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第18話 王国の変革

 エスメラルダが“自由な聖女”として各地を旅するようになって、王都では少しずつではあるが着実に変革の芽が生まれ始めていた。偽りの聖女カリーナを担ぎ上げた一派は、その後も調査と裁判が進められ、多くの貴族や重臣が処罰され、ある者は失脚したり国外追放になったりしている。アルヴィス王太子は改革派の貴族と手を携え、未曽有の大騒動で受けた傷跡をどう埋めるか、日夜頭を悩ませながらも全力を尽くしていた。


 そもそも、聖女制度は王国の歴史と深く結びつき、“神の祝福を受け継ぐ存在”として国を支える重要な柱だった。それが一夜にして“偽り”として崩れ去った衝撃は大きく、王都の民衆は「もう聖女なんて信じられない」と動揺し、一部では「この際、聖女制度そのものを廃止すべきだ」と主張する声も上がる。一方で、カリーナの大罪が明らかになったあとも「やはり本物の聖女が国には必要だ」という伝統派もいる。大きく分裂しかけていた世論をまとめあげるのは、容易なことではなかった。


 そんな中、アルヴィス王太子は、聖女制度を根本から見直すための“王国改革会議”を新たに立ち上げる。かつてのように何もかも聖女に丸投げするのではなく、国王や重臣たちが政治・経済・軍事の責務を担いつつ、“もし本物の聖女が現れたとしても、その力を正しくサポートできる体制づくり”を目指すという。これまで、聖女が“絶対的な存在”として崇拝され、場合によっては権力者に利用されてきた構図を、抜本的に改めようと試みているのだ。


 そこで大きく役立ったのが、**“追放された後も人々を救い続ける”**というエスメラルダの行動そのものだった。彼女は王宮に縛られずとも、薬草や癒やしの術を広め、実際に人々を助けられる。それどころか、華やかな城の奥深くにいるときよりも、遥かに幅広い領域で効果的に力を使っている。しかも、それは“王国の権威”というより、“ひとりの人間”としての優しさと意志によるもの――その事実が周知されるにつれ、かつて聖女の絶対性に疑問を抱けなかった民衆までが、新しい価値観を受け入れ始めた。


 さらに、改革派の貴族や下級官吏たちは「聖女の奇跡頼み」だった部分を見直そうと、医療や福祉の制度を整え始める。カリーナの偽装を暴く過程で判明したのは、王宮に集められる“寄付金”や“聖女の名の下に集められた税金”が、かなりの割合で汚職や贅沢のために使われていたという事実だった。今後はこうした資金を透明化し、必要な場所へ再分配するしくみをつくることで、聖女の負担を減らすとともに、国民がより平等に恩恵を受けられるようにしていく――。アルヴィスはそんな理念を掲げ、実務を知る官僚や新進の若手貴族を積極的に取り立てていた。


 とはいえ、現実的に見れば、改革はなかなか進まない。聖女制度を何十年も支えてきた大貴族の一部には、「それこそが王国の歴史と神聖さを支えている」というプライドがあり、容易に譲歩しない。追放や陰謀をめぐって処分を受けた者たちも、完全に黙っているとは限らない。権勢を取り戻そうと暗躍する連中も少なからずいるわけだ。

 それでも、カリーナの失脚で大きな変化を目の当たりにした庶民の多くは「もう昔のように何も言わず従うだけではいけない」と気づき、積極的に意見を発するようになった。城下町では新たなギルドや自治組織が作られ、医療や教育について官吏を通じて意見を届ける取り組みが少しずつ試みられている。これまで「聖女がすべてを救ってくれる」と思い込んでいたところを、もっと自分たちで出来ることはないかと考え始めたのだ。


 いわば、“追放ざまあ”の一件が、王都全体の目を覚ました――という言い方もできるだろう。聖女という“神聖不可侵”な存在を振りかざして政治や権力が振り回される時代は終わり、今は“もし聖女がいても、彼女は人々を支援する役割のひとつであり、国を動かすのは王や貴族、あるいは民衆自身だ”という考え方が広まりつつある。アルヴィスがかねてから痛感していた“嘘にしがみつく限り、この国は腐る”という恐れが、ようやく正しい方向へと転じ始めたのかもしれない。


 そうした変化は、もちろん王都だけに留まらない。エスメラルダの故郷の村でも、「国からの過剰な聖女奉仕要請に振り回されなくなったおかげで、村独自の発展に力を注げる」という声が上がっている。もともと村人たちは、聖女にかかわる行事や寄付を取りまとめる役目を課せられていたが、追放騒動を機にその負担が大幅に軽減したのだ。今では薬草の生産や小さな鍛冶工房の立ち上げなど、地域に根ざした試みが活性化しており、レオンら村人たちも活き活きと働いているらしい。


