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第8話 サイレント見る

 画面遷移のコウモリたちの向こうから現れたのは、ピンク髪のサキュバスだった。大仰な動作で薄い胸に手を当てるアニメーション。挑発的な流し目の中で、ハート型のハイライトが揺れた。


「闇夜、っ……黄昏たそがれに降り立つ魔の眷属、無法にして自由なサキュバス系Vtuber! ボッ、ボクが奔放院ほんぽういんユリーザだ!」


 高らかな口上。少し上ずった声は、緊張からだろうか。遅れて、リスナーたちのコメントが押し寄せる。


 〈きたあああ!!〉

 〈ユリーザ様~!〉

 〈夕方やぞ〉

 〈魔界の時差ボケ〉

 〈ユリーザ様久しぶり!〉

 〈口上で噛むなw〉

 〈まだユリーザ〉


 すごい。これが人気Vtuberの配信側か。視聴者と画面自体は変わらなくとも、不思議な感動がある。

 それにしても、ユリーザがボクっ娘だったとは。音無さんが自称する“ボク”。うん、大変おもむき深い。


「お前たち待たせたな! 魔界も年度替わりでボクも忙しくてさ。今日は久々に、うたげだーっ!」


 〈魔界の決算期〉

 〈宴だああああ!〉

 〈待ってた!〉

 〈なんかいつもよりぎこちなくね?〉

 〈宴と聞いて〉

 〈逆清楚期待〉


 宴……おそらくゲーム実況のことだろう。

 しかし逆清楚ってなんだ? たしかVtuber界隈で“清楚”は京言葉的なニュアンスだったはずだが……。


奔放民ほんぽうみんども、ちゃんとアンケートに投票したんだろうな? さぁて、今回の宴でボクの餌食となるゲームは……」


 Vtuberはそれぞれのリスナーに特有の呼び名を付けるらしいが、ユリーザの場合は“奔放民”らしい。


 〈お前が餌食定期〉

 〈ヌルに一万票入れた〉

 〈出来レース定期〉

 〈一体何リンチョなんだ……?〉


 その奔放民がざわつく中、音無さんがマウスを操作する。ヌルリンチョのキービジュアルがデカデカと表示された。 


「これだっ! “Nullヌル ―Link of Choppers”、ヌルリンチョ~っ! もう! お前らー! なんでいつもホラーゲームなんだよっ!?」


 〈選択肢に入れるからだろ〉

 〈ヌルリンチョ助かる〉

 〈初見〉

 〈丁寧な自殺定期〉


 投票結果からの一連の流れは、もう定型文と化す程に恒例らしい。

 しかし、改めて見てもヌルのキャラはかわいい。外国人だが、国産ゲームらしい美少女顔はどことなく音無さんにも似ている。黒ストだし。体型も似ている。上半身とか。


「では早速やって……あ、初見さん来てくれてありがとうございます。無法にして自由なサキュバス系Vtuber、奔放院ユリーザです。よろしくお願いします。楽しんでいって下さいね」


