「…………」
明かりも灯さぬ大きな道場。その中央に、バンガは正座して目を閉じ、深く瞑想をしていた。
壁に掛けられた一枚の掛け軸には、黒と白、二匹の狼が互いを睨み合うように描かれている。
窓から差し込む月明かりが、静かな空間をほんのりと照らしていた。
「……俺の、甘さだ。あの時、首を斬っていれば……」
誰もいないはずの暗闇に、目を閉じたまま語りかける。
「…………返事はせぬか。ならば……!」
隠していた弓を展開し、一本の矢を素早く放つ。
矢は音もなく闇を駆け――
カンッ、と遠くで火花が散った。
次の瞬間、その矢がバンガのもとへ戻ってくる。
「お久しぶりです、兄者」
「……ふん。そのおぞましい姿で言われても誰かわからんわ、レナノス」
闇から姿を現したのは、肉体のほとんどを魔法機械で構成された獣人――レナノスだった。
「どうして生きている」
「この姿を見て、生きていると思えるか?」
「……確かにな」
「兄者、“生きる”とは何でしょう」
「……」
「俺は死に逝く意識の中で、ただ一つ、“生きたい”と願った……。数年後、この身体で目を覚ました」
「……」
「その後、俺はハネトン師匠と共に、この世界を旅した」
「それで、“生きる意味を知った”とでも言うのか?」
「あぁ……この世界は、広いぞ、兄者」
「だからどうした。我には関係のない話だ」
バンガは弓を構え、実の弟に狙いを定める。
「兄者!」
「我が一族の掟を忘れたか! あれがただの後継者を決める戦いではないことを!」
バンガの矢が放たれ、レナノスはそれを弾く。壁に深く突き刺さる矢。
「我らの種族は、奇跡から生まれた存在……。だが、過去に縛られた悪しき風習など――」
「悪しき、だと……?」
その一言で、バンガの殺気が一気に高まった。
「貴様はやはり、死ぬべきだったようだ」
「……変わらないな、兄者。まるで昔の俺を見ているようだ」
レナノスも静かに、小刀を手に取る。
「世界を見てきた風に語るな」
「あぁ、変わったとも。考えも……力も」
レナノスの手の甲に紋章が浮かび上がり、光を放つ――
その直後、レナノスの姿が暗闇から掻き消える。
「(消えた……視界にも気配にも捉えられない……だが、確かに“いる”!)」
「【跳ね矢】!」
バンガは八本の矢を壁に撃ち込み、青白い光を纏った矢が道場内を反射しながら跳ね回る。
ガキンッ!
金属を弾く音――!
「そこか! 【爆矢】!」
すかさず放つが、手応えはない。
「っ!」
気づけばバンガの背後に回り、小刀の刃を首に突きつけていたレナノス。
――それは、殺す機会があったのに“あえて殺さなかった”という証。
「兄者……あの時、わざと俺の首を斬らなかった……感謝しています。さようなら」
再びその姿は、静かに闇に溶けて消えた。
「……」
自らの首をそっと触れながら、バンガは小さく呟いた。
「“世界”、か……。後は弟を……ヒロユキに託すとしよう」