【放課後の教室──4日後】
チャイムの音が校内に響き、誰もが帰宅の準備を始めていた。
旭は窓際の席で、ぼんやりと校庭を眺めていた。
「……静かだな」
あの火事の夜の記憶が完全に思い出されてから、胸の奥にずっと残っていた鈍い痛みが、少しずつ変わり始めていた。
“重さ”ではなく、“痕”として。
何かを背負うのではなく、何かを語れる自分になった。
「ねえ」
背後から莉桜の声。旭が振り向くと、彼女はそっと机に何かを置いた。
「手紙?」
「うん。読んで」
旭はゆっくりと封を切る。
便箋は二枚、筆跡は細く、揺れていた。
旭へ。
私ね、今でも時々“彼女”の夢を見る。
でも不思議と怖くないの。むしろ、静かに話しかけてくれる気がする。
「ありがとう」って。
「見つけてくれて、思い出してくれて」って。
私たちは“偶然そこにいた”んじゃなくて、たぶん最初から“呼ばれた”んだよね。
伝えてもらうために。
それをやり遂げたあなたを、私は誇りに思います。
――莉桜より
「……ずるいよ」
旭は笑いながら目を細めた。
「これ、卒業式のときに読むような内容だろ」
「だって、卒業したようなもんじゃない? あの教室から」
莉桜は窓辺に寄ってきて、ふたり並んで座った。
「……思うんだよね。記憶って、ただの映像じゃないって」
「感情の形でもあるって?」
「うん。そして、誰かが“名前を呼んでくれた”記憶って……残りやすいんだと思う」
「千景が、先生を“先生”じゃなくて、“旭”って呼んでた記憶か」
「うん。そしてあなたが“千景”と呼び返してくれた。
それだけで、あの子は“閉じ込められていた自分”から自由になれた」
旭はうなずいた。
そのとき、風がふと吹いた。
教室の扉が少しだけ開いた。
そして──
黒板のすみ。チョークの跡もないそこに、かすかに見えた。
「ありがとう。旭先生」
それは幻か、残された余熱か。
けれど、ふたりは黙って見つめていた。
そこに確かに、「名前を呼んでくれた人」と「呼ばれた人」が、かつて存在していた証があった。
【日常の再開】
数日後、旧校舎の取り壊しが正式に発表された。
だが、七人は誰も反対しなかった。
すでに“教室は解放された”と知っていたから。
誰かが悲鳴をあげることもない。
夢で誰かを思い出すことも、もうない。
ただ静かに、それぞれの胸の中で、ひとつの名前が残り続けた。
中西千景。
黒い教室の奥に、たしかにいた少女の名前。
忘れられていたはずの彼女は、
七人の中で、生き直していた。