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第12話 アローン・イン・ザ・チャンネル

 音無さんは、ヘッドセットを外した。

 僕は、ソファを降りた。

 音無さんは、残念ながらメガネを外した。

 僕は、床に正座した。

 音無さんは、こちらを向いた。

 僕は床に手をつき、頭を……。


「あ、朝陰くん!? 何してるんですか!」

「いや、今回のマナー違反に関して、俺なりの誠意とケジメをつけなければと……」


 あの時見た後れ毛と、汗ばんだ赤さ。そしてそこに許可なく顔を近づけ囁いたのが、マナー違反でなくて何であろう。


「や、やめてくださいそんなの!」

「いやでもマナーを」

「あの、みっ……お、鬼の館の件なら、緊急自体でしたから……」


 ……僕は、許されるのか?

 顔を上げる。音無さんは顔を背けているが、ヘッドセットを外したばかりの耳が赤い。


「……音無さん、怒ってない?」

「怒っては、いません」

「俺は、役に立った?」

「私としては……はい。とても」


 肩の力が抜ける。自分で思っていた以上に、気を張っていたのかもしれない。

 音無さんが向き直り、ソファの座面を叩いた。僕は半人分よりさらに離れて座る。


「……距離があります」

「もう配信は終わってるし」

「……朝陰君、の」


 言葉が続いてこない。

 ……なんだ?

 音無さんを見る。組んだ両手の親指同士を擦り合わせながら、俯いている。


「あ、朝陰君の気持ちは……どうなんですか?」

「え? 俺の、気持ち?」

「朝陰君は……その、い、嫌じゃなかったんですか?」


 ……?

 一体何を言ってるんだ音無さんは。嫌なわけが無い。むしろ良いに決まってるのに。


「嫌じゃないけど」

「じゃあ……じゃあなんでそんなに距離を取るんですか?」

「え?」

「私は朝陰君から楽しいとか嬉しいとか、聞いたこと無くて、その、ふ、不安で……!」


 ……え。僕、言ってなかったっけ?


「でもこの間、時計塔で励ましてくれたり……今日だって! 私がホラーゲームを嫌々やらされてるかも、って。だったら配信なんてするなって言ったのは、朝陰君の優しさでしょう!? ゲームのあとも、私の役に立てたかどうかって……でも、そればっかりで……」


 ……そうだ。確かにそうだ。

 鬼の館の時も。ヌルリンチョ……つまりついさっきも。役に立てたかしか、聞いてない。

 音無さんの声に、涙が混ざる。


「私を助けてくれるのに、いつも謝って! 今もそう! 勉強の時も、お礼か謝罪のどっちかだけで! 朝陰君は“楽しい”とか“面白い”って、一度も言ってくれないんです!」

「……」


 思ってた。

 思っては、いた。

 ずっと、最初から。

 あの、時計塔の密室に、二人きりになった時から。

 始めて一緒にゲームした時も、秘密の相談してる時も、勉強会の時も、私服でお茶した時も、音無さんが奔放院ユリーザになってる時も。

 ドキドキワクワクして、音無さんと過ごすのを楽しんでいた。

 でも、口には出しては、いなかった。

 伝えてはいなかった。

 一度も。


「私、怖くて……! 朝陰君は優しいから、嫌々なのに付き合ってくれてるんじゃないかって、ずっと……」

「違う」


 胸の奥に溜まったものが、吐き出せない。この期に及んで、僕は……


「嫌じゃない」

「……本当に?」

「本当だよ。楽しんでるし、面白いよ。それに嫌なら、やるわけ無いよ」

「……ごめんなさい。分からないです。いつもと同じすぎて、それが本心なのか、それとも優しいウソなのか……」


 俺も分からない。

 どう伝えればいいのか分からない。


「……どうやって言葉や態度にすればいいのか、分からないんだ。ごめん」

「……」


 音無さんの目が……ああ、ダメだ。

 そんな目で僕を見ないでくれ。

 スタジオの床に視線を落とす。

 もう無理だ。

 終わりだ。

 もうここには来られない。

 三つのルールも、五枚のカードも、勉強会も、全部終わりだ。


 陰キャが調子に乗るべきじゃなかった。登録者0人の底辺配信者が、人気Vtuberの美少女と関わるなんておこがましかったんだ。

 すべては、あの時、自己紹介でイキったせいだ。そのせいで今、音無さんを傷付けている。

 こんなことになるなら、僕は独りで、誰にも伝わらない配信を続けているべきだったんだ。

 そういう、人間なんだ。


 ……でも誰か。

 もし誰か助けてくれるなら、助けてくれ。

 僕を救ってくれ。

 僕の心を、誰か聞いてくれ。


 ……。


「……アサシンチャンネル」

「……え?」


 音無さんの声。


「アサシンチャンネルのダッシュボード、見てますか?」

「いや、入学式の日以来、見てないけど」

「見てください」

「?」

「今この場で、見てください!」


 わけがわからないまま、スマホを手に取る。

 ダッシュボードを、久々に開く。


 1。


 音無さんを見た。


「これ、チャンネル登録者……」

「喜んでくれると思ってたのに、なんで見てくれないんですか……」

「え、まさか……」

「第一号、ですよ」


 音無さんは自分の胸に手を当て、そう言った。

 息を呑む。

 お情けとか、義理とか、そんなのどうだってよかった。大事なのは事実だ。僕の、記念すべきは、音無さんなんだ。


「それは、ありがとう」

「……朝陰君は、今嬉しいんですね?」


 もちろん、飛び上がるほど嬉しい。


「うん、もちろん」

「本当に、ものすごく嬉しくてたまらないんですね?」

「うん」

「じゃあ……」


 音無さんが、僕の両肩を掴んだ。強引に向きを変えられて、僕はスマホを取り落とす。

 でもそれを気にする余裕はなかった。

 僕の胸に、音無さんが顔を寄せたからだ。


「お、音無さん……」

「しっ……!」


 シャツ越しに、耳の熱さが伝わってくる。

 音無さんの香りを、今までで一番強く感じる。


「……聞こえます。朝陰君の心臓の音が。……すごく、ドキドキしてます」


 当然だ。

 僕自身にも聞こえるほどの、このドキドキには、何重もの意味がある。それを音無さんも、聞いている。


「音無さ……」

「喋らないで下さい」

「……」

「今……聴いているので」


 一秒が、とんでもなく長く感じる。 

 胸に感じる熱さはその温度を増して、だから止まりそうな鼓動は、いつまでも収まらない。僕は両手を虚空に彷徨わせながら、スタジオの天井を見上げた。


 音無澄乃の、秘密のスタジオ。

 彼女の絶叫は、ここから世界に届くけど、僕の鼓動はその彼女一人にしか届かない。でも、届いている。

 確かに今、届いている。

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