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第373話 眠れない夜の【来訪者』

 深夜二時。

 あたりは驚くほど静かで、虫の鳴き声さえ、まるで遠慮しているみたいにか細かった。


 キールは棚の上に置かれていた魔写真を手に取り、そっと埃を払う。


 「……もう少しだからな、エリコ」


 その写真には、まだ若かった頃のキールと、柔らかな笑みを浮かべる女性、そして腕の中で眠る小さな赤ん坊――ユキの姿があった。


 「……」


 今日、アオイたちと作戦会議を終えたあと、ひとまず自宅へ戻ってきた。

 かつて家族と過ごした、もう温もりの消えた家に。


 「……結局、リフォーム前で残ってたのは、この写真だけか」


 思い出を守るように、キールは魔写真を額縁から外し、丁寧に折りたたんで上着のポケットにしまった。


 眠ろうと布団に入ってみたものの、瞼は一向に重くならず、呼吸ばかりが夜に溶けていく。

 やがて諦めたように、彼は立ち上がり、玄関を開けた。


 ひんやりとした夜気が肌を撫でる。

 誰もいない静かな村の片隅――キールは玄関先の階段にそっと腰を下ろした。


 「……」


 懐から魔皮紙を一枚取り出し、軽く魔力を流し込む。

 ぼんやりと灯る魔光が、小さく、優しく、彼の足元を照らす。


 「こうしてると、少しだけ落ち着くんだ……昔も、よくこうやって……」


 誰に語りかけるでもなく、ぽつりと声がこぼれた。


 「……」




 ……。




 ………。




 時だけが、ぽつりぽつりと過ぎていく。

 何も変わらない、静かで、重たい夜。




 ……。




 「……?」




 ふと、気配を感じた。

 暗闇の向こうから、誰かが歩いてくる。

 気配を隠す気配すらない――白い狐の仮面をつけた【そいつ』は、ただ普通に、ゆっくりと近づいてきた。




 「キールさん、眠れないんですか?」




 透き通る水の音みたいに柔らかく、澄んだ女の声。

 その響きは、耳ではなく心に触れるようだった。




 「……」




 「【私』もなんです……隣、失礼しますね」




 断る間もなく、仮面の女はキールの隣に腰を下ろした。




 外気温は低い。

 だが冒険者の装備には温度調整がある。寒くも暑くもない。

 なので、こんなにも近づく必要などないのにピタリとくっ付いてる。


 「それにしても……本当に助かります。キールさんほどのお強い方が、一緒に来てくださるなんて」




 「……いえいえ、そんな【勇者】のあなたに言われるとは、こちらこそ光栄です」




 キールは穏やかな笑みを浮かべた。





 「そんなことないですよ? キールさんのこの鍛え上げられた腕っぷし……本当に素敵、ですね?」




 アオイはふわりと笑って、キールの腕をそっと掴む。

 そして――それを、自分の胸元へと引き寄せた。




 「んふふっ……どうして、こんなことしてるんですか?」




 そのままアオイは、身体を預けるようにキールにもたれかかる。

 視線は浮かぶ【光源】へ――仮面越しに、夜の明かりを見つめていた。




 「こうしていると、昔を思い出すんです。あの頃……親友たちと、よくこうして依頼の夜に語り合ったもので」




 「……へぇ」




 「精神統一とは違いますが、落ち着くのです。静かで、温かい」




 「本当に、仲が良かったんですね。ふふ、惚れちゃいそう」




 「……ええ、本当に――かけがえのない仲間たちでした」




 「…………」




 「…………」




 ふたり、並んで、夜の光を見つめる。

 それは、まるで――何もかもを分かち合う、夫婦のような距離。




 しかし。






 キールは柔らかな笑みのまま――殺意を纏い、言い放つ。










 「貴様が【アオイ』か」








 空気が、裂けた。




 【ありゃ? バレちゃってた?』




 アオイはくすっと笑い、キールから身体を離す。

 そして仮面に手をかけ――ゆっくりと、外した。




 仮面の下から現れたのは、

 黒い、艶やかな微笑み。


 下品なほどに歪んでいるのに、なぜか目を離せない。

 そう――それは、“美しい狂気”。



 【キャハッ! 初めましてぇ〜♡ 国の代表騎士キール様っ♪ わたくしアオイと申しますぅ〜♡ いぇいっ☆』



 ぱちんっ、とウィンク。




 「……ご託はいい。何の用だ」




 【え〜〜〜〜っ!? ちょっとぉ、そんな言い方ってあるぅ!? せっかく可愛く登場してあげたのにぃ?』




 アオイは残念ガッカリと気を落としたオーバーリアクションして話を続ける。