 また、聖女制度を支えてきた神殿の一部にも改革の波が訪れている。エスメラルダがかつて使っていた礼拝堂や祈祷室は、今は一般市民にも開放され、祈りや瞑想をしたい者が自由に出入りできる空間となりつつあるという。以前のように“聖女だけが使う神聖な空間”という扱いではなく、“誰にでも開かれた場所”になろうとしているのだ。おごり高ぶった一部の神官がまだ抵抗しているようだが、改革派のバックアップもあり、少しずつ風通しが良くなっている。


 そんな折、アルヴィス王太子が中心となり、ある新制度の草案が王都の市場で公開された。名を「聖女補佐制度」といい、聖女としての力を持つ者が現れた場合、王都に常駐するわけではなくとも、必要に応じて国が支援できるように、また逆に聖女が国と連携を取りやすいように手配する仕組みを定めるというものだ。たとえ“自由な聖女”であっても、物資や補助金、情報共有などを整備し、各地を巡る際の行路を確保するなど、実務面をサポートしようとする意図が込められている。


 これが実現すれば、いずれエスメラルダが王都に立ち寄ったとき、余計な手続きや貴族の顔色を気にすることなく、真っ直ぐ必要な場所へ向かうことができる。彼女が徐々に築いてきた“自由な聖女”のあり方を、国そのものが制度として認め、フォローするという格好だ。もちろん、伝統派は「そんなものは聖女制度の冒涜だ」と反発しているが、庶民や改革派は概ね好意的に受け止めており、近い将来議会で正式に議論される見込みになっている。


 このように、大事件の余波はむしろ“更なる進化”を促す原動力となり始めていた。国を腐らせていた陰謀が明るみに出たことで、ほんの少しだけ空気が軽くなり、次のステップへ進むための風が吹きはじめているのだ。まだ問題は山積みで、完全に解決にはほど遠いが、それでも「前に進もう」という意思を持つ人々の熱が、王国全体を包み込もうとしている。


 そんな変革の様子は、各地を巡りながら耳にするエスメラルダの元にも自然と伝わってくる。滞在する村々で「王都が変わろうとしているらしい」「聖女がいなくても、何とかなるかもしれない」なんて囁き合う声を耳にすると、彼女は胸の奥にじんと温かいものが広がるのを感じる。かつては追放により、一夜で地位も信頼も失ったはずなのに、今は“王都が少しずつ良くなっている”と聞くたび、自分もその変化の一端にかかわれたのだと実感できるのだから。


 もちろん、エスメラルダ自身が改革を先導しているわけではない。彼女はあくまでも“自由な聖女”として、人々の求めるところへ足を運び、困りごとを解決しようと努めている。王都の改革はアルヴィスや改革派、そして神殿や市民の協力による結晶だ。それでも、彼女が“元聖女”でありながら王都を離れ、各地を巡って自分の力を使い続けている姿は、大きな刺激を与えているに違いない。


「聖女は“ここ”にも、“あそこ”にもいてくれる。王都の玉座だけが聖女の場所じゃないんだ」

 そんな噂が、やがて人々の口から口へと広まり、日常にささやかな希望をもたらす。大それた奇跡など起こせなくとも、エスメラルダは“そこにいて、寄り添うだけで心が救われる”と言われるほど、自然と人々の輪に溶け込んでいくのだ。


 こうして王国は、カリーナの偽りの聖女騒動をきっかけに、大きく揺れながらも前へ進んでいる。制度に頼らなくとも、人々が自ら動き出すことを学び、同時に“本当の聖女”が外から支える形もありうる――そんな新しい価値観が少しずつ根を下ろしているのだ。

 その姿はまさしく、“追放ざまあ”の逆転劇がもたらした最大の恩恵といえるだろう。誰かが嘘で糊塗した繁栄を捨て去り、真に必要な道を探し始めた結果、聖女制度すら進化の途上にある。そして、その中心には“自由な聖女”エスメラルダが、小さな背中に大きな信頼を担いながら歩み続けている。


 いまだ道は長く、問題は山のように残されている。それでも確実に、王国は動き始めた。人々が力を合わせ、制度と価値観を改革しようとする情熱は、やがて国境を越えて隣国やほかの地域にも波及するかもしれない。エスメラルダ自身も、その潮流を感じ取りながら、どこかで再び王都へ立ち寄る日が来るだろう。

 彼女が追放された日からの歴史が、いま新しい章を迎え始めている――それが、“王国の変革”と呼ばれる物語の根幹となっていくのだ。





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