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第263話 メルクスコリピクス

 「あー?」


 アオイの先輩――カブの目の前に、黒く不気味なシルエットが立ちふさがっていた。全長およそ二メートル。光を吸い込むような漆黒の外殻。巨大なサソリ……いや、この世界には本来、サソリなど存在しない。


 「……『メルクスコリピクス』。なんで、モンスターがこんな所に……」


 それは尾に猛毒を持つ危険な魔物だ。毒針に刺されれば即死級。かすり傷でも、毒が全身を巡り、一時間以内に命を落とす。解毒には専用の魔皮紙や魔法が必須だが――ここは町のど真ん中。誰も、そんな備えはしていない。


 だが、恐怖に足をすくませる暇はなかった。


 「おい、マキとか言ったか。状況は緊急だが――俺たちはアドベンチャー科だ。モンスターにビビってどうすんだよ!」


 「ハッ、誰がビビってるって? この程度で怖気づくほど、私の根性は軽くねぇ!」


 二人は同時に構えた。


 彼らは《アドベンチャー科》の生徒。将来、命を懸けて魔物に挑む者たちだ。これは突如降って湧いた、現実の“実戦”だった。


  メルクスコリピクスは、ギラつく複眼でカブたちを見るものの——何か違和感を覚えたように、その視線をすぐに周囲へと泳がせた。


 まるで、「探している人物が違う」とでも言いたげに——。


 「……あぁ? 無視かよ。いい度胸してんな、コラァ!」


 カブは忌々しげに吐き捨てながら、一直線に突進。無防備に揺れる尾へと手を伸ばし、猛毒の宿るその部位を真正面から掴みにいく。


 ——最大の武器を封じれば、勝機はある。


 彼のその動きに、マキもすぐさま続く。


 「はぁぁぁあっ!!!」


 狙いは一点、尾の根元。


 激しく踏み込んで、渾身の蹴りを叩き込む!


 だが——


 「なっ……! くそっ、効かない!」


 バシュッ!


 尻尾は、あろうことかバネのようにしなり、マキの蹴撃を吸収する。


 「ッ……!」


 ——そして。


 ブンッ!


 凶悪な尾が唸りを上げ、握っていたカブの腕ごと彼の身体をはじき飛ばす。


 「っぐぉ……!」


  カブは着地に失敗し、そのまま背中を地面で擦りながらずるずると弾き飛ばされていく。


 「ちっ……!」


 すぐにマキが駆け寄り、手を差し出した。


 「大丈夫か? さっきと立場逆だな」


 「……あー、てめぇの蹴り、威力なさすぎだろ」


 カブはその手を取って立ち上がると、相変わらず毒舌気味に返す。


 「は? 言うねぇ。切断系の武器もなしに、あの尻尾をどうしろってのよ。そもそも、素手で抑え込むお前のが無謀だっつの!」


 「……まぁな。でもよ」


 カブは唾を吐き捨てながら、視線を鋭く前に戻す。


 「どうやら、向こうも“本気”になったらしいぜ」


 ——ギラリ。


 メルクスコリピクスの黒光りする外骨格が光を反射し、二人に対して大きな鋏と毒針をむき出しに構える。


 四本の脚をがっしりと地面に食い込ませ、低く唸るような音を発する姿は、明らかに“狩りの体勢”だ。


  「なぁ、カブ。お前さ……なんで逃げねぇんだよ?」


 「……あ?」


 カブは答えず、ただメルクスコリピクスの背後を見やる。


 その視線の先には——


 木陰に隠れて、じっとこちらを見ている二人の後輩。

 息を殺しながらも、不安そうな顔でこちらを見つめている、美しい少女たち。


 アオイとルカ。


 「これくらいのモンスターを素手で倒せなくて……ダイヤモンド冒険者になれるかよ」


 カブの声は低く、だが熱を帯びていた。


 「……はっ! その通りだ!」


 マキも構えを取りながら笑う。すでに恐怖は消えていた。


 ——メルクスコリピクス。

 その毒は即死級。通常なら、ギルドでもプラチナランク以上の冒険者が担当する格上モンスター。


 だが彼らは、それを“素手で”仕留めようとしている。


 「くるぞ!」


 カブの声と同時に、メルクスコリピクスが動いた!


