水鳥がふらりとやってきた。また今にも泣き出しそうな顔をして、うっすらと微笑む。また、円城寺が涼を見つめていたのか、それとも何かいわれたのか。水鳥は何もいわなかったけれど、そのどちらかであることは間違いなさそうだ。そりゃ、好きな相手がずっと自分ではない人間を見つめていたら、泣きたくもなるだろう。俺はとりあえず水鳥を座らせて、昨日やいたロールケーキを切り分けた。
「水鳥、昨日焼いたロールケーキがあるんだが食うか?」
「うん、食べる。奏の焼いたお菓子は綺麗だし美味しくていいよね。大好きだよ」
「ありがとうな。今日は牛乳を買い忘れたから豆乳しかないんだが、水鳥は豆乳飲めるか?」
「うん、飲めるよ。わりと好き。奏の家は豆乳を常備してるんだね。結構珍しいよね」
「俺は牛乳の方が好きなんだが、真昼が豆乳の方が好きでな。ないと文句を垂れやがる」
「優しいお兄さんだよね、奏って」
「優しいか。文句いわれるのが嫌だから、仕方なく買ってるだけだぞ」
「優しいよ。ひたきだったらあとりのために好きなもの買っておいたりしないし」
そうか、ひたきさんはあとりのために買い置きしたりはしないのか。俺は当たり前だと思ってやっていたが。水鳥はロールケーキを口に入れると、ようやく笑顔になった。そんな水鳥について心配な情報が流れてきた。また、遊びに出て行ったというのだ。あとりから心配だと相談されたのだ。しかし、こればっかりは水鳥がやめようと思わないとどうにもならない。やめさせることは出来ないだろうか。俺は傷つく水鳥を見たくはない。
「なあ、水鳥。また遊びに行ったんだって?」
「何それ、あとりから聞いたの。誰にもいわないでっていったのに」
「どこからの情報でもいいだろ。水鳥、大丈夫だったのか。怖い思いはしなかったのか」
「逃げてきた」
「逃げてきたって、何か危なかったのか。怖い思いしたのか」
「ううん、そんなことはないよ。前に会って優しくしてくれた人だった。でも、何か急に嫌になって逃げた」
「そんなことになるなら、俺のところに来たらどうだ?」
「奏にばっかり迷惑かけられないから」
水鳥はそういって俯いた。また、泣きそうな顔に戻ってしまった。俺は水鳥の笑顔が好きなんだが、笑わせてやることは出来ないだろうか。やはりそれは、円城寺でなければ無理なのか。俺の想いは無駄なんだろうか。俺は少し空しい気持ちになりながら、ロールケーキを勧めた。水鳥はロールケーキを口に運ぶと、小さく美味しいといい少しだけ笑う。甘いものを食べればやっぱり笑うのだ。俺はもう一口食べるよう促した。
「俺は迷惑だなんてこれぽっちも思ってないぞ。むしろ、水鳥が来るのを楽しみにしてるんだ」
「楽しみにって、どういうこと?」
「どういうこともなにも、そういうことなんだよ。俺はお前のことを待ってるんだ」
「やだなあ、奏。いい方が微妙。そんないい方されたら、僕勘違いしちゃうよ」
「お前が円城寺のこと好きなのは分かってるし、俺に興味がないのも分かってる。けど、俺はお前の居場所になりたいと思ってるよ」
「それは僕のことを想ってくれてるってことで間違いない?」
「ああ。自覚したのはつい最近のことだがな」
「何だか嬉しいな。好意持たれたことないから」
それは水鳥の勘違いだと思う。水鳥は可愛いし、好意を持たれたことがないということはないだろう。たまたま、俺が最初に想いを伝えただけの話で、他に想っている人は何人もいたはずだ。水鳥はそれに気づいていないらしい。俺は水鳥の隣に移動すると抱きしめた。小さな水鳥の体はすっぽりと俺の腕の中におさまる。水鳥は少し戸惑ったのか一瞬体を硬直させたが、その後力を抜いた。
「円城寺のことを思っていても構わない。だから、俺のそばに来ないか。嫌になったらいつでも離れていい」
「好きになってもらえる見込みはないし、翔のことは忘れなきゃいけないね。僕のこと何とも思ってないから」
「水鳥」
「ここに通っていいかな。男と遊んでるのももう疲れたし、それに奏に興味があるから」
「好きなときに来てくれてかまわない。美味しいお菓子を用意して待ってるよ」
「うん、僕気づいたよ。奏といる方が楽しくて幸せ。すごく気分がいいんだ」
「俺のそばに来てくれるか?」
「もちろん」
水鳥はそういって俺の胸に顔を埋めてきた。これでもう水鳥は知らない男の前で不安そうな顔をすることはなくなるのだろうか。それともまた誰かに会いに行くのか。それは分からないが、今この時間だけは水鳥を独り占めだ。俺のそばが水鳥の居場所になればいいと思う。この腕の中にいる限り、俺は全力で水鳥を守るのだから。水鳥の好きなお菓子を作ってやることと居場所になってやること、これが今の俺の使命だ。俺は水鳥を強く抱きしめた。