目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第460話 バンガと弟

 「…………」


 明かりも灯さぬ大きな道場。その中央に、バンガは正座して目を閉じ、深く瞑想をしていた。


 壁に掛けられた一枚の掛け軸には、黒と白、二匹の狼が互いを睨み合うように描かれている。


 窓から差し込む月明かりが、静かな空間をほんのりと照らしていた。


 「……俺の、甘さだ。あの時、首を斬っていれば……」


 誰もいないはずの暗闇に、目を閉じたまま語りかける。


 「…………返事はせぬか。ならば……!」


 隠していた弓を展開し、一本の矢を素早く放つ。


 矢は音もなく闇を駆け――


 カンッ、と遠くで火花が散った。


 次の瞬間、その矢がバンガのもとへ戻ってくる。


 「お久しぶりです、兄者」


 「……ふん。そのおぞましい姿で言われても誰かわからんわ、レナノス」


 闇から姿を現したのは、肉体のほとんどを魔法機械で構成された獣人――レナノスだった。


 「どうして生きている」


 「この姿を見て、生きていると思えるか?」


 「……確かにな」


 「兄者、“生きる”とは何でしょう」


 「……」


 「俺は死に逝く意識の中で、ただ一つ、“生きたい”と願った……。数年後、この身体で目を覚ました」


 「……」


 「その後、俺はハネトン師匠と共に、この世界を旅した」


 「それで、“生きる意味を知った”とでも言うのか?」


 「あぁ……この世界は、広いぞ、兄者」


 「だからどうした。我には関係のない話だ」


 バンガは弓を構え、実の弟に狙いを定める。


 「兄者!」


 「我が一族の掟を忘れたか! あれがただの後継者を決める戦いではないことを!」


 バンガの矢が放たれ、レナノスはそれを弾く。壁に深く突き刺さる矢。


 「我らの種族は、奇跡から生まれた存在……。だが、過去に縛られた悪しき風習など――」


 「悪しき、だと……?」


 その一言で、バンガの殺気が一気に高まった。


 「貴様はやはり、死ぬべきだったようだ」


 「……変わらないな、兄者。まるで昔の俺を見ているようだ」


 レナノスも静かに、小刀を手に取る。


 「世界を見てきた風に語るな」


 「あぁ、変わったとも。考えも……力も」


 レナノスの手の甲に紋章が浮かび上がり、光を放つ――


 その直後、レナノスの姿が暗闇から掻き消える。


 「(消えた……視界にも気配にも捉えられない……だが、確かに“いる”!)」


 「【跳ね矢】!」


 バンガは八本の矢を壁に撃ち込み、青白い光を纏った矢が道場内を反射しながら跳ね回る。


 ガキンッ!


 金属を弾く音――!


 「そこか! 【爆矢】!」


 すかさず放つが、手応えはない。


 「っ!」


 気づけばバンガの背後に回り、小刀の刃を首に突きつけていたレナノス。


 ――それは、殺す機会があったのに“あえて殺さなかった”という証。


 「兄者……あの時、わざと俺の首を斬らなかった……感謝しています。さようなら」


 再びその姿は、静かに闇に溶けて消えた。


 「……」


 自らの首をそっと触れながら、バンガは小さく呟いた。


 「“世界”、か……。後は弟を……ヒロユキに託すとしよう」






この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?