仕事がキリのいいところまで終わって、時計を見るとちょうど向かいの翔君が帰ってくる頃だった。うちは両親が仕事で忙しく、食事は円城寺家で食べさせてもらっている。私が翔君のように料理が出来れば何も問題はないのだけれど、残念ながら私は壊滅的に家事が出来ない。そんな私でも夢はある。可愛い弟のあとりに手料理を振る舞うのだ。まあ、夢はあくまで夢。夢は寝てから見るものである。私はもう少し器用ならと思いながら円城寺家へ向かった。リビングには涼君とあとりがいて何故だか途方に暮れている。
「あ、ひたきさん。今日は翔は遅くなるし、敏も忙しいらしくて、ごはんがないよ」
「え、翔君も敏君もいないんですか。それは困りましたね。空腹なのですが」
「カップラーメンはこの間食べちゃったし、他に簡単に作れるものがないんだよね」
「今日に限って作り置きもないらしいよ」
「絶望的ですね。このままだと夜まで空腹のままです」
「仕方がないね。ごはんの残りがあるはずだから、俺がチャーハンでも作るよ」
「涼君、それはいけません。せっかくの食材が無駄になります」
「それってどういう意味?」
どういう意味も何も、涼君は私以上の料理音痴である。まともに食べられるものが出来上がる未来が見えない。チャーハンを焦がすくらいならまだマシな方で、調味料を手当たり次第入れるから味がとんでもないことになる。涼君にだけは料理をさせるなというのが共通認識になっている。どうしたものかと悩んでいてふと気づく。水鳥と輝君の姿が見えないのだけれど、どこかにいったのだろうか。
「水鳥と輝君はどうしたのでしょうか」
「ああ、輝は荘介のところに遊びに行って、水鳥はごはんがないと分かると奏のところに遊びに行っちゃったよ」
「あとりは真昼のところに行かなくていいの?」
「涼君、どうしてあとりが真昼君のところに行くんです?」
「あれ、あとり。ひたきさんにいってないの?」
「いずれ誰かから聞くだろうと思って」
「何の話だかよく分からないのですが」
「あとりと真昼が付き合い始めたって話」
「あとり、やめましょう。それはいけません。真昼君はよくないですよ」
真昼君といえば男女問わず遊んでいるという話が私のところまで流れてくる。そんな男に私の可愛い可愛いあとりが弄ばれるなんて想像もしたくない。あとりが泣かされるのは目に見えているじゃないか。そんなの許せるわけがない。どうしてくれよう。どうやって別れさせよう。別れさせる方法を何通りも想像しながらあとりを見やる。私の表情を伺っているようだ。
「真昼は俺と付き合うためにボロボロになってまで遊び相手と別れたんだよ。一応」
「一応って何です?」
「もう浮気したらしいよ」
「ダメです。絶対にダメですよ。あとり、真昼君だけは許しませんよ」
「じゃあ、もし俺が付き合いたいのが涼だったらどうすんの」
「もちろんダメですよ。涼君は浮気するじゃないですか」
「うわ、すごいいわれよう」
「事実じゃないですか。私は浮気者があとりと付き合うのは絶対に許しません」
「うるさいな。前の彼女のときだって反対しただろ」
そりゃあ、反対するに決まっている。女子高生なんてすぐに飽きて次の男にのりかえるものだ。あとりを捨てるに決まっている。実際、あとりの方が綺麗だからとかいう理不尽かつ意味不明な理由であとりを傷つけた。あとりを傷つける者は誰であろうと許さない。女子高生だろうが真昼君だろうが。それが兄として当然のことだと思う。可愛い弟を守って何が悪いのか。あとりが傷つかないように私が守るのは当然のことじゃないか。
「どうやって別れさせましょうかねえ」
「別れないよ。そんなことより晩ごはんどうするんだよ」
「俺が作ろうかと思ったけど拒否られたし、ひたきさんは全くダメだし」
「俺も怪しいけど、よければ何か作ろうか。チャーハンとかでいいなら」
「あとりの手料理が食べられるんですか。それは嬉しい」
「お前のために作るわけじゃねえよ。勘違いするな」
「それでも、あとりの手料理なんてめったに食べられないから嬉しいですよ」
「あとり、愛されてるね」
「愛されるなら真昼だけでいいよ」
「そんなこといわないでくださいよ」
そんなに真昼君がいいのか。あとりの手料理への喜びが薄れるほどに腹立たしい。涼君はそんな私を見て笑う。涼君だって弟の輝君を可愛がっているから、この気持ちは分かると思うのだけれど。涼君と私では弟に対する思いが違うのだろうか。あとりは翔君のエプロンを借りて、キッチンへ向かっていった。まあ、いい。私はこれからあとりの手料理を食べるのだ。可愛いあとりの手料理を。ああ、幸せすぎて倒れそうだ。私が手料理を振る舞いたいと思っていたけれど、あとりの手料理は最高だ。