薄暗くなってきた道を自転車で走り、家に飛び込むと丁度マユミの母親が玄関の掃除をしていたのか顔をあげた。
『あら、マユミ君、おかえり。』
『ただいま。』
マユミは出来るだけ笑ったつもりだったのに、その顔を見た母親は驚いた声を出した。
『どうしたの?マユミ君・・・顔が赤い。』
『え?ほんと?』
そっと頬に触れられてマユミは母親の手の感触を確かめる。
『マユミ君?』
そうだよね・・・やっぱり違うよね。お母さんは安心する。
マユミは頷くと首を横に振った。
『大丈夫、急いで帰ってきたから顔赤くなっちゃったのかな。着替えてくるね。』
『本当?大丈夫?』
もう一度両手で頬に触れられて、頷いた。
『大丈夫。』
『じゃあ、お母さんはご飯の用意します。用意できたら降りてきて。』
『はーい。』
いつもどおり階段を上がって部屋に入るとリュックを置いてベットに座り込む。
自販機の前、夕暮れ時の美しい時間に二人きり。ベンチに座って、他愛のない話をしてアイスクリームを食べて。とても嬉しくて幸せな時間だった。
マユミは片手でタカヤが触れた頬を抑えた。
・・・すごくドキドキした。ほんの一瞬だったのに、体の全部の神経がそこに集まったのかくらいに集中して。もしかして・・・こういうのって・・・。まさか、だって先生、タカヤさんは男だし、僕だって男だよ。でも・・・ドキドキしたりするのって・・・まさか。
目の前の両手を開くと赤みがゆっくりと指先へと移動し、手の平は白くなっていく。
お母さんとは違う。一緒にいると安心するし、先生とはもっと話したい。もっと一緒にいたい・・・これって・・・。女の子以外にも恋をするって聞いたことはある。でも僕が・・・そう?けど、先生は?
ぐるぐるし出した思考に両手でパンと頬を叩くと、制服を着替えて部屋を出た。リビングの席につき、母親が暖かい湯気の上がる椀を置いた。
『はーい、じゃあいただきましょう。』
両手を合わせて箸を持つと食事が始まった。マユミは椀に口をつけて母親の顔を見る。
『マユミ君、どうしたの?』
『お母さん、死んだお父さんって一目ぼれだったんでしょ?確か。』
『なに、急に?』
マユミが箸を置いたので母親も手を止めた。
『なんか・・・聞きたくて。駄目?』
『良いわよ。惚気ちゃうから。お父さんはね良い男だったの、背が高くて力持ちで、お母さんなんてひょいって持ち上げちゃうくらい。んー、マユミ君は優しいところが似てる。ご飯もおいしそうに食べてくれる人だった。先に死んじゃだめよって言ってたのに・・・逝っちゃうんだもん。酷い人・・・でも大好き。』
『そっか。ふふ。』
父の事を語る母はいつも可愛らしく映る。まるでまだ恋をしているようにキラキラして見える。マユミは胸の中にある問いをぶつけてみた。
『ねえ、お母さん。好きってどんな感じ?』
『好き?』
『そう、お母さんはまだお父さんが好きでしょ?どんな感じなのかな?って。』
『そうね。お母さんはマユミ君を好き、大好き。それは家族で身を分けたものだから。お父さんは・・・そうね、心を分けた人なの。恋をして、心を砕いて、大切にして。一緒に大事なものを作り上げたの。それがマユミ君。好きっていうのは、相手の一番深くまで見えた時に、ああ・・・この人が好きって思うことなのかも。』
『じゃあ、愛は?』
『愛か・・・愛は、隣で眠れることね。ふふ、でも違うかも知れない。お父さんなら違うことを言うかも知れないし・・・。ほら、惚気話は終わり!冷めちゃうから食べよう。いただきます!』
『はーい。』
二人は箸を取るとにこやかに食事を始めた。