンをはじめとする隣国の人々まで、危険を冒して共闘してくれた。そうした友情の紡ぎ直しが、今の“自由な聖女”の姿に繋がっている。
こうして“友情の絆”に支えられ、エスメラルダの旅は続いていく。ときには文通だけで離れた仲間を感じることもあるし、思いがけず道で再会して抱き合うこともある。各地を巡る彼女の足跡は小さいようでいて、確実に人々を繋ぎ、勇気づけている。逆に、仲間の言葉が彼女自身を励まし、新たな土地へ踏み出す背中を押してくれるのだ。
かつての聖女という特別な地位よりも、今はこうした“友情”こそが、エスメラルダにとって最大の宝だ。誰かを救うたび、誰かと笑い合うたび、その宝は輝きを増し、同時に彼女の癒やしの力もどんどん豊かになっているように感じる。
風の音が耳を掠める夜。川辺のテントで焚き火を見つめながら、エスメラルダはこの先の旅路に思いを馳せる。どこかでまた苦難が待ち受けているかもしれないが、彼女はもう孤独に震える必要はない。王都にはセレナや改革派の仲間がいて、故郷にはレオンがいる。隣国にはヴァレンティンや騎士団がいる。すべての場所に“私の大切な人”がいる、そう思うだけで夜の寒さもどこか薄れていく。
「ありがとう、みんな……私、明日もがんばって人を助けるわ。私がつまずいても、きっと誰かが手を差し伸べてくれる。だから私も、出会った人に手を差し伸べたいの」
ひとり呟くその声は、夜の静寂の中でひときわ温かく響いていた。こうして、追放ざまとして始まった厳しい物語は、いまや“友情の絆”によって優しく包まれる新たな章へ移り変わっている。王都でも、故郷の村でも、隣国でも――その絆が織りなす大きなネットワークこそが、いつか世界を動かす原動力になるのかもしれない。
それが、エスメラルダが信じ続ける“人と人とのつながり”の力だ。
この夜、星明かりの下、川面にゆらゆらと焚き火の光が映し出される光景は、どこか幻のようにも美しかった。手紙を大切に仕舞い込みながら、彼女は安らかな眠りに落ちていく。明日もまた、新しい出会いと友情が生まれるかもしれない――そんな予感を胸に抱きながら。