目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第15話 致命的なミス

 EXCで発生したサーバエラーは、ゲームをプレイするどころかログインすらできない事態に陥った。

 こう云う時は全ての開発担当が総掛かりでリカバリを試みる。当然、椎葉も川端から助勢を要求された。しかし彼は断り、翌朝まで深い眠りを堪能した。

 要求されたところで、アカウントを抹消されている時点で何もできなかった。新宮のアカウントには入れるが、死者のアカウントで作業するのは怪しまれるから御法度だ。尤も、昨日の反撃と云う前科を棚上げしてのことだが。

 特定された原因は、オペレータAIの暴走によるゲーミングサーバのオーバーローディングだった。

 過負荷が掛かり続け、結果としてシステムがダウンした。そして厄介なことに、これが引き金となってゲーミングシステム全体に深刻なバグが発生し、更にはその状態が東京と福岡のサーバ間でシンクロされた。つまり、東京でリカバリしたデータを全て福岡のサーバにコピーしなければならない。

 椎葉を除く全員がオフィスや自宅でPCに向かい、キーボードを叩いているが、リカバリが想定以上に長引いている。日単位で時間を要するのは目に見えていた。オペレータAIだけでなく、システム全体の事実上のリニューアルを余儀無くされたことが大きい。

 東京に戻った椎葉がアカウントを失ったことは、既に開発部でも知られていた。貝塚がいなくなった今、アカウントは再設定の形で復活させることはできる。だが、椎葉は既に身を引く気でいた。自分がいなくても、EXCはどうにかなる。

 東京中央国際空港に降り立った椎葉は、殺気立つオフィスに顔を出さず、余っていた有給休暇を全て使う手続きをスマートフォンで済ませる。30分後の飛行機で着く逢沙を出迎えたのは、昨日の夜のデートの続き……ではなく、エクシスが直面している問題の整理のためだった。揃って空港のラウンジに入り、無料のコーヒーを手に、端のカウンター席に並ぶ。

 専用のSNSにすらアクセスできなくなり、ソーシャルメディアには不満や批判と経過報告を求めるユーザの投稿が殺到している。外部からの攻撃に陥落したものではないだけ、まだマシだが。

「フェス前に痛手だな……」

と椎葉は言うが、逢沙には他人事にしか聞こえない。

 恋人のエンジニアにとって、この混乱を使ってアドミニストレータAIを改悪されなければそれでいい。だが、それは叶わないだろう。

「……フェスね」

と逢沙は言い、赤い小さなノートに走り書きした。


 翌日の放課後。駅で結奈や彩花と別れた澪は、1分前に着いたばかりの悠陽に近寄る。昼休み、澪が誘いのメッセージを送っていたのだ。

 誰にも聞かれないようにと、ホームの端に立つ2人。悠陽は問う。

「何なの?」

「……栄光の剣の、何を知っているんですか?」

澪からの突然の、そしてストレートな問いに、悠陽は戸惑いの表情を露わにする。

 「この駅で悠陽さんを襲った犯人は、ゲームに触れたことすら無かった。通り魔なら、あたしを狙ってもよかったハズ。……悠陽さんが、栄光の剣について何か知っている。だから、シュヴァルツのフォロワーに狙われた……。そう思うんです」

と澪は言った。

 被害者にとってはセンシティブ。しかし真相を知り、彼女を護るためなら、腫れ物に触るような変化球を投げることはできない。

 悠陽は、1分近い沈黙の後で答えた。

「栄光の剣、私も崇めているわ。AIが統べる世界は面白そうじゃない」


 悠陽の口から出た言葉は、澪の表情を強張らせるには十分だった。

「社会の未来は、AIが書き換えていく。澪も、見てみたいと思うでしょ?」

「それが時代の流れなら……」

と答えるのが精一杯の澪に、悠陽は言う。

「シュヴァルツが、栄光の剣を司っていることは知ってるわ。でも、シュヴァルツ本人を支持していたワケじゃない。あくまでも、団体としての理念を支持していただけ」

 「……シュヴァルツが悠陽さんに目を付けたのは、偶然でしかなかった。スケープゴートは、女子のアバターなら誰でもよかった」

「でも、シュヴァルツ自身が困惑する事態に陥り、悠陽さんは狙われた。その犯人は、スタークが殺されたことにも関与しているのでは……」

と澪は続けた。

 悠陽とスタークの共通点は、シュヴァルツをよく思っていなかったこと。しかし栄光の剣については、悠陽は少なからず肯定的だった。スタークは否定的だから殺された、としても悠陽が狙われる理由は無い。