 尾の毒針を勢いよく突き出す!

 風を裂くその一撃を、カブはギリギリで回避する。


 「で! 逃げないってんなら、どうすんのよ!?」


 「あー……一応聞くけど、お前、今なんの魔皮紙持ってんだ?」


 「バカ言え、喧嘩に魔皮紙なんて持ってきたら価値が下がるだろーが!」


 「だよな。俺も持ってねぇ」


 ——つまり、素手。

 身体強化魔法【プラスフィジカルアビリティ】は使ってるが、それだけで相手をするのは、あまりに無謀。


 「……二人とも、なんも持ってねぇな」


 「ならやることは、一つだろ」


 「「ぶっ倒れるまで、殴り合う!!」」


 二人は同時に地を蹴り、メルクスコリピクスの左右へと散る。


 獲物の気配に鋏を鳴らし、毒針をかすかに揺らすメルクスコリピクス。

 その視線がまず向いたのは——マキ。


 「ふふっ、あたしみたいなイイ女にご執心かい? 嬉しいけどねぇ、アンタみたいに後ろが緩いのはお断りなんだよ!」


 「——!!」


 その一瞬の隙をつき、背後からカブが加速していた!


 「おらぁっ!!」


 拳がモンスターの細い足を打ち砕く!

 グシャリという生々しい音とともに、紫色の体液が飛び散り、メルクスコリピクスがよろける!


 「一発! からのぉ——二発ッ!」


 さらにもう一撃、正確に折れた足の付け根へ拳を叩き込む!

 しかし、怒りに満ちた尾がうなりをあげてカブに迫り、彼はギリギリで飛び退く!


 その間に、メルクスコリピクスはカブへと標的を切り替える——


 「おいおい、今度は俺かよ。アンタ、意外と浮気性だな?」


 ニヤリとカブが挑発する。


 「でもな、そういうのはタイプじゃねぇんだわ!!」


 「っ……!」


 メルクスコリピクスの視線がカブへと移った瞬間——


 「そこだッ!」


 マキがその背後から飛び込み、隙だらけの足に勢いよく踵落としを叩き込む!

 グギャッという音とともに、もう一本の細脚が派手に折れた!


 ギチギチと狂ったように尾を振り回し暴れだすメルクスコリピクス。


 だが、カブもマキも冷静だった。

 その攻撃範囲を読み切り、さっと射程外へと後退して合流する。


 「おいおい……モンスターってのはすげぇな。足二本やられてんのにまだ暴れやがる」


 「ふふん、でもあと四本。その全部を折っちまえば、ただの置物だろ?」


 「で、魔力残量は?」


 「あと一時間ってとこか……」


 「なら余裕だね。行くよ!」


 「ヘマすんなよ、お姫様!」


 二人が再び動く。


 カブは地面に落ちていた拳サイズの石を拾い上げ、尾を振り乱すメルクスコリピクスへと全力で投げつける!


 「そらぁっ!」


 【プラスフィジカルアビリティ】の強化を受けたその一投は、まるで銃弾のようにうなりをあげて飛び、モンスターの額の甲殻を打ち抜くように叩きつけた!


 「カッ!」という金属音。

 甲殻が凹み、メルクスコリピクスが一瞬たじろぐ。


 その間に石は真上に弾かれ——


 「はい、いただき」


 空中で石をキャッチしたマキが、勢いそのままに一回転し、強烈なスローイング!


 ズドンッ!!


 同じ位置にピンポイントで叩き込まれた石が、今度は甲殻の奥深くへめり込んだ!


 「よっしゃぁ!」


 「決まったぁぁあ!」


 ……が、敵も黙っていない。


 飛び道具の存在を認識したメルクスコリピクスは、残った脚を使ってマキの着地位置を正確に狙い、突進する——!


 「あー? させねーよ!」


 突進してきたメルクスコリピクスの脚に、カブの拳がもう一度叩き込まれる!

