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第324話 正の選択

《モルノ町》《とある家》


 「……ん……」


 その家の一室で、彼女は静かに目を覚ました。


 「ここは……モルノ町の……私の拠点……!?」


 すひまるは弾かれるように上体を起こし、記憶を探るように自分の足元に視線を落とす。


 「あ、ある……」


 そこにあったのは、かつて斬られたはずの足。だがそれは、吸血鬼のそれではなく、温かく、血の通った“人間の足”だった。


 驚きに固まったままの彼女の耳に──


 「うーん……」


 小さな寝返りと、かすれた声。


 「!?」


 隣に居たのは、小さな人間の男の子だった。


 そして、その子がまどろみから目を覚まし──


 「おねーちゃん?」


 聞きなれた声、そして聞きなれた呼びかけ。


 「せ、セミマル?」


 「おねーちゃん!……おねーちゃん!!」


 セミマルは目を潤ませながら、すひまるの胸に飛び込む。


 「セミマル!セミマルゥ……!」


 すひまるも涙をこぼしながら、しっかりとセミマルを抱きしめ返す。


 二人とも、あの“最期の日”の記憶をはっきりと覚えていた。


 「おねーちゃん、僕たち、死んだのかな?」


 「……死んだ、はず……なんだけど……」


 すひまるはゆっくりと立ち上がり、窓の外を見やる。


 そこには、いつも通りの町並みがあった。

 商店街を歩く人々の姿、朝の陽ざし、笑い声、騒音──


 まるで何事もなかったかのような“日常”がそこにあった。


 「死んで……ないかも」


 あの世というものがどういう場所かはわからない。

 けれど、この穏やかで懐かしい光景を前にして、すひまるは小さく微笑んだ。


 「ぼ、ぼく。人間になってる」


 セミマルが自分の身体を見下ろし、両手を開いて、満面の笑みを浮かべる。


 「おねーちゃん!見て!ぼく、立てるよ! 手でものを持てるよ!」


 その目が、まっすぐにすひまるを見る。


 「──おねーちゃんを……抱きしめられたよ……」


 ぽろぽろと、またセミマルの目から涙がこぼれる。


 それは夢が叶った、純粋な“嬉し涙”。


 すひまるは優しく、ゆっくりと彼を抱き寄せた。


 「……うん、ありがとね。セミマル」


 そして、その小さな頭を撫でながら、すひまるの目にも光るものが滲んでいた。




 ──ふと、机の上に目をやると。


 あの日、書き残したはずの“日記”は、もうどこにもなかった。




 【彼女達の“人間としての生”は、これから始まるのだ】


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