 狙われるべき理由が有るとすれば、それは一つ。答えにくいから躊躇っているとしても、何度でも問うしかない。

「……悠陽さんは、栄光の剣にとっては不都合なことを掴んでる。何を知っているんですか?」

悠陽は、ダークブラウンの澪の瞳から逃れられない。そして、漸く口を開いた。

 「……栄光の剣は、EXCのAIを操ってる。アバターのパラメータ調整から、エグゼキュータやゾンビアバターの発動まで、栄光の剣の裁量次第なのよ」

その言葉に、澪は疑問をぶつける。

「でもあれは、アドミニストレータAIが……」

「AIに判断されない設定を秘密裏に付与した。データベースサーバの管理者スキルが有るなら、簡単にできることよ」

と悠陽は答える。澪には、それが単なる憶測とは思えない。

「どうして、そのことを……」

「チート行為には気付いていたの。明らかに太刀打ちできないようなエネミーですら、単体でも簡単にキルするんだから。怪しむのは当然よ」

と悠陽は言った。


 ナンパされる3日前、悠陽は無差別級のレイド戦でワンサイドゲームを喫していた。ユーザのレベルに合わせた設定がエネミーの個体ごとに施されるのだが、このスケーリングのエラーで歯が立たないエネミーと対峙したのだ。

 あと2発でキルされる……そこに颯爽と現れたのが、シュヴァルツだった。瞬く間にエネミーを撃破し、その場に居合わせたユーザからは持て囃されたが、悠陽は一つ引っ掛かっていた。

 確かに、シュヴァルツのステータスは自分よりも断然高かったが、それでも99パーセントの体力を残したエネミーをたった3発でキルできるとは思わなかった。

 その日を境に、悠陽はシュヴァルツに寄られるようになった。最強のコミューンのメンバーから近付かれることは、フォロワーにとっては名誉なこと。しかし悠陽はそうではなく、それどころかあの強さが引っ掛かっていた。

 悠陽は一度、その強さについて問うた。シュヴァルツは、レベルと持っている武器の違いを語った。

 全てがレアアイテムだった。サブスクリプションユーザは入手できる確率が無料ユーザより高く、理論上はレアアイテムだけで武装できる。

 悠陽はその説明を信じる他無かった。だが同時に、データベースサーバで意図的にアイテムやパラメータのチートを付与していないと、説明がつかないと思っていた。

 その強さを怪しみ、或る意味恐怖すら覚える悠陽を、シュヴァルツは警戒していた。そして、アルバ内での疑惑が生まれたタイミングで、ナンパを仕掛けた。

 仮に悠陽がナンパを受け入れていれば、シュヴァルツはその関係を使って口止めしただろう。しかしそうはならず、大学生ユーザの思い通りになった。

 「……これでも情報科だからね、システムについては少しぐらい知ってるわ」

と悠陽は言った。

「EXCのAIを活用して新時代を切り拓く、でも実態は単なるAIの悪用。公平公正に見せ掛け、自分たちの思い通りにする……?」

「AIで、社会の勢力図は大きく書き換わる。私たちの世代から、世界は大きく変わっていくのよ。……その社会で勝ち組にならなければ、未来は使役されるだけ。栄光の剣は使役する側としての道を約束する」

と続ける悠陽に、澪は言葉を返す。

 「でもその思惑が、数々の事件を引き起こしたとするなら、栄光の剣も断罪されなければならない。犯罪すら厭わない、その思惑さえ滅ぼすことができるなら、その時こそ栄光の剣は、誰もが望んでいた形になる……」

 流雫を通じてアルスから学んだ言葉を、アレンジしたに過ぎない。しかし、澪にとっては一生大事にしたい名言だった。

「蔓延る邪な思惑を排除できれば、残った人々の手で再生されていく」

綺麗事でしかなくても、その言葉を信じていたい。

 悠陽の前で初めて、丁寧語を使わなかった。そのことに、ロングヘアの少女は少しだけ驚いていた。

 「……甘いわね」

と言った悠陽は、しかし澪の言葉に重みを感じていた。

 栄光の剣そのものを否定せず、寧ろ再生を期待している。甘い、しかし澪なら実現できる。やはり澪には敵わないし、その言葉に乗るしかない。

 「ありがと、悠陽さん」

と澪は言う。彼女の憎まれ口、それに隠れた本音を見透かしていたかのように。


 悠陽との会話は、全てトランスクリプション機能でテキスト化されていた。帰りの列車に揺られながら、澪は流雫にそのデータを送る。

 中の人が、率先して不正行為を働いていた。その不正に気付いていたから、スタークは殺され、悠陽も狙われた。

 椎葉と逢沙の会話を裏付ける形となった悠陽の言葉に、澪は怒りを覚える。そして、一つの可能性に辿り着く。澪はメッセンジャーアプリを起動させ、流雫のアイコンをタップした。


