「じゃあ、俺、そろそろ帰るな。また明日 」
今日も彼は、音楽がいかに素晴らしいものなのかを私に語っては帰っていった。
「突然帰るよなぁ、いつも」
いつの間にか彼の話し相手に認定されてしまった私、
同じクラスなのに授業中は全く話さない。それどころか私は、彼が誰かと親しそうにしているところを見たことがない。失礼だけど、正直言って彼は俗にいうぼっちだと思う。
そんな人間がある日を境に、放課後になると音楽についてを私に、饒舌に語り始めるようになった。
この奇妙な関係が始まったのは、彼のある一言が原因だった。
先に言った通り、私は彼と関わりもなく、話したことすらなかった。
それなのに、彼は話しかけてきた。吹奏楽部に所属する私が放課後、1人で練習しているときだった。
「今のって、ムーンライトセレナーデだよな?」
「………………え?」
唐突な質問に困惑してやっとの思いで出した、間抜けな一文字を気にすら留めない様子で言葉を続ける。
「アメリカのミュージシャン、グレン・ミラーの代表作とも言える曲で、スウィングジャズの名曲だね。君が吹いてるそのクラリネット用にもアレンジされてる 」
ああ、そうだ。今、彼が言ったことは間違ってはいなくて、すべて真実だ。インターネットで検索すれば一発でヒットする事実だ。
ただ、そこはさして重要ではなくて、私が「え?」と聞き返したかったのは、目を疑ったのは、今まで教室の隅でボーっとしていたような人間が目の前で熱弁をふるっているという事実だ。
そんなわけで、脳の処理が追い付かずに、置物のように突っ立っている私は、彼の恰好の話し相手になった。