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第348話 【万能糸』

 じめじめとした冷気が肌を撫でる、薄暗い洞窟の中。

 四人は無言のまま、音を立てずに奥へと進んでいく。


 「(それにしても、【獣人化】ってほんと便利だよねぇ)」


 本来なら、冒険者は暗闇を照らすために光魔法を使うのが常識だ。

 けれど今、この場の誰ひとりとして光を灯すことはない。


 理由は単純。――獣人化している間は、暗闇の中でも視界が利くのだ。


 「(動物ってこんなふうに世界を見てるのかなぁ?まるで誰かが、どこかで電気つけてくれてるみたいに見えるし)」


 ただし――全部が見える、ということは。

 見たくないモノまで、くっきり見えるということでもあった。


 ……骨と、死肉。


 「……」


 それが人間か、獣人か、魔物のものか……判別はつかない。

 けれど腐敗した肉の切れ端に、朽ちた骨。すべての残骸が、いやにリアルに視界に浮かび上がる。


 「(南無阿弥陀仏……ちょっとしたホラーだよ、これ)」


 冷たい雫が、天井からぽた、ぽた、と落ちてくる。

 それを肩に受けながら、アオイは息を殺して進み続け――


 やがて、洞窟の中心。

 そこに……奴がいた。


 「(こ、これが【沼大蛇】……!)」


 数メートル先の進路を、巨大な黒蛇が塞いでいた。

 二つの頭を持ち、ぐるぐると地を這うようにとぐろを巻いている。

 まるで神殿の守護獣のような威圧感。……いや、まさしく“化け物”。


 「(○リーポッターに出てきたバジリスクの……二つ頭バージョン!?やめて!?怖すぎ!)」


 しかも、両方の頭は――目を開いている。


 「(ちょ、え?寝てるんだよね!?ねえ、寝てるんだよね!?めっちゃ目ぇ開いてるけど!?)」


 幸いにも、今のところ気づかれた様子はない。

 でもその“開いたまま眠る双眸”が、いつこちらを向くかと思うと……アオイの背中には、冷や汗がじわりと滲んでいた。


 「……」


 「(! あんなところに……《モロシイタケ》!)」


 チュー太郎が小さく指差した先――

 それは、【沼大蛇】がとぐろを巻くすぐ背後の壁だった。


 そこには、おびただしい数の《モロシイタケ》がびっしりと群生している。

 まるで洞窟の一部かのように密集し、むせ返るほどのキノコの匂いが漂ってきそうなほどだった。


 「(なるほど……これだけあれば強烈な匂いを放つ。だからこそ、それに釣られて【沼豚】たちが近づき――そして捕食されるわけか)」


 アオイはゆっくりと息を吐き、慎重に【沼大蛇】の脇を通り抜けていく。


 チュー太郎たち三人は一定の距離を保ち、その場で静かに見守っていた。


 「(いつも通り、やればいい……“いつも通り”……)」


 アオイはそっと、細い【糸』を展開した。

 【糸』は生き物のように地を這い、迷いなく【沼大蛇】のうちの一つの頭へと侵入していく――


 「(よし……!)」


 通り過ぎざまにちらりと見ると、【沼大蛇】の胴体はところどころ不自然に膨らみ、いびつな形になっていた。

 おそらく【沼豚】か、あるいは別の獲物を丸呑みし、現在も体内で消化している最中なのだろう。


 「(……食後の居眠りってことか。夜行性とは聞いてたけど……なるほど、ここにいれば餌の方から寄ってくるってわけね)」


 アオイはそろりと【沼大蛇】の横を通り抜け、壁に密集している大量の《モロシイタケ》の前へとたどり着いた。


 「(あとはこれを届けるだけ……それと、今夜みんなで食べる分も♡)」


 転送用の魔皮紙を広げ、アオイは黙々とキノコの収穫を始めた。

 カサの形や大きさを手早く見極め、手際よく送り込んでいく。


 「(……よし、これで終わりっ!)」


 依頼達成。そう思ったその時――


 「アオイ! 避けるッチュ!」


 「えっ――うわっ!」


 鋭く風を裂く音。アオイが本能的に飛びのくと、ついさっきまでいた場所に巨大な尻尾が叩きつけられ、《モロシイタケ》ごと壁が砕け散った。


 「ど、どうして……!」


 振り向いたアオイの視線の先――

 そこには、鋭くこちらを睨みつける【沼大蛇】の姿があった。


 「(い、いつも通りのやり方だったはずじゃ……!)」


 だがすぐにアオイは気づく。


 「っ!! ……そういうことか!」


 【沼大蛇】の双頭のうち、片方の首は力なく垂れていた。

 つまり――アオイの【糸』が効いているのは、片方だけだったのだ。


 「チュー! みんな、武器を構えるッチュ! 一か八か、やるしかないッチュ!」


 「トラ!」


 「ウッシ!」


 三人が一斉に武器を構え、戦闘態勢に入る。


 だが――


 「(だ、だめだ……!)」


 アオイの顔が強張る。


 このまま戦いになれば、誰かが傷つき、倒れる。

 それを見た瞬間、アオイはきっと――あの記憶を、また思い出してしまう。


 「(嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だッ!)」


 頭の中で声が反響する。震える手、固まる足。


 「何をしてるッチュ! アオイ!」


 「ボーッとしてたらやられるトラ!」


 「ウッシ! まさか……足が動かないのかウッシ!?」


 「チュー! アオイを救出するッチュ!」


 「「おおっ!」」


 三人が一斉に走り出す。その瞬間だった。




 【アオイの思いに呼応するように、その魔法が発動した』


 「……【目撃縛』」


 「――――っ!?」


 「な、なんだこれはっチュ!?」


 「光る糸……!? トラ!?」


 「こんな巨体が、止められてるウッシ……!?」


 突如として現れた魔法陣。そこから這い出るように伸びた【糸』が、唸るような音を立てながら【沼大蛇】の全身を包み、締め上げていく。


 もがき、暴れようとする巨体も、張り巡らされた【糸』に一歩たりとも動けない。


 「みんな! 今のうちに逃げよう!」


 「なにが起きたか解らないけど、助かっトラ!」


 「逃げるッチュー!」


 「ウッシ、急げウッシ!」


 四人はそのまま、封じられた【沼大蛇】を背に洞窟の奥へと駆け出す。




 アオイの武器は――【心』に反応する【糸』。


 アオイが【見たくない』と思えば、殺すことなく縛りつける。



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