 「川端がシュヴァルツのチートをサポートしていた。千代の命令を受けて」

そのメッセージが届いたのは、流雫がペンションに帰り着いたのと同時だった。そして夜、ペンションの手伝いを追えた流雫は、澪のスマートフォンを鳴らした。

「栄光の剣自体、千代が創設して息子を頂点に座らせたとするなら。千代の命令を受けた川端がシュヴァルツをサポートしていた。昨日の逢沙さんたちの話を聞く限り、他にめぼしいエンジニアはいないような……」

「……だとすると、貝塚は美浜さんを監視しているか、川端に監視されていた。……でも、貝塚が一つだけ大きなミスをした。それが川端から千代に伝わって、貝塚の殺害に至ったとするなら……」

と澪の言葉に続いた流雫に、澪は

「ミス?」

と問う。流雫は、浮かんだ一つの線を言葉にした。

「美浜さんを、福岡に飛ばした。監視できる環境から追い出したんだ」

 椎葉がペンションをチェックアウトする時、今から福岡に行くことを流雫にぼやいていた。福岡で何をしていたか、までは知らないが。

「貝塚の思惑は知らない。しかし結果として監視できる環境から美浜さんを逃がした、川端や貝塚の目にはそう映った」

「まさか、美浜さんを逃がした罰として、処刑されたと云うの……?」

「可能性でしかないけどね」

と流雫は言った。淡々とした口調だが、軽々しく人が殺されていることに対する怒りが滲んでいることは、澪には判る。

 「……人の命を、何だと思ってるの……?」

そう呟いた澪の怒りは、尤もだった。公益に見せ掛けた私利私欲、そのために人が犠牲になったことを、理由はどうであれ見過ごすワケにはいかない。

「……全ては週末かな」

と流雫は言った。EXCにとってはそれまでが正念場。そして、フェスがEXCの集大成であり、AIを軸としたメタバース事業の発表も有るだろう。それは、エクシスにとっての集大成でもある。

「早く土曜にならないかな」

と澪は言う。何かが起きる不安と、好きな人たちに会えることへの期待の間で、ボブカットの少女は揺れ動いていた。


 EXCのサーバエラーが長引くことは、今の悠陽にとって悪いことではない。小さなミシンを使い、碧きシスターの衣装を縫っていく。澪から送られてきたスクリーンショットは、その意味では有効だった。

 自分のアバターの衣装を新調する時間も有る。今度は池袋のイベントのような事態にはならず、1日平和裏に過ごせるように、と願うだけだ。

 休憩しようとした悠陽はSNSを開く。相変わらずサービス再開に至らないEXCに対する不満が見られる。特にサブスクリプションユーザは、中断中の損失の補填を求める声を上げている。これが引き金となって、ブースでの騒動に発展しなければいい、と思う。


 睡眠導入剤を喉に流し入れた男は、沸き上がる苛立ちとの戦いに挑む。数時間の眠りに就くために。

 30分前まで開いていたFPSのゲーム実況は相変わらず盛況だった。誰もがシュヴァルツのプレイに釘付けだった。

 しかし、そうして充たされる承認欲求ですら駆逐される。それは、EXCで無双できないことが原因ではない。

 ……個人的には、貝塚はよく働いたと思っている。メッセンジャーアプリでの遣り取りだけで、顔どころか声も知らない、謎の人物だったが。

 あの事故には不可解な点が多い。そして、空いた貝塚の椅子に座った川端もよく知らない。ただ、EXCを意のままに操れるエンジニアとは聞いた。

 千代は父親に言われるがままに、栄光の剣の理事長になった。だからEXCでも無双できた。チートは全て貝塚からの指示だったが、バレないための作戦は成功した。尤も、ナハトは今世紀最大の愚か者だったが。

 ……ナハトについて、弥陀ヶ原と云う刑事が来て話すことになった。正直、初対面はあのオフ会だったから、説明に困った。

 どんな理由が有ろうと、人を殺すことなど有ってはならないことだ。しかし、熱狂的なフォロワーと云うのは何をしでかすか判らない。それが最悪の形で現れた。

 そして、あのルーンとミスティと云う2人が気になる。最弱クラスのアバターだが、何故一連の騒動を知っているのか、そして何処まで知っているのか。恐らく最後の一撃は届いていないが、届いていたとしても、口封じにはならない。あの碧きシスターの言葉通り、EXCはリアルではないからだ。

 そう思っているうちに、千代の意識が薄れてきた。とにかく、今は寝るだけだ。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?