俺の家のリビングで水鳥は少し緊張しているようだった。ここには何度も来ているはずだが、何を緊張してるのだろう。もしかして、説教をされるとか、家に帰されるとか思っているんだろうか。どうしたら、緊張を解いてやれるだろう。甘いものを食べれば、気分が落ち着くだろうか。今日円城寺家に持っていった残りのアップルパイがあるのを思い出す。俺はアップルパイを軽く温め、水鳥の前に差し出した。
「アップルパイ、食うか?」
「うん、食べる。すごいりんごの香りがいいね。美味しそう」
「そうか、よかった。飲み物は牛乳でいいか?」
「うん、ありがとう。奏はアップルパイにビール?」
「俺は甘いものでも飲めるんだよ。で、今日は帰りたくないんだろ。どうせ土曜日だし、真昼も帰ってこない。よかったら泊まっていくか。俺の家ならいても叱られないだろ」
「いいのかな、お世話になって」
「いいんだよ。嫌でなかったら遠慮せずに泊まっていけよ。その代わり、あとりにでもいいから俺の家にいるってきちんと連絡しておくように」
「うん、分かった」
水鳥は一旦フォークをおいて、スマホを取り出した。あとりに連絡を入れているのだろう。しばらく、やりとりが続いているようだった。どうしたのだろう、あとりにまで叱られただろうか。しかし、その顔は先ほどのような泣き顔ではなかったため、叱られたのではないだろう。水鳥はスマホをかばんにしまうと、再びフォークを持ってアップルパイを食べ始めた。美味しいといってにっこりと笑う。
「あとりに奏のところにいるって連絡したよ。何だか安心してたみたい」
「そりゃ、あとりだって心配するだろうよ。で、俺も心配だから一応聞いておくけど、体を売ったことはないな?」
「そ、それはその」
「そうか、売った経験はありか」
「でも、いつもじゃないよ。何か怖いし滅多にやらないよ。たまに、そういうの希望の人がいたらするだけ」
「そうか。俺は説教は大嫌いだが、これだけはいっておく。体を売るのだけはやめておけよ。身も心もぼろぼろになったヤツを何人も知ってるからな。水鳥にはそうなってほしくない」
「分かったよ。もうしない」
再びしょんぼりする水鳥におかわりを勧める。水鳥は頷き、俺はアップルパイをまた軽く温め、グラスに牛乳を注ぐ。水鳥は美味しい美味しいとアップルパイを口に運んだ。これで少しは元気になっただろうか。ガラにもなく説教をしてしまったが、本当に水鳥には体を売るのだけはやめてほしかった。人生それで終わった人間なんて何人もいる。出来れば、夜遊びもやめてもらいたいが、そこまではいえなかった。俺自身が遊んでいるのに、水鳥にだけやめろとはいえない。
「奏はあのときどうしてあそこにいたの。帰り道とは違ったでしょ」
「ああ、円城寺家を出たときにお前が家を出るのを見かけてな、ついていったんだ。声をかけようと思ったが様子がおかしいし、そしたらあれだ」
「ごめん、心配させて」
「分かっているなら控えるんだな。みんなお前のこと心配してるぞ」
「でも、円城寺家にはいたくなくて。気晴らししようと思って」
「いつも円城寺家にいたろ。どうしたんだ、気晴らしが必要って」
「翔が涼を見てるから。その姿を見ているのがツラいんだ」
「お前、もしかして円城寺のこと」
そうか、そうだったのか。水鳥は円城寺のことが好きだったのか。何かこう、ちょっと驚いたというか、ショックだった。さっきの水鳥の涙はただ叱られるからではなかったのか。円城寺が関係していたのか。そういえば、今日訪ねたとき円城寺の様子がおかしかった。いつもなら水鳥が一人帰るとなれば止めていただろう。お茶を飲んでからにしろとか何とか。それをしなかったのだから、何かがあったのだろう。
「今は涼しか見てないかもしれないが、あいつだって気づいてる無理だって。今のままじゃマズいってな。少し時間が必要なんだよ」
「翔が涼のことを諦めても、僕のことを好きになるわけじゃない」
「そんなこと分からないだろ」
「分かるよ。僕、思い切って翔に告白したんだ。そしたら、子どもはダメだって」
「はあ?」
「子どもは無理っていわれたんだよ」
「そうか。それで居場所がなかったんだな。それなら俺のところに来ればいい。知らない男に身を委ねるよりましだろ」
「うん」
表情には出さないように気をつけているが、俺はいらっとしていた。円城寺のヤツ、何を考えてるんだ。頑張って告白した水鳥を傷つけるなんて。本当にいらつく。水鳥は再び涙をこぼし、俯いた。いい方ってものがあるだろう、いい方ってものが。円城寺ってそういういい方しか出来ない人間だったか。それと、涼以外の人間も見ろよって話だ。俺はどうにも出来ない思いを抱えたまま、水鳥を抱きしめた。