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第322話 決着

 「話は終わったか?」


 アオイの雰囲気が変化したのを、アビは敏感に察知する。


 「貴様……気付いているのか」


 「俺の中に『女神』が居るって話か?……それがどうした。俺は俺だ、それ以上でも以下でもない。たとえ違う身体に、違う人格が混じっていたとしてもな──俺は俺なんだよ!」


 「お前は……一体何者だ!」


 「俺は【アオイ】!ただのお酒が大好きな人間だぁぁあ!!」


 「!?」


 次の瞬間、アオイの姿が消える。


 気づけば、アビの懐──いや、真下から振り上げられる鋭い拳!


 「ッがぁあ!!」


 アビは顎を打ち抜かれ、宙を舞い、天井に叩きつけられた。


 こうして、【決戦】が──幕を開ける。


 「死ねッ!アオイイイィ!!」


 咆哮と同時に、アビは天井を蹴り抜けるように飛び上がる。

 背中から伸びた四本の尻尾が、まるで巨大な蛇のようにうねり、アオイに向かって迫る。一本一本が鋼鉄の鞭のごとく唸り、空気を裂く音が部屋全体に響いた。


 「っ……【流し】!」


 アオイは反射的に体勢を低くし、尻尾の一撃を手のひらでいなしながら横へ転がる。

 床に爪先を滑らせ、回避と同時に足元に魔力を流して反動を制御する。攻撃の流れを殺さず、連撃の動きを“流して”抜ける、武術の中級奥義。


 「四人で四本の攻撃より、一人で四本は隙がねぇな……!」


 尻尾はどれも生き物のように意志を持ち、絶妙な角度と速さで襲ってくる。

 避けたつもりでも次の一撃がすぐ来る——そんな殺意の連続に、アオイは息を詰める。


 「さっきの勢いはどうした!」


 アビが吠える。地を滑るようにアオイを追い詰めながら、尻尾を螺旋状に展開する。


 「お前が俺を“名前”で呼んでくれたから嬉しいだけだよ! 【白刃どり】!」


 アオイは吼え、目前まで迫った三本の尻尾の軌道を読み切り、その白い指で寸分の狂いなく先端を掴み止める。

 異様な柔軟性と瞬発力、そして正確な間合い——まさに勇者としての力が発揮された瞬間。


 しかし——


 「甘い!」


 四本目の尻尾が、一瞬の死角から高速で突き出される。狙いはアオイの喉。


 「——あぶねっ!」


 アオイは身をひねり、ギリギリの角度で避けると、後方に大きく跳躍。背中から風を受けて床に着地し、すぐさま姿勢を立て直す。


 着地の衝撃で足元の床がひび割れる。スニーカーが擦れて軋む音がした。


 「……今の、マジでやばかった……」


 だが、焦りはない。


 前の自分なら、確実に貫かれていた。

 しかし今は違う。


 【勇者】として覚醒したその肉体は、アオイの知識と戦闘勘に完璧に応え、意識より早く“最適解”で動く。


 それは、かつてのアオイにはなかった“戦士”としての直感。


 「アニメ見てるおかげだな……!」


 アオイは息を切らしながらも、笑った。

 咄嗟に飛び出した身体操作、その直感の鋭さ。まるで少年漫画の主人公にでもなった気分だった。


 「良く避けたな。では……これはどうだ?」


 アビの背後で魔力が渦を巻き、瞬時に展開される無数の魔法陣。赤、青、紫、黒……色とりどりの光輪がアビの周囲に咲き乱れ、同時に炸裂。


 「ちっ!【地割れ】!」


 アオイは反射的に地面に拳を叩きつけ、魔力の奔流を放出。床に亀裂が走り、足元ごと崩壊させて下層の部屋へ滑り込むように落ちる。


 直後、上層に残った空間が爆発音と光の洪水に包まれた。


 「逃げても無駄だぞ!」


 「くそっ、魔法使いながら追ってくるのかよ!」


 アビは漆黒の翼を大きく広げ、爆煙を裂いて降下。コウモリの羽ばたきが起こす風が、部屋のホコリを舞い上げる。


 アオイはすぐに走り出す。壁を蹴り、床を蹴り、天井に張りついて跳ねる。

 地面に触れるたびに【補助魔法】が足元に発動し、滑走用の摩擦軽減フィールドが自動展開される。


 「俺が考えるより早く動ける……!」


 身体は、勝手に戦いの“最適解”を選び続ける。これは“勇者”としての資質——いや、本能だった。


 「そこだぁぁあ!!」


 「なっ!?」


 アオイは走行ルートを一瞬で切り替え、足を鳴らして急停止からの旋回、ブーストジャンプで宙返りしつつ、背後から迫っていたアビの顔面に拳を叩き込む!


