制御を失った炎が俺たち二人を取り囲み、襲い掛かる機会を窺っている。
──動けない。
無理に動けば、どちらも命を落としかねない。
一歩も動けない、この極限の緊張感が支配している。
沈黙を破ったのは、炎使いの方だった。
「……どうするつもりだ?」
その問いに、俺は一瞬視線を落とす。
「……俺にできるのは、ここまでだ。追い詰めても…最後の詰めができない。
……これが、俺の限界だ。」
それが、正直な気持ちだった。
自分には何もない。能力も、特別な力も、ない。ただ、知識と意地、そして運を駆使して、なんとかここまで追い詰めただけ。
最初の炎で焼かれていたかもしれないし、水を見つける前に追い詰められていたかもしれない。
それでも、今ここに立っているのは、全て運がよかっただけだ。
どう考えても、目の前で倒れているこいつの方が、俺よりはずっと強い。
炎使いはしばらく黙っていた。
やがて、ふっと、微かな笑みが浮かんだ。
「……そっか。そういう奴も、いるよな。」
その笑いには、懐かしさと、どこか安堵が混じっていた。
そして、彼は続けた。
「なあ、俺と取引しないか?」
取引──
追い詰めた俺からじゃなく、彼からの申し出に、驚きと困惑が一気に胸に広がる。
その意図を測りかねて、俺は黙って彼の次の言葉を待った。
「俺はここで降参する。その代わり──お前は、勝ち続けてほしい。」
突拍子もない提案だった。思わず、口を開けて困惑を隠せない。
「今日は偶然勝てただけだ。能力を持たずに、勝ち続けるなんて…現実的じゃない。」
けれど、炎使いは、静かな目で言葉を返してきた。
「今日の俺は、“能力を使っていないお前”に負けたんだ。
能力があるかどうかは、お前にとって本質じゃない。お前は、一つの壁を越えた。これからも、そうやって越えていける。…俺はそう思ってる。」
できるはずがない、と思う一方で、
彼の確信に満ちた言葉には、どこか従わざるを得ない力があった。
だから、俺は短く答えた。
「……わかった。」
その瞬間、林徹はふっと微笑み、目を閉じた。
「俺の負けだ。降参する。」
その言葉と共に、俺たちを取り囲んでいた炎が、静かにしぼんでいく。
燃え盛っていた熱は、まるで幻のように消えて、音もなく、風に溶けて消失していった。
紅蓮の渦が、跡形もなく溶ける。
まるで、最初から何もなかったかのように。
その時、ふと、俺は一つだけ訊いておきたくなった。
「消える前に──一つだけ。教えてくれ。炎使い、名前は?」
炎使いは目を開け、微笑みながら答えた。
「俺は、林徹(はやし・とおる)だ。お前は?」
「山田はじめ。」
「山田はじめ、か……また会おうな。」
「ああ、またな──林徹。」
──そして、燃え尽きた森に、静寂が戻った。