俺は、森の中を走りながら、拳を強く握り直した。
この“白紙の手”で、勝機を掴む方法は、きっとまだある。
走りながら思考を巡らせていた、そのときだった。
視界の端に、ちらりと何かが光る。反射するような、揺れるような……水面?
即座に足を止め、目を凝らす。
「──……あった」
全身の血が、逆流するような感覚。
そこにあったのは、小さな**池**だった。
湿った空気がほんのり漂う、静かな水の塊。
(水だ……水、だ!)
思わず声が漏れそうになる。
探していた“沢”どころか、それよりもよほど使える──“水たまり”じゃない、“池”だ。
十分な量がある。
「……今日の俺、持ってるかもしれないな」
思わず笑みがこぼれる。けれど、すぐに引き締めた。
ここからが本番だ。
仮説が正しいかは、まだわからない。
だが、ひとつでも当たっていれば、勝機はある。
池の縁にしゃがみ込み、水面をのぞきこむ。
煤と汗にまみれた顔が、揺らめく水に映る。
無様な姿だ。でも──今は、それでいい。
(ここが突破口になる。賭ける価値はある)
両手で水をすくい、顔に叩きつけるように浴びる。
ひんやりとした冷たさが、肌に張りついた熱を奪っていく。
首筋、腕、足──可能な限り、全身を濡らす。
そして──躊躇わず、飛び込んだ。
水の中が、瞬間だけ静かになる。
冷たさが、服の繊維に、髪に、皮膚にまで染み渡る。
(すぐに蒸発するだろう。……けど、その一瞬が、俺にとっての“防壁”になる)
この即席の水鎧が、たった数秒でも熱を遮ってくれれば──
あの炎の壁を、突破できる。
もし仮説が外れていたら…。自ら炎の中に突っ込んで、無様に負ける未来が容易に想像できる。
けれど、もっと確実な方法を探している時間は無い。
時間が経っていくほど、不利になっていくのは俺のほうだ。
(当たっていてくれ……頼む)
濡れた服はずっしりと重くなった。
重たくなった服は、熱との相性は最悪だ。だが、今はむしろ歓迎すべき重量感。
(細い綱だ。だが、それでも“綱”だ)
それに賭けるしかない。
山田はじめは、濡れた服の裾をぎゅっと握りしめ、再び炎の方へと向き直った。
(突っ込む……あの炎の向こうへ。やつの懐まで──)
火に挑むのではない。“火の奥”にいる相手を倒すために。
この一歩が、命を懸ける価値のある賭けになる。
逃げるしかなかったあの炎に、今度は自分から飛び込む。
恐怖がこみ上げる。だが、もはや後には引けない。
決めた。止まれば、そのまま燃え尽きるだけだ。
意を決して立ち上がり、足元を固める。
一気に地面を蹴って──炎の壁に向かって走り出した。