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第2話 まるでサイレン

 ぷぉ~――……。


 どこか遠くで、吹奏楽部の鳴らす気の抜けた楽器の音がした。


「……はい?」


 僕は、それしか言えなかった。

 深々と頭を下げていた音無さんが再び顔を上げ、真剣な眼差しを僕に向けた。


不躾ぶしつけですみません。ですがこれは、朝陰君にしか頼めないんです……!」

「はあ、でも配信って……始めるの? しかも一緒に?」

「い、一緒に配信というのは語弊があるかもしれませんが……。まず、これを見てもらえませんか?」


 音無さんは鞄からスマホを取り出した。女子高生にしては飾り気の無い、真っ黒なスマホだ。

 僕たちは積まれたパイプ椅子の埃を払い、部屋の隅に並べた。僕が左、音無さんが右に座る。


「どうぞ」


 差し出されたのは無線イヤホンだった。しかも一つ。もう一つは音無さんが付けている。


「どうも」


 僕はイヤホンを数秒見つめ、耳に付ける。小さめのイヤーパッドが、耳の奥まで入り込んだ。


 音無さんがスマホを差し出し、身体を寄せる。僕が椅子の間に十センチほど空けた、コンプライアンスという名の距離は無視された。肩と肩、腕と腕が接触して、服越しの体温に意識を奪われる。予想外にひんやりとした二の腕の冷たさが、熱い。


 距離が縮まったせいか、いい香りが一段と強くなる。髪、なんだろうか? 嗅いでると思われないか、自分の鼻息が急に気になる。


 気になるといえば視界もだ。それはスマホ画面ではなく、目の端に映る別のもの。

 音無さんのブレザーを押し上げる、大きく丸い膨らみ。こんな近くに、それがある。


 もはや音無さんのお願いどころではない。僕の意識は、五感のうち四つを音無さんが占めている。意識の八割が音無さんだ。


 ――無理だ。

 健全な青少年には、刺激が強すぎる。


 逃げるように上体を傾けてしまう。だがそんな僕を追って音無さんがスマホを差し出し、ぐっと体を寄せた。頭がくらくらしそうな、いい香り。


 ――ああ、神様仏様。僕は今死んでもいいかもしれません。密室で美少女と二人きり、隣り合わせで……。


[ぅヴァアアアアアアアァァァ――――ッ!!]


 突如片耳から迸った絶叫に、僕は肩をすくませた。まるでサイレンが耳元で鳴ったようだ。

 何だ? いったい何だ?

 スマホに意識を移す。


[ヒィイ゛ィーッ!? エ゛ヒャッ!? ッキャア゛ア゛ア゛アアァァァ――ッ!]


 それはバーチャルMetuber、いわゆるVtuberのゲーム実況配信切り抜き動画だった。ゲームは人気ホラーゲームシリーズ『バロックタワー』の一作目。レトロゲームだ。ゲーム画面ではドット絵のキャラクターが化け物に追い立てられている。


 動画の右下にはVtuberのアバターが映っている。華奢な体型に慎ましい胸の女の子。だがその背中からはコウモリのような翼、頭からはねじ曲がった角を生やし、尖った耳にハートのピアス。悪魔っ娘というやつだろうか。ピンクのアシンメトリーヘアーにゴシックパンク風のファッションは挑発的だが、恐怖に泣き叫ぶその姿は見た目の印象とは真逆だ。


[もういない? もう行きました? もうヤダ……でも進まアビャアアアァッ!?]


 賃貸住まいなら絶対に追い出されるレベルの悲鳴と絶叫。リスナーにも大ウケだ。絶叫のたびにとんでもない量のコメントが流れていく。


 〈これが聞きたかったw〉

 〈迫真過ぎるww〉

 〈A連打してみるといいかも〉

 〈実家のような安心感〉

 〈親の顔より聞いた絶叫〉

 〈A連打で回避〉

 〈もうやめて! 喉のライフはゼロよ! 〉


 かなりの人気Vtuberだろう。おそらく事務所所属のプロ。知らない配信者だが、そのファンサービスっぷりに感心する。


 で、これが音無さんとどう関係あるんだろう?

 横を見ると、音無さんの顔が真っ赤だった。さっき僕にお願いした時よりもずっと、それこそ夕陽のように。


「音無さん……?」

「こ、これ……」


 音無さんが、真っ赤な顔で僕を見た。

 そしてスマホ画面の右下を指差す。


「これ、私なんです」

[ひょわあああああああっ!?]


「えっ?」


 動画の奇声に紛れても、確かに聞こえた。

 ――理解に、十秒程時間を要した。

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