僕の【離席】に対し、音無さんは【肯定】のカードを指して頷いてくれた。
スタジオを出る。
「……」
なんてザマだ。
僕は……僕は逃げた。
勝手に思い込んで、勝手に耐えられなくなって、怖くなって……頼まれた役割も放棄して逃げたんだ。
音無さんを怖がりなどと言う資格はもう無い。真の臆病者は、僕だ。
言い訳のようにトイレへ行き、鏡の自分から目を逸らして出る。外はもう暗い。
「いい感じだね。澄乃ちゃん楽しんでるみたいだよ」
「それは良かったです」
リビングから出てきた佐田さん。配信を見ていたんだろう。僕はそれに、いつも通りの調子で返す。この時ばかりは自分の癖がありがたい。
でも、楽しんでる?
本当だろうか?
スタジオの入り口で立ち止まる。
合わせる顔が無い。でも戻らないわけにはいかない。配信はまだ終わっていない。
僕が決意を固める前に、扉の方が開いた。
「朝陰君……?」
音無さんがドアから顔を覗かせる。目を合わせられない。
「どうかしましたか? 体調不良ですか?」
「いや……」
このまま一緒に戻って配信を続けるべきだ。終了予定まであと二十分ほど。その間、ただ座ってればいいだけだ。
「音無さんは、なんで嫌いなホラーゲームをやってるんだ?」
「えっ?」
こんな時に聞くことか!?
さっきから僕は何をやってるんだ?
止まれ。
「怖がりなのに、なんであんな拷問みたいな配信を続けるんだ?」
止まれって。
「嫌々やってるのかと思うと、見てられなくなったんだ。人気だから止められないんならVtuberなんて……」
「勝手に決めつけないで下さい!」
唖然としていると、スタジオに引っ張り込まれた。
「私は好きで、楽しくてやってるんです! 配信も、ゲームも、ホラーも! 全部楽しくて、好きなんです!」
「でもあんなに怖がって……」
「怖くてもやりたいんです! ホラーゲームも面白くて、好きなんです! 好きだけど怖いから、朝陰君が必要なんです!」
音無さんの真剣な眼差しが、僕の視線を捕らえて離さなかった。
僕は……僕は本当に愚かだった。
「ごめん……」
「……いえ、私も興奮して、すみません」
と、スタジオの外に気配。
「大丈夫?」
佐田さんだ。さっきの音無さんの声が聞こえたんだろう。ドアを開ける。
「二人ともどうしたの?」
僕は相変わらず平常だが、感情の昂った音無さんはそうはいかない。頬は上気し、目が潤んでいる。
佐田さんが猜疑の目を僕に向けた。
「朝陰君? まさか……」
「マナー違反はしていません。陰キャ特有のネガティブに陥った俺を、音無さんが叱咤激励してくれただけです」
「……そうなの? 澄乃ちゃん」
「その……」
いや、せっかくいい感じにまとめたんだからもじもじしないでくれよ。僕が悪いのは確かだが、このままでは冤罪で投獄だ。
音無さんは俯いて、服の裾を握り締めた。
「せ……」
「せ?」
「青春……してました……」
はあ?
何を言ってるんだ?
見れば、佐田さんも面食らっている。
「せ、青春? ……青春、青春かあ~! そっかそっか! あははは! それはいいねえ! 羨ましいよ!」
なんかめちゃくちゃウケている。
「んじゃ、飲み物用意しておくから、配信頑張ってね~……。青春、ふふふ」
佐田さんは出て行った。
音無さんが俯いたまま言った。
「あの……ごめんなさい」
「何が?」
「変なこと言ってしまって」
「いや、別に……。それとこちらこそ、ごめん。音無さん気持ち、勝手に決めつけて」
「謝罪はもう二度目ですよ。それより配信、手伝ってもらえますか? 院長さん、倒さないと」
「うん」
僕達はソファに座った。
半人分の距離は、少し縮まった気がする。
音無さんがヘッドセットを付け直した。
「奔放民お待たせ~! ちょっとペットのコウモリが暴れちゃってウワァっ!? 何ですかこれ!?」
〈おかえり~〉
〈スクリーンセーバーだよ〉
〈放置ビビらせ〉
〈ヌルの伝統〉
ああ……一作目にもあったなあ。
「も~ホントこのゲーム性格悪い! でもスゴいこだわって作られてるな! こういうゲーム、好きだぞ! 奔放民もそうじゃない?」
〈分かる〉
〈そうそう〉
〈驚かせるのが趣味の人達が作ってる〉
〈解釈院ユリーザ〉
〈恐怖に誠実〉
横を見る。音無さんの目は輝いて、純粋にゲームを楽しんでいるのがよく分かる。僕はもっと、彼女の目を見るべきだったのだ。
僕はカードを手にとって、音無さんに差し出した。
【肯定】。
「んふっ……じ、じゃあ、気を取り直して、院長さんやっつけるぞ!」
〈いったれー〉
〈院長強そう〉
〈まだ時間ある〉
〈なんだ今の声?〉
〈がんばれー!〉
「じゃあ再開! ……ッひ! ほぁっ!? ぁあああ゛あ゛あ゛ああぁぁ――ッッ!!」
音無さんが身体を寄せる。僕はそれに、さっきよりも力強く応えた。