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第8話 秘めた想い・3

 俺は会社帰りに馴染みのバーに寄ることにした。灯りの抑えられた店内に入るとカウンター内には友人の小早川由貴が、その向かいには同じく友人の坂戸奏が座っている。俺は坂戸の隣に座った。店内はまだ早めの時間なせいか客は俺たち以外いない。何だか少し安心した。小早川は特に注文を聞くわけでもなく、カクテルを作り始める。俺がいつも飲むファジーネーブルだ。バーになど来ているが酒に強いわけではない。こういうところは雰囲気を楽しむものだと思っている。


「円城寺、どうしたんだ。すごいクマじゃないか。ちゃんと寝てるのか?」

「それが、睡眠不足でどうにかなりそうだよ」

「ほれ、いつものファジーネーブルだ。ゆっりしろよ。寝付きのいいお前がここまでの寝不足っていうのは珍しいな。何かあったのか」

「涼と敏が喧嘩中でな、ここのところ涼が俺の部屋に泊まり込んでるんだ」

「なるほどな。涼と敏が喧嘩か、そりゃあ大変だ。可愛い弟が泊まり込んでて寝不足なわけだな。で、手を出したのか」

「触れたいとは思った」

「重症だな」


 小早川はそういうと頼んでもいないのにチーズの盛り合わせを出してよこした。俺は食欲もなく手を付ける気にはならなかったが、小早川に食べながら飲めよといわれたので、仕方なく口にする。坂戸は長い金髪を後ろで束ねて、チーズを口に放り込んだ。こいつも涼ほどではないが遊び人である。これで弁護士だというのだから世の中分からない。一方、小早川は青い髪をかきあげ、ビールを飲み干す。こいつはどうなんだろう。私生活の見えない男である。いい男なのに好きな人がいるとか、恋人がいるとかいう話を聞かない。謎の男だ。二人とも頼りになる友人であることに変わりはないんだが。


「弟に本気ってわけか。分からないな。お前が涼のことを想っているのって、俺が真昼のことを想うようなもんだろ。そう思うと気色悪いな」

「気色悪いっていうなよ。円城寺は円城寺なりに悩んでるんだ。たとえ気色悪くても気色悪いといっちゃまずいだろ」

「坂戸も小早川も、人のこと気色悪い気色悪いといいやがって。涼のあの顔であの上目遣いで見られてみろ、正気を失わない奴の方がどうかしてるだろ」

「知ってはいたけどブラコンだな、円城寺」

「弟ってそんな可愛いもんか。邪魔でしかないんだが」

「坂戸はな。真昼には可愛げがないからな。涼はまだ可愛げがあるだろ」


 今日のファジーネーブルはアルコールがキツく感じた。そんなわけないのに。流石に、俺の気持ちを分かってくれる人間はいないか。坂戸のところは真昼とは仲良くやってるみたいだが、あくまで兄弟としての話だし、小早川には兄弟はいない。だが、分かってもらえなくても話したかった。気持ちを吐き出さないと苦しくて苦しくてどうしようもなかったのだ。


「もう一度確認しておくが、手は出してないんだな」

「誓っていえるよ。手は出してない」

「涼にも困ったもんだな。このままだと円城寺の精神がすり切れるぞ。早く仲直りして敏のところに戻ってくれるといいんだが」

「それはそうだが、円城寺にも問題があるんじゃないか。涼は円城寺の気持ちを分かった上で甘えてるのかもしれない。円城寺、お前は結局のところどうしたいんだ?」

「どうしたいとは?」

「兄として涼を見守るのか、男として涼を抱くのかだよ」


 小早川の言葉に当然兄としてと即答出来なかった。分かっているんだ、俺は兄として涼を見守らなければならない。だが、一方で考えてしまう。兄という立場を投げ捨てて涼を抱けたらどんなにいいかと。結論はなかなか出なかった。小早川も坂戸も飲み物を飲みながら待っていて、答えを急かすことはない。俺はファジーネーブルを飲み干して、くらくらしながら考える。考えても考えても、答えは出なかった。兄としての立場と涼への想いが完全に釣り合っていて、どちらにも傾かない。


「俺はどうしたらいいんだろうな。兄としてと答えないといけないんだろうが、涼への想いは諦められない。だが、このまま一緒にいて平静を装うのは無理だ。何かしてしまいそうで怖いよ」

「難儀な奴だよ、お前はそんなクマ作ってるくらいだったら、もういっそ手を出してしまったらどうだ?」

「坂戸、それが出来てればこんな苦労はしてないさ。円城寺は手を出すほどの勇気がないんだ」

「夢の中では何度も抱いてるよ」

「ほんと重症だな。でも、現実にそうしない理性がすごいよ」

「ま、一応ゆっくり考えてみるんだな。兄として涼のそばにいるのか、男として涼のそばにいたいのか。どっちをとってもお前は不幸なんだろうけどな」


 兄としてそばにいれば俺の想いは報われることはない。男としてそばにいれば兄弟での関係に悩み続ける。確かに小早川のいう通り、どちらをとっても俺は不幸になるのかもしれない。そもそも、弟に惚れた時点で決まっていたことなのだろう。飲み過ぎてもいないはずなのにくらくらする。遠くで大丈夫かという坂戸の声が聞こえたような気がした。

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