画面遷移のコウモリたちの向こうから現れたのは、ピンク髪のサキュバスだった。大仰な動作で薄い胸に手を当てるアニメーション。挑発的な流し目の中で、ハート型のハイライトが揺れた。
「闇夜、っ……
高らかな口上。少し上ずった声は、緊張からだろうか。遅れて、リスナーたちのコメントが押し寄せる。
〈きたあああ!!〉
〈ユリーザ様~!〉
〈夕方やぞ〉
〈魔界の時差ボケ〉
〈ユリーザ様久しぶり!〉
〈口上で噛むなw〉
〈まだユリーザ〉
すごい。これが人気Vtuberの配信側か。視聴者と画面自体は変わらなくとも、不思議な感動がある。
それにしても、ユリーザがボクっ娘だったとは。音無さんが自称する“ボク”。うん、大変
「お前たち待たせたな! 魔界も年度替わりでボクも忙しくてさ。今日は久々に、
〈魔界の決算期〉
〈宴だああああ!〉
〈待ってた!〉
〈なんかいつもよりぎこちなくね?〉
〈宴と聞いて〉
〈逆清楚期待〉
宴……おそらくゲーム実況のことだろう。
しかし逆清楚ってなんだ? たしかVtuber界隈で“清楚”は京言葉的なニュアンスだったはずだが……。
「
Vtuberはそれぞれのリスナーに特有の呼び名を付けるらしいが、ユリーザの場合は“奔放民”らしい。
〈お前が餌食定期〉
〈ヌルに一万票入れた〉
〈出来レース定期〉
〈一体何リンチョなんだ……?〉
その奔放民がざわつく中、音無さんがマウスを操作する。ヌルリンチョのキービジュアルがデカデカと表示された。
「これだっ! “
〈選択肢に入れるからだろ〉
〈ヌルリンチョ助かる〉
〈初見〉
〈丁寧な自殺定期〉
投票結果からの一連の流れは、もう定型文と化す程に恒例らしい。
しかし、改めて見てもヌルのキャラはかわいい。外国人だが、国産ゲームらしい美少女顔はどことなく音無さんにも似ている。黒ストだし。体型も似ている。上半身とか。
「では早速やって……あ、初見さん来てくれてありがとうございます。無法にして自由なサキュバス系Vtuber、奔放院ユリーザです。よろしくお願いします。楽しんでいって下さいね」
え、キャラ維持しなくて良いのか? 素の音無さんみたいだ。
〈初見さんいらっしゃい〉
〈いらっしゃ~い〉
〈初見さんは音量気を付けて。小さめ推奨〉
〈逆清楚助かる〉
〈ゆっくりしていってね〉
リスナーの民度高いな。
「それでは改めて……ヌルリンチョの宴、開宴だーっ! ……わぁ!?」
企業ロゴとその音でもうビビっている。
〈ビビりRTA全一〉
〈まだ始まってないぞ〉
「ま、まずは初期設定だな。音声日本語、字幕も日本語で……ン゛ッ!?」
今度は明るさ調整用の画像だ。恐ろしげな風貌の怨霊が暗い部屋に佇んでいる。
〈どっから声出てんだw〉
〈もうヤバそう〉
〈ヌルはこういうことする〉
〈UIが怖い〉
「ま、まだ余裕! ちょっと驚いただけです……からな! ふぅ……よし、じゃあ設定完了っと!」
音無さんが体を寄せる。僕は役割に徹する。触れた部分に釣られそうな意識を、配信画面に向けた。イヤホンから、共有したゲーム音が流れ出す。
オープニングは静かな語りから始まった。
主人公の女学生が小さな街を訪れる。そこは数年ごとに連続殺人事件が起こり、しかもその手口はまったく同じ残酷なもの。毎回自殺する犯人同士の接点も無いという。
不気味な夜の街を背景に、ヌルリンチョのタイトルロゴが浮かび上がる。
『Null ―Link of Choppers―』
謎に包まれた
オープニングが終わり、操作可能になる。舞台は、夜の廃病院。懐中電灯が朽ちた院内を照らす。
「も~、何でわざわざ夜なんだよ~……」
〈昼に行け〉
〈ヌルは毎回そう〉
〈ヌルのキャラは夜行性だから……〉
「ううう……ひっ!? 何!? ……ああ、自分の足音」
〈草〉
〈足音にビビるサキュバス〉
