「く〜ろねこの〜パンケーキ〜つくろ〜♪ ふんふふ〜ん♪」
ぽかぽかと揺れる焚き火の上――
アオイは子供向けのアニメに出てくる悪い魔女が使ってそうな、まあるい大鍋を前にご機嫌モード。大きな木ベラで鍋をくるくるかき回しながら、楽しげに鼻歌を歌っていた。
星が空にきらきらと瞬いて、今日という一日が静かに終わりを迎える。
「味見〜♪ ちゃんと、いいお出汁出てるかな〜?」
ぴょこっと腰をかがめて、アオイは鍋を覗きこむ。
鍋の中では、さっきチュー太郎たちが丁寧に捌いてくれた【沼鋏】の肉がぷかぷか浮かんで、ほのかに甘くて香ばしい匂いが漂っていた。
──ここまで丁寧に下処理されてると、もう全然怖くない。これは完全に“ごちそう”。
「えーっと……あ、小皿小皿♪」
転送魔皮紙から取り出した小皿に、そっとスープをよそう。ほんのり黄色みがかった透明な出汁の表面には、薄く脂が浮かび、見るからにコクがありそう。
「……いっただきまーす♡」
フーフーと息を吹きかけてから、アオイはちゅっ……とひと口、口に運んだ。
「…………っはぁ〜〜〜っ♡」
思わず、ふにゃっと顔がとろけた。
まるで濃厚な蟹のビスク――でも重たくない。
旨みはしっかりしてるのに、後味はすっきり。
とろりと舌にからみ、じんわりと胃の奥に染みわたるような深いコク。
なのに、臭みはゼロ。これはもう“旨みだけが凝縮された”スープとしか言いようがない。
「さて、これをベースに……改良していきますかね♡」
ちらりと視線を向けると、少し離れた場所でチュー太郎たちが荷物整理や武器の手入れをしているのが見える。
「まずは……やっぱりこれ、いっときますかっ!」
鍋の上で転送魔皮紙をひっくり返し、そっと魔力を流し込む。
すると――ぽちゃ、ぽちゃぽちゃ……!
《モロシイタケ》たちが、ぷりぷりと弾むような音を立てて次々と鍋に落ちていく。
しばらく木ベラでくるくるかき混ぜていると、鼻孔をくすぐる芳醇な香りが空気に広がり始めた。
「ふふっ、子供の頃はこの匂い“土臭〜い”って思ってたのに……今じゃ、たまんないんだよね〜♪」
ひと口、スープをすくって味見。
……っ!
「……う、うまぁぁ……っ♡」
あっさりした出汁に、モロシイタケの芳醇な香りが重なり合い、味が“深く”なった。
だけど濃すぎることはなくて、ドッシリとした旨みが、きゅっと丸くなって舌の上に着地する。
スプーンを持つ手が止まらない――これは、鍋の中に魔物がいるレベル。
「これだけでごはん3杯いけるって……ぜったい罪でしょ……」
持ってきていた調味料の存在が、もはや無意味になるほどの完成度。
完璧すぎて、もう調整すらいらない。
「よーし、じゃあ次は主役たちを召喚しちゃおうか〜!」
転送魔皮紙から取り出したのは、アオイ特製・こだわり抜いたお野菜セット!
・汁をじゅわ〜っと吸ってトロトロになる《ヒクサイ》
・香ばしくて甘みが引き立つカット済みの《長ヌギ》
・シャキッとアクセントになる《メヤシ》!
