落下の衝撃は──なかった。
気がつくと、俺は立っていた。
そこは、薄暗い森の中。だが、どこかおかしい。
木々は無作為に生い茂り、一本の枝に枯れ木と青葉が同居している。
地面は妙に平坦で、根が浮き出ることもない。原生林にしては整いすぎており、整備された森にしては密度が高すぎる。
草の丈は不揃いで、春の草花と秋の花が同じ場所に咲いていた。
風は一定のリズムで唸り、耳を澄ますと、低く機械の振動音のようなものが混じっている。
生き物の気配はないのに、鳥の鳴き声だけが響いている。
──ここは、作られた自然。誰かが“森”を模して再現した、人工の風景だ。
そのとき、正面の茂みが揺れた。
草をかき分けて現れたのは、一人の男だった。
身長は俺より少し低いが、肩幅が広く、がっしりした体格。
朗らかな笑顔を浮かべているのに、視線はまっすぐで、こちらを射抜くようだった。
「よう、初戦の相手ってことで、よろしくな」
まとっている熱が、彼が只者ではないことを物語っていた。
──そういえば、さっきまでいた白い部屋で、主催者は言っていた。
“選ばれた六十四人は全員、物語の主役たりえる存在”だと。
目の前の男も、その例外ではないのだろう。
この男と戦って、勝たなくてはならない。
言葉にしなくても、わかる。彼の存在感が、空気の密度すら変えていた。
熱は距離を超えて伝わり、呼吸が少し重く感じる。
「能力使いか……どんな能力なんだろうな」
思わず、口の中でつぶやく。
それを聞き取ったのか、男はにやりと笑った。
「俺の能力、見せてやろうか?」
山田はじめは、一瞬迷い、素直に応じた。
「……見せてくれるなら。でも、手札は隠しておくべきだよ」
その答えに、彼は目を細め、満足そうにうなずく。
「素直だな。俺も隠し事は苦手なんだ」
心臓の鼓動は速く、わずかに手が震える。
けれど、不思議と足は動いた。逃げるためじゃない。立ち向かうために。
「お前、いい目をしてるな。……でもな、俺の炎は手加減ができない。降参したいなら、早めに言ってくれよな?」
──その瞬間だった。
足元の空気が、ビリビリと静電気のように逆立つ。
地面の下から、熱が膨れ上がってくる。
本能が叫んだ。危ない、と。
すぐさま飛びのいた。直後、俺が立っていた場所が爆ぜるように燃え上がる。
轟音が耳を打つ。
地面が割れ、炎が噴き出す。土が焼け、草が黒焦げになっていく。
一瞬で、あたりの空気が真紅に染まった。
まるで地そのものが怒りを吐き出しているようだった。
火柱はうねり、獣のように咆哮を上げていた。空気を食らいながら、世界を塗り替えていく。
焼けた土の匂い。焦げる草の音。
炭になった木片が、ぱちぱちと跳ねている。
視界は熱に歪み、遠近感すら狂ってくる。
──これが、“能力”。
ただ炎を操る、なんて言葉じゃ片づけられない。
これは、破壊の具現。意志を持った熱が暴れている。
一歩でも反応が遅れていれば──今頃、俺はこの炎の中にいた。
俺は、白紙だ。能力も、技も、何もない。
だが、この男は明確な“火力”を持っている。
攻撃手段すら持たない俺と、破壊を自在に操るこの男。
あまりにも差がありすぎる。勝てるビジョンなんて、見えやしない。
──それでも。
(ないものねだりしてる場合じゃない……勝つための突破口を探すんだ)
逃げても意味がない。今、ここで向き合わなきゃ。
山田はじめは、拳を握った。
何もないこの手に、何かが宿ると信じて。