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第十九章 最後の“出席”をとる日

 その日は、いつもと同じ朝だった。

 校舎も、生徒たちの笑い声も、チャイムの音も、すべてが“いつも通り”に見えた。

 ――ただひとつを除いて。

 教室の黒板に、誰かがチョークで書いた文字があった。

「今日が“最後の出席”です」

 それを見た瞬間、詩旺埋の背筋が静かに震えた。

 ノートは開いても何も書かれず、ページがめくられても“真っ白なまま”。

 記録はもう、“次の誰か”を待っているのだ。

 昼休み、詩旺埋は屋上へと向かった。

 陸人、日菜、海夏人、紗代子、克宣、鼓大郎――全員が、黙ってついてきた。

 屋上の中央。

 風に揺れる空気の中、ひとつの机と椅子が置かれていた。

 それは“教室のもの”と同じ形をしていた。

「……この席、“誰かのため”じゃなく、“誰かだったもの”のためにある」

 詩旺埋がそう言うと、ノートの最終ページが開いた。

 そこには、たった一行の文字。

「この“最後の出席”を、あなたがとる」

 陸人が息をのむ。

「……“名前を呼ぶこと”が、最後の鍵なんだ」

「でも、“誰を呼べばいい?”」

 紗代子が顔を上げて問いかける。

 詩旺埋は答えなかった。

 代わりに、机の上に置かれていた名簿を開く。

 そこには、“すべての出席番号”が空欄だった。

 番号も、名前も、字も、全てが薄くなり、輪郭さえ消えかけている。

「このままじゃ、“全員が0番になる”」

「……じゃあ、私たちが“出席をとる”しかないんだ」

 陸人が一歩、前に出た。

 そして、黒板に立ち、チョークを持つ。

 その手が震えていたのは、恐怖からではなかった。

 責任の重さに、彼自身が気づいていたから。

「出席番号、1番――吉田海夏人」

「はい」

「2番――今泉日菜」

「はい」

「3番――鼓大郎」

「はいっ」

 一人一人、名前が呼ばれていく。

“声に出して呼ぶ”ことで、“ここにいる”という実感が、確かにこの空間を縫いとめていく。

 そして――最後に詩旺埋がチョークを握った。

「出席番号“0番”――絢音(あやね)」

 屋上に、風が吹いた。

 机の上のノートが、一気にページをめくり、最初のページへと戻る。

 そこには、あの手紙の文字が、もう一度浮かび上がっていた。

「よんでくれて、ありがとう。」

 そして――その瞬間、空に佇んでいた影が、ふっと微笑んだ。

 黒く歪んでいた“0番”の輪郭が、白く淡く揺らぎながら、空へと昇っていく。

 誰かの声が言った。

「出席、しました。」

 空気が静かになった。

 そして、黒板の文字がひとりでに消え――そこには、何も残らなかった。


 それからというもの、空席はひとつもなくなった。

 記録は、正確に残るようになり、音のしないチャイムも消えた。

 ノートの最後のページは、まっさらな白紙に戻っていた。

 それは“忘れるため”ではなく、“これからの記録”を始めるための白紙だった。

 終


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