 【ねぇねぇねぇ? 聞かせてよぉ? いつから気づいてたの〜〜? わたしのことぉ♡』




 「……話す気はない。消えろ」




 【ふぇ……? キール様ぁ、そんなの寂しいよぉ……わたし、泣いちゃうかも……?』




 アオイは指を口元に当てて、猫撫で声で言った。

 その唇が笑ってるのに、目だけが笑っていなかった。




 【まっ、でも〜、私の事を気付いてた事を気付いてたよ〜?わたしもちゃんと、【話を見てた】し♡』




 「チッ……それで?」




 【ちなみに奥さんの件は『お母さん』が勝手にやったことだからぁ〜……わたし関係ないよぉ〜?だからそんなに冷たい態度取らないでよ♡』




 「…………」




 キールはゆっくりと【光源】に手を伸ばし――その魔皮紙を、スッとしまった。


 辺りは一気に闇に沈む。

 同時に、気温が下がる。




 空気が凍りつき、見えない刃のような圧が、空間を軋ませた。




 【あぁ〜もう〜わかったわかったわかったってばぁ! その変な力、ここで使われると困るのよぉ?』




 アオイはぱたぱたと両手を振って下がる――が、その動きですら、どこか“演技臭い”。

 そしてすぐに、ピタリと笑顔を貼り直す。



 【……今回、ちょっとだけお願いがあって来たのよ? 聞いてくれるぅ? キール様♡』




 「ほう? 面白いな__そんなもの、頼まなくても、いつものように『呪い』をかければいいだろう」




 【ま、そうなんだけどねぇ? でもねぇ、こっちもいろいろ大人の事情ってやつがあるの♡ だから〜、今回はアオイちゃんからのぉ〜……お・ね・が・い♪』




 甘くとろけるような声。

 そして――白く細い指先から、投げキッスがひらりとキールへと放たれる。




 「――ならば断る」




 【……だよねぇ♡ ふふっ……じゃあ、こう言い直すのはどうかしらぁ?』




 言葉は次の瞬間、凶器へと変わった。




 【このお願いを聞かなかったらぁ――

  あなたの可愛い可愛い娘ちゃんは……“だぁいすきな、おかぁさん”から、腕を二本と足を二本、

  ぽっきん、ぽっきん♡ってね? 痛ぁ〜〜〜く折られて、ぶっつり切断されちゃって♡』




 「……」




 【……ほいさ♪』




 瞬間、沸点を越えた。




 キールが動いた。

 一閃――氷の刃が夜を裂き、目にも留まらぬ速さで【アオイ】の首を薙ぎ払う!




 ……が、その刃は。




 二本の、か細い指先に挟まれ――ピタリと止められていた。




 【……すごいでしょ? これが【白刃取り】ってやつぅ♡ 魔力も、加護も、なんにも使ってなぁ〜い♪』


 「……」


 キールが力を込めても剣はビクともしなかった。、



 【ホントなら、何十年もかけて達人が習得するこの技……わたし、見ただけで一瞬でできちゃったの♡

  ねぇ、すごいよね? これが“勇者の力”ってやつなんだってさぁ♪』




 次の瞬間――


 パキンッ!




 乾いた音が鳴る。

 氷の剣は、まるでガラスのように真っ二つに折れた。




 「…………」




 キールは何も言わず、再び手のひらから、氷の剣を再生成する。




 【ふふ〜ん♡ やっぱりね、それ【武器召喚】で出した神の武器なんでしょ? ふぅ〜ん、なるほどなるほど〜?

  ねぇねぇ? もしかして他にも、まだ隠してる能力、あったりする? ねぇ、教えてよ♡』




 「……話が長い」




 【あっはは、ごめんごめん♡ 本題ね、本題♪』


 【お願いを断ったら……さっき言った通り、あの子、すっごぉ〜く痛い目にあっちゃうの♡

  でもね? もし聞いてくれたら……わたしたち、彼女にもう絶対ひどいことはしないしぃ〜?

  なんなら、ピンチの時はさ、ちゃ〜んと助けてあげちゃうかも♡ ね? 悪くない取引でしょ?』




 選べ――と、無邪気な声が告げる。

 それは、殺意と慈愛を等しく混ぜた、絶望の選択だった。


 「..................」


 キールは「またか」と思う。

 この状況、まさに同じ状況を前にも作られたのだ。


 「貴様は信用できん」


 【そういうと思って♪信用させちゃう♪』


 アオイは天を仰ぎ見て【話しかける】










ーーーーーーーーーーーーーーーー

 ねぇ、神様、見てるんでしょ?

 神に誓って約束します♪ 

ーーーーーーーーーーーーーーーー







 キールの目の前に【神からの魔法陣】が現れ。









 契約が成立した。







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