 え、キャラ維持しなくて良いのか? 素の音無さんみたいだ。


 〈初見さんいらっしゃい〉

 〈いらっしゃ~い〉

 〈初見さんは音量気を付けて。小さめ推奨〉

 〈逆清楚助かる〉

 〈ゆっくりしていってね〉


 リスナーの民度高いな。


「それでは改めて……ヌルリンチョの宴、開宴だーっ! ……わぁ!?」


 企業ロゴとその音でもうビビっている。


 〈ビビりRTA全一〉

 〈まだ始まってないぞ〉


「ま、まずは初期設定だな。音声日本語、字幕も日本語で……ン゛ッ!?」


 今度は明るさ調整用の画像だ。恐ろしげな風貌の怨霊が暗い部屋に佇んでいる。


 〈どっから声出てんだw〉

 〈もうヤバそう〉

 〈ヌルはこういうことする〉

 〈UIが怖い〉


「ま、まだ余裕! ちょっと驚いただけです……からな! ふぅ……よし、じゃあ設定完了っと!」


 音無さんが体を寄せる。僕は役割に徹する。触れた部分に釣られそうな意識を、配信画面に向けた。イヤホンから、共有したゲーム音が流れ出す。


 オープニングは静かな語りから始まった。

 主人公の女学生が小さな街を訪れる。そこは数年ごとに連続殺人事件が起こり、しかもその手口はまったく同じ残酷なもの。毎回自殺する犯人同士の接点も無いという。

 不気味な夜の街を背景に、ヌルリンチョのタイトルロゴが浮かび上がる。


『Null ―Link of Choppers―』


 謎に包まれた殺人鬼の繋がりリンク・オブ・チョッパーズがテーマというわけだ。


 オープニングが終わり、操作可能になる。舞台は、夜の廃病院。懐中電灯が朽ちた院内を照らす。


「も~、何でわざわざ夜なんだよ~……」


 〈昼に行け〉

 〈ヌルは毎回そう〉

 〈ヌルのキャラは夜行性だから……〉


「ううう……ひっ!? 何!? ……ああ、自分の足音」


 〈草〉

 〈足音にビビるサキュバス〉

 〈頑張れ~〉


 コメントは呑気なものだが、静まり返った廃病院の雰囲気は、実際かなり怖い。


「こっち行くしかないの? うう、暗い。行きたくない~……」


 不安げに廃病院を探索する主人公が歩くたび、その上半身に細かく物理演算が働く。うん、過度に主張せず実にリアルな……。


「あア゛っ!? キャア゛ア゛アアアアアァァ!!」


 何の前触れもなく、血にまみれた看護師の怨霊が現れた。息を呑むだけの主人公は、僕と同じくユリーザの絶叫に驚いたようにも見える。


 〈こわっ!〉

 〈声出た〉

 〈こええええ!〉

 〈きたきた〉

 〈新年度一回目の絶叫〉


 怨霊が呻き声を上げながら、滑るように追いかけてくる。対抗手段を持たない主人公は逃げるしかない。走れば、物理演算がフル稼働だ。


「ヒイィィィ!! ど、どこ!? どこですか!? どこに゛ア゛ア゛アアアアアアアアァッ!?」


 〈大草原w〉

 〈道なりでおk〉

 〈ワープはズルい〉

 〈幽霊だから壁も抜けるぞ〉

 〈揺れ助かる。なお右下〉

 〈チュートリアルでこれはスゴい〉

 〈右下揺れ……ない〉


 ノイキャンを貫通して絶叫が鼓膜を揺らす。音無さんの身体が揺れ、画面右下のユリーザのアバターも身体は揺れる。隣で現実の物理演算は大忙しだろうが、僕の自制心が視線を画面に固定する。


 絶叫でパニック状態ではあるが、音無さんのプレイ自体はスムーズ。さすが生粋のゲーマーだ。迷いながらも怨霊から逃げ切り、ムービーが流れ始めた。


「はぁ、はぁ、お、終わり? 逃げ切っ、とぉおおぉっ!?」


 主人公の目の前に、今度は黒衣にフードの人物が現れる。フードから覗く口元は、大人の中年女性だ。


 〈出た〉

 〈ヌルババア〉

 〈アプリ開発者きた〉

 〈ヌルババア助かる(ガチ)〉


 こいつは一作目にもいた謎の味方キャラだ。主人公の携帯電話に、これまた謎の除霊アプリをインストールしてくれる。いまだに何もかも謎らしい。


「えっ何、Nullヌル? ああヌル! なるほど、アプリの名前だったんだな!」


 〈タイトル回収〉

 〈最新バージョンや〉

 〈まずこちらのアプリをインストールしていただきまして……〉

 〈課金の始まり〉

 〈ヌルババアいい人〉

 〈怪しい〉


 このアプリで除霊してポイントを稼ぎ、アプリの機能を強化しつつ探索を進めていくのがこのゲームの流れだ。この機能強化を、プレイヤーたちは“課金”と呼ぶ。


「これで霊と戦えるのかな? ありがとうございまーす! あと奔放民! そういう言い方しない! “ご婦人”か“おばさま”だろ!」


 〈はーい〉

 〈ヌルおばさま〉

 〈ヌルのご婦人〉

 〈漏れてる漏れてる〉

 〈逆清楚きたw〉

 〈逆清楚出てんぞ〉


 音無さんらしい注意はキャラがブレブレだが、どうやらそれも平常運転らしい。民度の高さはこのせいか。

 そしてやっと分かった。“逆清楚”とは“清楚じゃないと見せかけて清楚”か。ハイコンテクスト過ぎるだろ。


 画面ではアプリのチュートリアルを読み終えたユリーザがゲームを再開させるところだった。


「え、おばさまいなくなるの……一緒に来てよ~……」


 〈かわいい〉

 〈さびし院ユリーザ〉

 〈それはそれで怖くね?〉


 ムービーが流れ、院内に一人取り残された主人公が辺りを見回す。ふと気配を感じ、ゆっくりと振り返る……。


「絶対ダメ。絶対いるだろ……。うううううぅ……い、いないのかよ~……」


 ホッとした主人公が向き直ると、顔。


「ワ゛じゅっ!? ッア゛!! ビョアアアアアァァッッ!?」


 ヘッドホンを貫通する叫声に身がすくむ。


 〈さっきのやつ〉

 〈なんて?〉

 〈チュートリアルバトル開始〉

 〈どんな声だよw〉

 〈今日イチ出たな〉

 〈草w〉

 〈がんばれ〉

 〈霊もビビるわ〉


 初バトルも相まって、コメントはユリーザの絶叫で大盛り上がりだ。


「だ、大丈夫です……もうヌルがあるので対抗ぉおおおおおっ!?」


 叫ぶ音無さんの身体が、少しだけ僕に寄りかかる。こわばった身体を、僕という人形は受け止める。

 励ましも声援も心配も、伝えられない。音無さんの不安に、僕はただ存在で応え続けた。

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