目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第275話 お食事入る前

 「……『女神』ねぇ……」


 《モルノ町》の近く、山の中腹。


 エンジュは仲間たちと共に、森の中に結界を張って小規模な拠点を構えていた。

 いや、今や“結界”はかなりの規模に拡張されている。


 仲間も増え、“ただの集まり”ではなく、今では一つの組織と呼ばれる規模となっていた。




 「姉御? どうしやした?」


 手持ち無沙汰にナイフをくるくる回していたエンジュがぼそりと呟くのを聞いて、

 近くにいた部下が声をかける。




 「……あんた、『女神』をどう思う?」




 一瞬、空気が変わった。


 問いかけた本人も冗談交じりではあるが、

 その名を口にした瞬間、確かに空気がぴたりと止まった。




 「……『女神』、っすか」




 部下の顔に、一瞬の緊張が走る。




 ――『女神』。

 この世界において、“人類の絶対悪”とされる存在。


 かつての神話にも登場し、人間を笑い、操り、壊した“最も忌まわしい概念”。




 だが、エンジュの率いるこの組織もまた、

 【人拐い】【冒険者殺し】【盗み】といった罪を過去に重ねてきた集団である。


 最近は“盗み”は減ったものの、善人の集まりではない。


 それこそ、世間から見れば――“この組織自体が『女神』のようなもの”だ。




 「本当に実在するなら……そりゃあ、恐ろしいもんでしょうけどね」


 部下は苦笑するように、わざと軽く言ってみせる。


 「どう思うって言われましても……

 姉御、もしかして最近……神話にでもご執心なんです?」




 「……そうなるねぇ」




 エンジュはナイフを止め、指先で軽く弾いた。


 ――“音”はしなかった。




 そう、『女神』も、【神】も――ただの神話の存在。


 この世界で“現実”として扱われることはない。




 だが。




 今この山に、こうして身を潜めさせられているのは――

 “ある人物”の命令によるものだった。


 そしてその命令を下したのが、他でもない――




 『女神』――だというのだ。


 「そんなことより見てくださいよ姉御!」


 部下のひとりが、血まみれの胴装備とギルドカードを手に現れた。


 装備は女物。中身はもう処理済みか、それとも――


 「ほーう、やるねぇ。これでどこかの町に入れるってわけだ」


 この組織の連中は、すでにギルド登録を抹消されている。


 だからこうして、冒険者を狩り、そのギルドに“死亡”と判断される前に装備とカードだけを使い、潜り込むのだ。


 町の外での消失なら、魔物に襲われたことに偽装できる。


 「ありがたやす! 姉御!」


 「最近じゃ肉や魚ばっかでねぇ。華がない食事だったから……今度スイーツの材料でも買うかしらねぇ」


 「まじですかい!? ありあたやす!」


 「中身は? この血じゃ、死んでるかと思ったけど」


 「へい。パーティーの男三人は殺して、女は半殺しにして今は“アレ”を飲ませてありやす」


 部下は舌なめずりをしながら、ゲスな笑みを浮かべる。


 「“アレ”、ねぇ……」


 正式には《黒髑髏薔薇(こくどくろばら)》の花びら。


 数年前からアバレー王国で裏取引されてる高級品だ。


 花びら一枚で法外な額になるが、今は懐があったかいので在庫はある。


 数枚買った。


 本来黒髑髏薔薇は周囲の魔力を吸って成長し、熟すと花びらを枯らしてまた新たな花を咲かせる。


 枯れた花びらは地に溶けて、栄養となるはずだった。


 だがなぜか、その花びらは枯れなかった。


 「へへ……飲ませたら、すぐに言うこと聞くようになりやした。今は、へへへ……」


 濃縮された魔力が残ったままの花びらは、人間が口にすると魔力酔いを起こす。


 過剰摂取すれば脳が焼け、理性が壊れ、一時的に思考不能の“人形”と化す。


 「……ふん。まぁ、ほどほどにしときなよ? 在庫、そう多くはないんだからさ」


 エンジュは指先でナイフを軽く弾き、冷えた笑みを浮かべた。


 「へい!」


 「それにしても、何もないねぇ」


 エンジュが欠伸をしたその時――外で見張っていた部下の一人が、汗だくで飛び込んできた。


 「姉御! み、見たこともねぇ数の魔物が! 魔物が!!」


 叫び声に、結界の中の空気が一気に緊張に染まる。


 エンジュはナイフを指に転がしながら、ゆっくりと立ち上がる。


 「……やれやれ。そろそろ、“本当の仕事”ってやつが始まるのかい」



__________


【奴隷】


「奴隷」は、主に以下の2つの形態で制度化されている。


1. 犯罪者奴隷


一定の重罪を犯した者が、刑期の代わりに「矯正労働」として扱われる形式。

専用の《奴隷契約魔皮紙》によって契約を交わすことで、指定の主人に従属する。


契約が成立すると、奴隷は主人の命令に逆らえなくなる制約を負う。

ただし、主人側にも法的義務が存在し、奴隷を用いて犯罪行為を行った場合は、主人も処罰の対象となる。


この形式は、治安維持と矯正目的のため、各国で一定の法整備がなされている。


2. 自由意思による奴隷契約


生活困窮者や債務者などが、自らの意思で奴隷契約を結び、報酬を得る形式。

一種の派遣労働や臨時雇用のようなものであり、期間契約型・報酬型など柔軟な内容の契約が存在する。


この形態では、契約終了後に自由を取り戻すことが可能であり、本人の努力次第では正式な就職や自立に繋がるケースも多い。


______


____


【重要】違法な奴隷刻印について


現在、全ての人権を強制的に剥奪する《奴隷刻印魔法》は各国で禁止されている。


この魔法は意識や記憶を操作し、命令を絶対視させる危険性があるため、発見次第、即時通報が義務づけられている。


外見上の見分けは困難だが、「意思が極端に薄い」「命令に対し異常な反応を示す」などの兆候が見られた場合は、速やかに最寄りの騎士または公的機関へ相談すること。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?