鍋に入れた瞬間、ふわっと香りが立ちのぼり……そのビジュアルはもう“黄金の鍋”そのものだった。
「これを全部入れちゃいまーすっ♪」
――そして。アオイのスイッチが入る。
「貴様らの“真っ白な味覚”……この神鍋で上書きしてやる……!」
「逃げ道はない!野菜も肉も、貴様ら全員、このテリトリー(なべ)の住人だッ!」
「フッハハハハハハッ!……ってね♡」
アオイは仮面の奥でにこにこと、でもどこか怪しげに笑いながら、木ベラをぐるぐる――ぐるぐると回し続けた。
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「トララララ!!うっまーッ!」
「やっぱり採れたては最高ッチュね!」
「ウッシー!おかわりおかわりっ!」
「ふふっ、まだまだありますからね。どうぞどうぞ♪」
星空の下、グツグツと煮えた鍋を囲んで――
アヤカシの肉と《モロシイタケ》の香りがたちのぼる中、獣人たちが嬉しそうにスープをすくっている。
大きな鍋のまわりで、それぞれが自由に装って食べていく。
具材はたっぷりあるから、取り合いにもならない。なんだか……まるで絵本みたいな光景だった。
その時。
「ところでさ、アオイ……あの魔法って、一体なんだったッチュ?」
「…………」
チュー太郎の問いかけに、少しだけ空気が止まる。
「アヤカシ狩りでいろんな魔法見てきたけど、あんな大規模なのは見たことないッチュ」
「トラララ!あの沼大蛇を一瞬で押さえ込んだ魔法だろ? アレ、どう考えてもただもんじゃないトラ!」
「ウッシー!もしかして……伝説の“蛇神様”だって縛れちゃったりして? ウッシシシ!」
「え、えーっと……」
アオイは仮面越しに言葉を濁した。
この流れ……今までも何度か経験している。
自分の“その力”を見せたあと、必ずこうなる。
――「仲間にならないか?」
「……秘密にしたいなら、それでもいいッチュ。だけど……」
チュー太郎が、少しだけ声を落とす。
「これから先、アヤカシ狩りが中心になる《プラチナ》のランクでは……アオイの魔法は、絶対に役に立つッチュ」
「…………」
「チュー達のパーティーに……入らないかッチュ?」
その言葉は、決して軽くなかった。
これまで命を張ってアヤカシを狩り、仲間を信じてやってきた三人の――本気の勧誘。
「頼むッチュ! この通りだ!」
「トラ!俺もだ!」
「ウッシ!俺もぉ!」
それぞれが手にしていたとんすいを地面に置いて、頭を下げる。
湯気がふわりと空に舞い、香ばしい出汁の匂いだけが静かに残った。
その光景を、アオイは見なかった。
ただ、目の前に置かれた器の湯気を、じっと――見つめていた。
「…………」
(……冷めちゃうなぁ。もったいないな……)
ぽつり、心の中でそんなことを思いながら。
アオイは、沈黙を破るように口を開いた。
「昔、僕と一緒にいてくれた人たちがいたんです」
チュー太郎たちは静かに顔を上げた。
俺は思い出す。
奴隷だった頃__一緒に働いてた仲間たち。
ミクラルの孤児院の__子どもたちや先生。
メイド達__それにアバレーの道場でお世話になった兄弟子。
____おじいちゃん……ユキちゃん。
スクールで出会った__ルカ達
アオイの声は落ち着いていた。
だけど、どこか遠くを見ているようだった。
「全員……僕が原因で、辛い思いをした人たちなんです」
これが俺の中にいる『女神』の影響なのかどうかは、正直わからない。
だけど――俺と関わった人には、必ず“何か”が起こる。
だから。
「……僕は、誰とも組まない」
そばに人を置かない。それが一番いい。
こんな俺と一緒にいたら……きっと、ろくなことにならない。
「チュー達はそれでも!」
チュー太郎さんは引かなかった。
トラ五郎さんも、ウシ沢さんも同じだ。
(……あぁ、まただ)
このままだと、この美味しい鍋すら味がしなくなってしまう。
だから【私』は動く――この場を、うやむやにするために。
「みんな、顔を上げて? こっちを見て?」
そう言って、俺は――いや、【私』は、
ゆっくりと仮面に手をかけた。
カチ……と音を立てて外れた仮面の下、
三人の視線が一斉に“俺”の素顔に吸い寄せられる。
「…………」
「…………」
「…………」
三人とも、呆然としたように動けなくなっていた。
俺の顔――いや、“女の顔”を見て。
(……くそ、まただ)
その視線が痛い。
女だと思われるだけで、胃の奥から不快感が湧いてくる。
“女”が憎くて、憎くて――
吐きそうなくらい嫌悪していたあの中学時代に、また逆戻りしていくようで。
そして、【私』は唱える。
(はぁ……この魔法、詠唱時に身体が勝手に動くの、マジでなんとかしてほしいんだけど……)
__髪をかきあげてウィンクポーズ
__そして__
「【魅了』」
三人共【私』に魅了された。
「えーっと……この顔と、さっきの魔法。
そして、このやり取りを――忘れて。
楽しく、美味しく……みんなでご飯を食べましょ?」