 ガッと鈍い音が響き、モンスターの動きが一瞬鈍る。


 その間にマキは強引に着地。


 「はぁ……はぁ……やるじゃねぇか、カブ」


 「……あー?」


 何かがおかしい。

 攻撃は受けていないはずのマキが、明らかに息を切らしている。


 「……おい、お前、息あがってんぞ」


 「うるせぇ……! ちょっと……興奮してんだよ……!」


 「……」


 カブが眉をひそめ、一気にマキの特攻服の肩を掴んで引き剥がした。


 「なっ、てめぇ何して……っ!?」


 露わになったサラシ巻きの肩には、くっきりと細長い傷跡。

 そこから、かすかに紫がかった痣が滲み出している。


 「……あー……てめぇ、いつやられてた……」


 マキは答えない。

 だが、カブには思い当たる場面があった——最初に自分を庇った、あの瞬間。


 「チッ……」


 「私は大丈夫だって……っ、く……」


 「うるせぇっ!! そのツラで言っても説得力ゼロなんだよ!」


 マキの顔色はみるみるうちに青くなり、言葉の端々にも力がなくなっていく。


 「……ここは俺が時間稼ぐ。お前はさっさと保健室行け! 毒が回りきる前に……!」


 「まだ戦える……私は——!」


 「うるっせぇんだよ! 俺に負けたんだろうが! 負けた奴は勝った奴の言うことを聞くのがスジってもんだろうが!!」


 その怒声に、マキの肩がびくりと震える。


 「……」


 やがて、泣き出しそうな顔で、マキは小さく、静かに頷いた——。


 しかし、相手はプラチナ冒険者でも複数で挑むような強敵。

 カブ一人でどうにかなるような相手ではない。


 「ど、どうすんだよ……じゃあ、私が行った後は……!」


 「——あー? 考えてねぇ!」


 カブは拳を握りしめ、一直線にメロクスコリピクスへと突っ込む。

 その渾身の一撃で、何かを変えるつもりで——



 ……だが、拳は寸前で止まった。




 ——ゴゴゴゴッ!


 突如、メロクスコリピクスの周囲を囲むように、地面が盛り上がり、厚い【土の壁】が出現したのだ。


 「あー!?」


 「先輩っ! 今のうちに!」


 声がした方向へ振り返ると、そこには——

 この世の全ての“可愛い”をかき集めて形にしたような、美神の化身。


 金髪の完璧美女、アオイが手を振っていた。


 「お、おろせぇぇ!!」


 わたわた暴れるマキをそのまま背負い、カブは土の壁を背にして駆け出す。


 「アオイ! てめぇ、今の土の壁……!」


 「い、いえっ、それは……」


 アオイが指差した木陰には、ピースサインを掲げるもう一人の美女——

 マイペースな微笑を浮かべたルカがいた。


 「……はんっ! 助かったぜ!」


 カブは肩に力を入れ直し、再びマキをしっかりと背負うと、


 「今すぐ保健室だ! 誰か呼んでこい! お前らもあとから来いよ!」


 そう言い残し、地を蹴って加速する。

 《プラスフィジカルアビリティ》で強化された脚力が、音を裂くように風を切る。


 「ルカも早く逃げよう!」


 「うむ、逃げるのじゃ!」


 アオイとルカは一目散にその場を離れた。

 残されたのは、ざわついた空気と、土の壁に閉ざされた闇だけ。




 ――そして、静寂。




 時間が経ち、地面からせり出していた土の壁が静かに崩れ落ちる。

 やがて現れたのは、倒れ伏した一体の魔物。



 その黒光りする巨体は、胸元を貫く“クリスタルの槍”によって貫かれたまま、ピクリとも動かない。




 誰の仕業か。

 なぜこのタイミングで“それ”が放たれたのか。

 答えはまだ、誰にもわからない――。


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【武器】


 冒険者は、基本的に「武器」と「魔法」を駆使して戦闘を行う。

 武器には剣・槍・斧・弓・格闘具など多様な種類が存在し、個々の体格や戦闘スタイル、適性に応じて使い分けるのが一般的である。


 また、武器には《強化核》や《付加属性》を持つものもあり、素材となるモンスターの部位や精製方法により性能が大きく変動する。

 特に高位の魔物素材から作られた武器は、魔力伝導効率や斬撃強度が飛躍的に向上する傾向にある。


 戦いにおいて、自身に最も適した武器を選定し、正しく使いこなすこと――

 それが冒険者としての生存率と成果を左右する。


 ※一部地域では、武器に固有の“名”が与えられる文化も存在する。


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