 「がはっ!」


 勢いそのままにアビの身体は吹き飛び、くるくると旋回しながら壁へ激突。衝撃波で壁面が大きくひび割れ、石片がパラパラと舞う。


 「っは、はぁ……っふぅ……!」


 アオイは荒く息を吐き、拳をぶらりと下ろす。

 自動発動するサポート魔法で、戦いの流れは完全に掌握できている——だが、体力は確実に削られていく。


 「サポートがあるって言っても、こっちはずっと全力疾走だっつーの……!」


 汗が額を伝い、光に濡れた金髪がゆらゆらと揺れる。だがその目はまだ死んでいない。

 その背筋から放たれるオーラは、確実に【勇者】の名にふさわしい気迫だった。


 フラフラとアビも、血を流しながら立ち上がる。裂けたマントがボロボロとはためき、翼は血と魔力の滲みで濡れていた。


 「はぁ……はぁ……この吸血鬼の王である俺に……血を流させたな!」


 それは怒りとも屈辱ともつかない、どす黒い感情の混じった呻きだった。


 「何が“血を流させたな”だよ!お前は今まで、何人の血を吸い、何人の命を弄んできた!?今さら自分の血に価値があると思うな!」


 対するアオイの怒声は、深く、鋭く、空気すら凍らせるように響いた。


 「フン、食料のことなど知るか。貴様ら人間など、我ら吸血鬼にとっては喰われるだけの家畜――その頂点に立つ俺を、こんな姿に貶めるとは……!」


 「だまらっしゃい!」


 その一言に、アオイの赤と青の瞳が怒りに染まる。


 「百歩譲ってお前の歪んだ理屈に合わせたとしても、じゃあ“すひまるちゃん”はどうなんだ!同じ吸血鬼じゃないか!」


 「すひまる?ああ、あの下級きゅうけ――」


 しかし、アビの口が“吸血鬼”の最後まで言い終えることはなかった。


 「うるさい……っ!!」


 ドンッ!!


 アオイの怒りは声ではなく、行動で示された。

 転移魔法――否、空間を跳ねるように一瞬でアビとの距離を詰め、そのまま服の胸元をガッと掴み、全力で反対方向の壁へと投げ飛ばす!


 「――どうせ、そんなことだろうと思ってたよ!」


 ドォンッ!


 壁に叩きつけられたアビの身体が砕けた岩と一緒に崩れ落ちる。


 「お前ら“上の人間”は、下の奴らのことなんて覚えちゃいない。使い捨ての道具としか思ってないんだ。そういうのが……そういう奴らがッ!」


 ビリビリとアオイの身体を包む魔力が共鳴し、周囲に走る衝撃波が床を焦がす。


 「【私』を……【怒』らせるなよ!」


 アオイは胸を大きく上下させながらも、睨みを逸らさない。


 「お前みたいなのが王なら……いや、“お前みたいなの”が王だからこそ――」


 「【私』に滅ぼされるんだよッ!!!」


 「……ふざけるなああぁぁあっ!!」


 アビはその怒声と共に、傷ついた両翼を広げる。

 血の雫を撒きながら、背から伸びた猛毒の尻尾をさらに膨らませ、最後の力を振り絞るかのように空を切ってアオイへと飛びかかる!


 「しねええええぇ!アオイイィ!」


 全身の魔力を振り絞り、尻尾が暴れるように展開され――そのうちの一本が鋭くしなる!


 その狙いは、アオイの首。


 「っ!」


 ――だが、アオイはそれを一瞬で見切る!


 「……甘いんだよ!」


 迫る尻尾の刃をギリギリでかわすと、そのまま流れるように尻尾をがっちりと素手で掴む。

 アビの目が見開かれる。


 「な!?」


 「男なら、歯くいしばっとけッ!」


 アオイの怒声が響く。


 次の瞬間――


 ドガァッ!!


 渾身の力で尻尾を引き、アビの身体を勢いのままに持ち上げ、反動をつけて真下の床へと叩きつける。

 砕けた石床が舞い上がり、煙が視界を覆った。


 「ッ……終わりだよ!!」


 ボールの様に反動で跳ねたアビの身体の一点を狙ってアオイが構える。


 「【魂抜き】ッ!!」


 炸裂する掌底。

 アビの顎が跳ね上がり、脳へ衝撃が突き抜ける。

 全身が痙攣し、吸血鬼の王はそのまま白目を剥いて崩れ落ちた。


 「………………」


 辺りが静まり返る。


 ピタリと止まっていた“時間”が、ゆっくりと回り始める。


 空気が、音が、息吹が――戻ってくる。


 アオイは一歩、アビのそばへ寄る。


 動かない。もう、終わった。


 アオイは黙って背を向けた。

 今の彼女の目には、怒りも涙も、もう何も映っていない。


 ただ、一歩一歩、静かに歩き出した。


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