〈頑張れ~〉
コメントは呑気なものだが、静まり返った廃病院の雰囲気は、実際かなり怖い。
「こっち行くしかないの? うう、暗い。行きたくない~……」
不安げに廃病院を探索する主人公が歩くたび、その上半身に細かく物理演算が働く。うん、過度に主張せず実にリアルな……。
「あア゛っ!? キャア゛ア゛アアアアアァァ!!」
何の前触れもなく、血に
〈こわっ!〉
〈声出た〉
〈こええええ!〉
〈きたきた〉
〈新年度一回目の絶叫〉
怨霊が呻き声を上げながら、滑るように追いかけてくる。対抗手段を持たない主人公は逃げるしかない。走れば、物理演算がフル稼働だ。
「ヒイィィィ!! ど、どこ!? どこですか!? どこに゛ア゛ア゛アアアアアアアアァッ!?」
〈大草原w〉
〈道なりでおk〉
〈ワープはズルい〉
〈幽霊だから壁も抜けるぞ〉
〈揺れ助かる。なお右下〉
〈チュートリアルでこれはスゴい〉
〈右下揺れ……ない〉
ノイキャンを貫通して絶叫が鼓膜を揺らす。音無さんの身体が揺れ、画面右下のユリーザのアバターも身体は揺れる。隣で現実の物理演算は大忙しだろうが、僕の自制心が視線を画面に固定する。
絶叫でパニック状態ではあるが、音無さんのプレイ自体はスムーズ。さすが生粋のゲーマーだ。迷いながらも怨霊から逃げ切り、ムービーが流れ始めた。
「はぁ、はぁ、お、終わり? 逃げ切っ、とぉおおぉっ!?」
主人公の目の前に、今度は黒衣にフードの人物が現れる。フードから覗く口元は、大人の中年女性だ。
〈出た〉
〈ヌルババア〉
〈アプリ開発者きた〉
〈ヌルババア助かる(ガチ)〉
こいつは一作目にもいた謎の味方キャラだ。主人公の携帯電話に、これまた謎の除霊アプリをインストールしてくれる。いまだに何もかも謎らしい。
「えっ何、
〈タイトル回収〉
〈最新バージョンや〉
〈まずこちらのアプリをインストールしていただきまして……〉
〈課金の始まり〉
〈ヌルババアいい人〉
〈怪しい〉
このアプリで除霊してポイントを稼ぎ、アプリの機能を強化しつつ探索を進めていくのがこのゲームの流れだ。この機能強化を、プレイヤーたちは“課金”と呼ぶ。
「これで霊と戦えるのかな? ありがとうございまーす! あと奔放民! そういう言い方しない! “ご婦人”か“おばさま”だろ!」
〈はーい〉
〈ヌルおばさま〉
〈ヌルのご婦人〉
〈漏れてる漏れてる〉
〈逆清楚きたw〉
〈逆清楚出てんぞ〉
音無さんらしい注意はキャラがブレブレだが、どうやらそれも平常運転らしい。民度の高さはこのせいか。
そしてやっと分かった。“逆清楚”とは“清楚じゃないと見せかけて清楚”か。ハイコンテクスト過ぎるだろ。
画面ではアプリのチュートリアルを読み終えたユリーザがゲームを再開させるところだった。
「え、おばさまいなくなるの……一緒に来てよ~……」
〈かわいい〉
〈さびし院ユリーザ〉
〈それはそれで怖くね?〉
ムービーが流れ、院内に一人取り残された主人公が辺りを見回す。ふと気配を感じ、ゆっくりと振り返る……。
「絶対ダメ。絶対いるだろ……。うううううぅ……い、いないのかよ~……」
ホッとした主人公が向き直ると、顔。
「ワ゛じゅっ!? ッア゛!! ビョアアアアアァァッッ!?」
ヘッドホンを貫通する叫声に身がすくむ。
〈さっきのやつ〉
〈なんて?〉
〈チュートリアルバトル開始〉
〈どんな声だよw〉
〈今日イチ出たな〉
〈草w〉
〈がんばれ〉
〈霊もビビるわ〉
初バトルも相まって、コメントはユリーザの絶叫で大盛り上がりだ。
「だ、大丈夫です……もうヌルがあるので対抗ぉおおおおおっ!?」
叫ぶ音無さんの身体が、少しだけ僕に寄りかかる。こわばった身体を、僕という人形は受け止める。
励ましも声援も心配も、伝えられない。音無さんの不安に、僕はただ存在で応え続けた。