ユキがうちにメシを食いに来てから一週間が経っていた。あとりとは特に進展もなく、というか会ってもいない。バイトが忙しくて没頭していたら、いつの間にか時が過ぎていた。昨日は徹夜だったし、今日は朝からメシも食っていない。食ってるヒマもないんだが。腹がぐうと自己主張をしたとき、部屋のドアが開く音がした。奏が飯でも持ってきたんだろう。
「ああ、奏か。メシならあとで食う」
「真昼、俺だよ。奏なら今出かけたよ。ごはんは用意してあるって伝えるように頼まれた」
そこに立っていたのはあとりだった。急に心臓がドキドキする。俺は少し震える手で糸を切った。キリのいいところまでやりたかったが、これでは集中が出来ない。
「あとりは今日は何しに来たんだ?」
「ああ、奏が大量にマドレーヌを焼いたから取りに来いって。そしたら、出かけるから真昼にメシのこと伝えてくれって出かけちゃった」
「あー、俺はハメられたわけか」
「ハメられたって、何のことだよ。それより、その顔どうしたんだ。誰かと喧嘩したのか?」
「まあ、いろいろあったんだよ。男の勲章だと思ってくれ」
「何それ」
現在、俺の顔は外に出たくない程度には酷い状態である。あれから、俺は遊び相手と別れたのだ。そのときに、ひっかかれるわ殴られるわで、俺の顔は傷だらけになってしまった。殴られたり蹴られたりもしたが、そちらは軽い怪我で済んだ。
「真昼はここで何をしてるの?」
「バイトだよ。服を作るのが好きでな、それをバイトにしてるんだ」
今いる部屋は作業部屋である。ミシンや裁縫道具に布、出来上がった服などがおいてある。かなり雑然としているので、あとりは驚いているようだ。まあ、傷だらけの顔の男がミシンに向かってるとか、絵面として意味わかんねーよな。金髪の大男がマドレーヌ焼いて微笑んでいるくらい意味分からん。
「そういえば、真昼はマミちゃんの服も作ってるんだよね。もしかして、大学留年してるのって、このバイトが原因?」
「よく分かったな。忙しくてなかなか単位が取れなくてな。でも、今年こそ卒業するつもりでいるよ」
「ごめん、遊んでるからだと思ってた。これを本格的に仕事に出来たらいいね」
「一応、これを仕事にするつもりだよ。大学を卒業したら、服飾の専門学校に入り直して、基礎から学ぶつもりだ」
「夢があるっていいね」
「ここは汚いし、リビングに行くか」
俺はあとりと作業部屋をあとにした。大学を卒業したらなんていってしまったが、卒業出来るかは不明である。あとりに宣言してしまった以上卒業しなきゃだよな。リビングは明るく綺麗に片づいている。俺はお茶の入れ方は分からないので、グラスに豆乳を注ぐ。あとりの方もお茶が出てくるとは思っていないだろう。台所にあとりと書いたメモの張ってある箱があった。これがマドレーヌの箱だろう。奏のヤツ気を利かせやがって。
「それにしても、その顔本当に大丈夫なのか。かなり酷いけど」
「あちこち痛いが平気だ。お茶は入れられねーから豆乳だ」
「お構いなく。マドレーヌ受け取ったらすぐ帰るし。バイトの続きがあるでしょ」
「時間はあるんだろ、豆乳くらい飲んでいけよ」
「まあ、今日一日はヒマだね」
「豆乳だけじゃ何だから、クッキー食えよ。この箱が取りに来いっていったマドレーヌだ」
「うわ、本当に大量だ」
あとりは箱を持つとそういって嬉しそうに微笑んだ。俺にマドレーヌは作れない。けど、何かで喜ばせられたらいいなあと思う。あとりは豆乳を口にすると俺の顔をまじまじと見た。
「真昼、顔冷やさなくて大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。実は遊び相手全員と別れてな、それでこれだよ」
「それでボコられたの。真昼らしいね」
遊び相手と別れたことも伝えたし、うん、いうなら今だ。
「なあ、あとり。遊び相手とも別れたし、俺と付き合う気はないか」
「うん、いいよ」
「え?」
「いいよっていったんだよ。ただし、浮気は許さないからな」
「しねーよ、浮気なんか。そのために遊び相手と縁を切ったんだ」
「だといいけど。もし浮気したら、その顔の傷じゃ済まないと思えよ」
「分かってる。お前を大切にするよ」
俺は震える手であとりを抱き寄せた。もう心臓はばくばくだし、耳まで熱い。よく初恋は叶わないなんて聞くけど、叶うじゃんよ。ただ嬉しいだけじゃなくて、浮気しないように気をつけようとも思った。それはあとりにボコボコにされるのが怖いんじゃなく、あとりを傷つけないようにと思ったからだ。俺、少しは変わったんじゃないだろうか。奏が最近変わったといっていたのはそういうことだったのかもしれない。あとりは初恋の相手って俺だったんだなといって笑った。俺はそうだよということしか出来なかった。